鉄仮面３２
鉄仮面
ボアゴベ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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鉄仮面
第二十三回 a:1426 y:0 t:2
あの常夜灯がもし合図でなかったなら、オービリヤ大尉が急に元気になるはずが無いので、バンダは機会を見つけてモーリスにこの事を話そうと密かに考えている内に、何時しか魔が淵の側に着いた。
この時、月は早くも沈んで、頼りとするのは星明りだけだった。向こう岸さえ見えないほどだったので、バンダは益々心配になりほとんど死地に飛び込む気持ちだったが、モーリスはかえってこれを喜び「このような夜にこの様な危ないところを渡るとは、いかにルーボアでも思わないだろう。」と言い、
まず皆を土手の陰に整列させ、誰は前、誰は後ろといちいち列を決めたが、オービリヤはこの指図に不服らしく、
「モーリス君、今夜こそ最も大事な所だ。八方へ心を配らなければならない。どの様な所から敵が現れるか分からないから、君はコフスキーと共に先頭に立ち給え。
僕は背後を固めるために列の一番後ろに付こう。まさか逃げ去るような卑怯な者は我が党には一人も居るまいが、何しろしんがりは大切だ。」と言い自分から背後に回ろうとした。
この振舞いはいよいよ疑わしい。彼は向こう岸に危険が待ちかまえているのを知っているので、まさかの時には自分一人で逃げるつもりだろうと、バンダは歯ぎしりをしながらモーリスの返事を待っていると、モーリスはかえって感心したらしく「そうだ、勇士はしんがりを名誉とする。君にしんがりを頼もうか。」バンダがハッとしている間に、コフスキーもバンダと同じ心配と見えて、いろいろと理由を付け、
「いや、オービリヤ大尉のような大切な人を背後に回すと言うような戦術は有りません。背後に敵が居るはずは有りませんから、少しでも勇気のある者は前に並ばなければなりません。しんがりはこのコフスキーが一人で引き受けます。」
オービリヤは大事なところと見て、「コフスキー殿は案内役では有りませんか。君がしんがりに回ってはどうして浅瀬が分かると思う。我々は水底の浅い深いは知らないから、ぜひともコフスキー殿はモーリス君と共に一番前に立たねばならぬ。」
モーリスはこの言葉に感心し、「そうだ、しんがりはどうしてもオービリヤだ。」と言い切った。バンダも、もはや見過ごすことが出来ず、今言わなくては何時言うときが有ろうかと決心し、モーリスを少し離れたところに連れて行き、耳打ちしようと馬をモーリスの側に寄せると、オービリヤはそれと察してか、それとも他に企みがあってか、バンダより先にモーリスの手を引き「君、少し密話がある」と言って馬に乗ったままで一方へ引いて行った。
密話とは何の事だろう。たぶん、あの手箱の有り場所を今こんな所で聞き出そうとしているのだろう。手箱の在処さい聞き出せば、何時モーリスを捨てて逃げだしても自分の手柄は十分なのだから、その用意に違いないと、バンダはモーリスに叱られるのも構わず、その側へ駆けて行ったが、
悲しいことにもう二人の話は済み、オービリヤは非常に満足した様子で、「モーリス君、もう安心し給え、君が死ねば僕がその手箱を守から、決して敵に奪われる心配はない。なに、まさか君が死ぬような事は無いが、用意は用意だ、この様に何もかも決めて置かなければ、そのためにどんな後手を引くか分かった物ではない。よし、もうあの手箱はこのオービリヤが命に変えても預かったと思いたまえ。」
ああ、すでに後の祭りであった。手箱の在処はすでに敵のスパイの耳に入ってしまった。バンダはオービリヤと入れ違いにモーリスに近付き、ほとんど必死の力でモーリスの腕を握りしめ「貴方はもう大事な秘密をあの人に話してしまいましたか。」
「もちろんさ、魔が淵を渡る前に必ず彼に頼んで置こうと前から思っていたのだ。」
バンダはほとんど泣き声で「貴方は、まあ、貴方は」とモーリスの腕をゆすぶって、悔し涙を留めることができなかった。
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