鉄仮面70
鉄仮面
ボアゴベ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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第六十一回
バンダは初めてルーボアと交際することを承知したが、ルーボアは夫モーリスを初めとして、仲間一同の仇敵だった。剣で彼を刺し殺すことが本当の望みだが、モーリスの妻となってからはその辺の男に白い歯を見せる事さえ嫌で、男の姿に扮装(ふんそう)して千軍万馬の中でもモーリスについて行ったのに、敵ルーボアと交際することほど辛いことはなかった。ただ憐れむべき鉄仮面を夫モーリスと思っているので、その行方を突き止めるために、仕方なく承知したのだが、もし鉄仮面がモーリスで無かったらどうするのだろう。
アイスネーの話を初めとして、その他の事を考え合わせると、鉄仮面はモーリスに違いない。その行いの勇ましさからしてオービリヤとは思えない。しかし、初めからの道筋を事細かに考えると、第一に怪しむべき事はセント・ヨハネの教会の庭で秘密の手箱を盗み去ったくせ者のことだ。鉄仮面がモーリスならば手箱の隠し場所を他人にもらすはずはないので、盗み去る人もあるはずが無い。しかし、実際に盗み去った人がいることは、オービリヤが政府に捕まった証拠ではないだろうか。
二人の士官の中一人は死に、一人は生け捕りにされた。生け捕りにされたのがオービリヤでモーリスは死んだ方の者なのだろうか? 鉄仮面がこの両人の中のどちらかであることは間違いない。魔が淵で捕らえられ、すぐ鉄仮面をかぶせられたことはすでにバンダとコフスキーがペローム砦で、ナアローと守備隊長の話を盗み聞きした事から明らかだった。
もう一つ怪しいことは、あの手箱が盗まれたからには、手箱の中の連判状に名前があった同志もそのうち捕まるはずだが、決死隊が皆殺しになった後、誰も捕まってはいないことだ。同志の中で随一をうたわれるバイシンでさえも、今もって無事なのだ。あるいは政府でこの事件を荒立てるのを好まないため、ただ内々で目を付けるだけで、表向き手を出さないのだろうか。
この様な疑問がバンダの心に浮かび、コフスキーやバイシンに尋ねたりしたが、二人にもこれと言った理由が思い浮かばなかったので、ただ不思議に思うだけで、今に分かるときが来るでしょうと言うだけだったので、バンダもこれ以上の追求は出来なかった。とにかく鉄仮面を救おうとして、あれこれ努力している中についに鉄仮面の行方を見失い、ルーボアに接触する以外方法が無くなってしまった。
それはさて置き、この頃、パリの町々を貰い歩く乞食の中に、黒い頭巾をかぶりその顔を人に見せない男があった。この男はバイオリンを上手に弾き、そして歌を歌う声もよく、庶民の流行歌から、宮廷用の高尚な歌まで、面白い節回しで歌い奏で、戸毎に食べ物を求めるのは、多分、音楽の先生をしていた者が落ちぶれたのだろう。顔を見せないので何歳位なのか知る方法もないが、声のきれいなことから察するに、それほどの老人ではないと思われる。
ここは、彼が寝泊まりをするブルゼー街の煮込み屋だが、夕方から大勢の乞食が集まり、酒を飲みながら、身分相応の卑しい話に夜を過ごしていた。「どうだい、この頃は、世の中が不景気なのか、段々もらいが少なくなってきたが、乞食も何か相当の芸が無いと心ぼそいなあ。」 「そうさ、あの黒頭巾の様にバイオリンでも弾けるなら、らくらくと暮らせるが」「馬鹿を言うな、あの様に病身で仕方があるか、昨日まで二週間も半死半生で寝ていたではないか、病気が良くなったら返すからと、我々にいっぱい借金をしやがった。
