巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面135

鉄仮面    

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳     

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                 第百二十五回

 この十一月四日が第一の日曜日だった。この日は即ちコフスキーが、鉄仮面を説教場に送って行く日である。毒薬を使って彼を牢から救い出す最も恐ろしい、又喜ばしい日なので、バンダは様々な思いを胸にしまってこの日を待っていた。牢獄の苦痛を救うためとは言え、妻の身として夫に毒薬を飲ませることは、許される事なのだろうか。

 毒薬で夫は死に、解毒剤を使っても再び生き返らなかったらどうしよう。その死骸を掘り出して、もし我が夫でなかったらどうしようなど、あれこれ考えて胸を騒がせているうちに、ようやく四日になったので、バンダはブリカンベールと一緒に教会に入り、一日中お祈りをして暮し、やがて夜になって自分が住む家に帰っていたが、コフスキーからは何の知らせもなかった。

 さては、もしかして失敗して、セント・マールスに怪しまれて、あの薬を取り上げられたばかりか、その身も牢獄に投げ込まれたのではないだろうか。どちらにしても、心配でしかたがないので、何度も外に出てあちらこちらを眺め見つめていたが、人気の絶えた教会の庭には耳にはいる音もなかった。

 ブリカンベールもこの様子を見るのに絶えきれず、「私がバスチューユの側まで行って様子を探って来ましょう」と言って、いつものようにきびきびと出て行ったが、約一時間くらい経った頃帰って来て、「アア、やっと分かりました。」

 「私が牢獄長セント・マールスの家の前に隠れていると中からコフスキーが出て来て、物も言わずこの紙切れを私に握らせて立ち去りました。きっと誰か人を頼み、貴方のもとに届けるつもりで書いて持っていたのでしょう。さあ、早く読んでお聞かせください。」と差しだした。

 バンダは震える手で開いてみると、十センチ角ほどの紙きれに書いてあるその文字は、「今日は初めてだったので思うように行きませんでした。この次の日曜日に渡すつもりです。」云々と書いてあった。

 バンダはほっと安心して「ああ、コフスキーが無事でさいあれば何の心配もない。次の日曜日まで待ちましょう。」とつぶやいたがこの次の日曜日は即ち十一日である。この日も同じ思いで待っていたが何の知らせもなく、空しく日を過ごし、次の日の午後になって送って来た手紙に、「今日も渡すことが出来ませんでした。この次にはきっと」とただこれだけの文句が書いてあった。

 成るほど外で思うのとは違い、秘密の囚人に品物を渡すのは思いの外むずかしい事なのだ。もし、誤ってセント・マールスに見破られるより、日を延期して安全な時を選ぼうと慎重に待っているのだ。バンダはこのように思って諦め、また次の日曜日である十八日を待つこととした。しかし、その十八日になっても又コフスキーからは何の連絡もなかった。

 三十年来ほとんど絶望の谷底に身を埋め、どんな苦労にも耐えられないことはなかったバンダだったが、この時だけは、もはや我が身も我が心も絶望に消えてしまうかと思われ、ほとんど待っている気力が無くなりかけていたので、翌日は教会に入り神に向かって自分の命が、あと一月続くように祈るとともに、さらにコフスキーが計画通りあの仕事を、やり遂げられるようにと祈り、午後の六時になってやっと心も落ち着いてきたので、教会から出て自分の家に帰ろうとすると、足がよろめいて歩くことが出来ず、やっとブリカンベールの手にすがって帰って来た。

 すると、戸口に誰か立っているので、驚いて立ち止まっていると、彼はバンダの姿を見てバンダよりもはやく家に入った。冬の日は短くて六時とは言え早や全く夜になり、その顔を見分けることもできなかったので、「ブリカンベール、今のは誰だろう」聞くと、

 「なに、コフスキーですよ。」と答えた。さてはいよいよ良い便りを聞かせに来たのではと思い、バンダは中に転ぶようにして入り、ブリカンベールが火を灯すのさえもどかしく、「どうしましたコフスキー、さあ、早く聞かせておくれ」と声を震わせて問いかけると、「首尾良く行きました。もう、事によると死んだでしょう。」

 殺すのは覚悟上とは言え、死んだと聞いて今更のように顔色を変え、「どうして」「はい、昨日の日曜に、説教室の入口で外に人が居ませんでしたから、渡すのは今だと思い、鉄仮面にあの薬ビンをにぎらせて、お飲みなされば助かります、と一言その耳にささやきましたが、鉄仮面は合点が行った事と見え、ただうなずいて説教室に入りました。

 どうも彼は私の顔を知っているに違い有りません。初めて私に手をひかれた時、彼の手はぶるぶる震えていました。」「それではやっぱりモーリスです」

 「それから説教が終わって出て来た時、彼は無言でそのビンを私に返しましたが、見るともう空になっていました。どうも説教室の中で誰にも見られないのを幸いに、飲み干したものと思われます。それでビンの捨て所がないので、私に返したのは、見つからないように捨ててくれ、と言う心かと思います。」

 バンダは聞いている中に夫モーリスが、老いて衰えた様子を目の当たりにするようで、迫り来る涙を止めることが出来なかった。ブリカンベールも同じ思いにかられて目をしばたいて聞き入るばかりだった。

 「その時はもう毒が回り始めていたようで、廊下から外に出ない中に、彼は足も立たなくなったように、私の手に寄り掛かりましたが、さらに庭に出たときは、もう一歩も進まない状況でした。その有様をセント・マールスと少佐ロサルジが見て、抱き上げてバトーデェ塔に連れて上がりましたが、それからこの教会の長老のギロード師も医師とともに迎えられました。

 もっともギロード師は、説教が終わったばかりで、まだ帰らずに居たのですが、それですからことによると、昨夜の中に死んだのかも知れません。もっとも私はすぐに外の仕事を言いつけられ、今までその仕事の方にかかずらっていたので、貴方にお知らせすることが出来ませんでした。」と事細かに報告した。

 これを本篇の初めに記した牢番ジャンカという人の手帳文句に照らすと、更にはっきりする。その文を下に再記す。

 常に鉄の面を被っていた誰とも分からぬあの囚人は、昨日の日曜日に例のごとく 説教を聞いていたが、その後ですぐ病気になり、危篤になるほどひどいとは見えなかったが、夜の十時頃仮面のままで死んだ。長老ギロード師はその病の床にいて、いろいろこの人を慰めたりしていた。この人が死際に自分の一身のことを、長老に打ち明けたかどうかは分からない。

 コフスキーが話たことは即ちこの記事と同一の事柄だった。
   
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