俺が口を聞いてやらなかったら、あいつはとっくに、この宿からたたき出されていたところだ、今朝は気分が良いからと言うからバイオリンを持たせて出してやったが、まだ帰って来ないところをみると、何処かの軒先で倒れているのだろう」「だけれど、あいつが顔を見せないのは不思議だなあ。病気で寝ていても頭巾をかぶっていやがるが、よっぽどの深い理由があるんだぜ。」
「どの様な理由でも俺達に顔を隠すことはないのに、外に出るときだけ隠すなら分かるが、もう三月もここにいるが、一度も顔を出さないじゃないか。」「あいつ、事によると、貴族の若殿とか何かで、顔を見られるのが恥ずかしいのかも知れない。」「いや、そうではない、懸賞か何かを掛けられて、捜されている有名な罪人だよ。顔を見せれば金のために我々がその筋に引き渡すと思っているのだ。」「なるほど、そうかも知れないな、彼はなかなかただ者ではない、話す言葉からしてなかなか上品だぜ」
「そうそう、それに又厭に高慢ちきじゃないか。先日も俺が催促したら、今に大金が入るからその時まで我慢してくれと言うような事を言いながら、色々なことを言っていたぜ」「どんな事だ」「えー、何だか大臣にとって大事なことを知っているから、それをルーボアに売りつければ、生涯安楽に暮らせるって、そのほかに、大臣だの、貴族の名前を大勢知っていて、今にも、自分が貴族にでもなるような事を言っていたが、俺はいちいち覚えていない。」
「それじゃ、まさか、懸賞の掛かっている罪人でもあるまい。しかし、その様な大事なことを知っているなら、なぜ、この様な乞食をしている。早くルーボアに言って取り立てて貰いそうな物じゃないか。」 「そうよ、俺もそう言ったら、あいつの返事が良いじゃないか、大方は分かっているが、まだ少し分からないことがあるから、それを探り出した後でルーボアに知らせると言っていたぜ」「あいつ、口がうまいから、おまえをだましたのだよ。」 「いや、そうとばかりも言えないよ、事によるとその事件で俺達にも手伝って貰わなければならないと言っていた。」
「何しろ、あいつは変わり者だよ。俺はあの頭巾をひんめくって、あいつの顔を見てやりたいと思うが、どうだ、二人であいつを捕まえ、否応なしに顔を見てやろうではないか。」「それも面白いな。よしよし、今に帰って来るだろうから、その時おまえがあいつを動かさないように押さえつけたら、俺があの頭巾を取る。これ、おまえも手伝わないか。」と仲間を誘ったが、彼は胸くそが悪くなるとと言うように顔をしかめ「よせよせ、俺はもう彼が寝ている間に顔を見たよ。」
「なんだ、もう見たのか」「見たが今では後悔している、見なきゃ良かったと思っている」「何だ、人の顔を見て後悔する奴がいるか」「人の顔なら後悔しないが、あいつのは人間の顔ではない。おお、今思っても胸が悪い」「人の顔でなくて、何の顔だ。」「何の顔だなんて話が出来るくらいなら後悔はしないさ、俺は顔がつぶれた人は随分見たがあの様な恐ろしい顔は見たことが無い。」
「エッ、きゃつは顔がつぶれているのか、それで頭巾を被っているのか。」「なに、お化けよりもっと恐ろしい、絵に描いたお化けにもあの様なすごい顔は無い。何の事はない、骸骨だよ。鼻が流れて深い三角な穴になってよ、瞼がなくて、丸い目の玉だけが光っていて、唇の無い歯茎から長い歯が突き出していてよ。」
「本当にそんななのか」、「もう言ってくれるな。言ってくれるな。聞くだけでもゾクッとする。」「それじゃ、俺達にも顔を見せないはずだ。」と互いに身震いをするおりしも、左のこわきに壊れたバイオリンを挟み、右の手に杖をつきつき、ここに入って来たのは黒頭巾の本人だった。黒頭巾とはそもそも何者なのだろう。
つづきはここから
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