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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面86

鉄仮面

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳 

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                 第七十七回

 恐ろしさと驚きが同時に襲ってきたので、夫人が決断を出来ないでいるのは無理もなかった。しかし、あのルーボアがブーロン伯爵よりも一足先に宮廷を出たと言うことは、それから捕り手の者達を集め、命令を伝えてから出発するにしても、もうここに押し寄せて来る時間だ。ブーロン伯爵は気をあせらせ、一生懸命オリンプ夫人の手を引き「さあ、言うことは後にしてとにかく私の馬車にお乗りなさい。ここにこうしているところに、もし捕り手の者達が来たら、貴方より、私が困ります。

 宮廷の罪人に内通して、その逃亡を助けたと言えば、どんな目に会うかも知れません。私がここに来たのは本当に命がけの仕事なのです。」と必死になって説き伏せたが、夫人の心はどこまでもブリュッセル府に逃げることにあり、その上、バイシンをも連れて行きたいとも思っているので、この瀬戸際になってもまだ言い争い「いや、私はブリュッセルの方が好きです。」「好きだとか嫌いだとか言っている場合では有りません。それに又、オーストリーには貴方の息子が居るでは有りませんか。」と言う。

 息子とはそもそも誰の事なのだろうか? 実はこれは、かってこのソイソン邸の主人であるソイソン伯爵とオリンプ夫人との間に生まれた末の子で、王族サボーイ家の正当な血筋を引く者なので、本来は宮廷から何かの位を授けられ、王族の一人に数えられるべきなのだが、ただその子が、虚弱体質なので国王ルイがこれを嫌い、この様な者を宮廷から排除しても、そんなに宮廷の損にはならないだろうと言って、オーストリーに追い出したものだった。プリンス・ユージーンと言う名前で、今もオーストリーで養育されているのが、実はこのオリンプ夫人の息子だったのだ。ブーロン伯爵はこの事を知っていたため、夫人をその元に送れば、子どもの愛に引かれて、再びこの国に帰る事など無いだろうと、後の事まで考えてこの様に計らっているのだった。

 夫人はまだ気が進まないと言って、更に苦情を言おうとしたが、ブーロン伯爵はもう我慢が出来ないと言うように「何と言っても、そうは私がさせません。」と叱りつけ、今までの気遣いを捨てて、荒々しく引っ張って「なに、この屋敷の後の始末は私が必ず附けて差し上げます。従僕にも誰にも別れを告げる必要は有りません。」と言って、難なく夫人を捕まえ、門前に待たせてあった自分の馬車に押し込め、早くもどこかへ立ち去った。

 この様にして逮捕を免れたことは、夫人にとって本当に幸いだったと言える。次の間にいた、バイシンはこの言い争いを総て聞き、ただ夫人だけでなく、自分も非常に危ないと感じたので、もうここには一刻も居られないと思い、薬瓶を持ったまま立ち上がったが、だからと言ってナアローの死骸を小脇に挟んで立ち去るほどの力も持っていなかった。ここへ捨て置いたのでは、今までの全ての秘密が、それまでとなるばかりか、折角作り上げた自分の薬の効き目さえ、再び試す機会は無くなってしまうだろう。どうしたらよいだろうと色々考えていたが、もうコフスキーが夫アントインと荒武者アイスネーを連れて帰って来る頃だ。彼ら三人がもし捕り手より早く帰って来れば、この死骸を持たせて逃げ去ることもそう難しいことではない。それまでは危なくてもここを立ち去る訳には行かない。

 度胸を決めて何事も運にまかせ、敵と味方どちらが早く入って来るか、それを待つことにしようと決心し、再び腰を下ろしたのは大胆としか言いようがなかった。さらに又いろいろと考えてみると、ナアローを死体のままで置いて置いては、もしも自分が捕らわれたとき、彼を殺したと言う疑いを解く方法がなくなる。今の中に生き返り薬を飲ませて、彼を生き返らせて置けば、自分には人殺しの罪はなくなり、又彼も自分が少しの間でも殺されていた事は知らない。ただ眠っていたくらいにしか思わず、毒薬の秘密を見破る事もない。

 どうせ捕らわれるなら、一度もテストもしないで捕まるのは残念だ。身の危険が迫っていても落ち着いて前後を考え、すぐに立ってドアに鍵を下ろし、こうして置けば捕り手が来ても、きゃつらがこのドアを叩き破る間に、自分はこちらの窓を開き逃げ延びることも困難ではないと、自分自身に聞き、自分自身で答え、またも死体の側に行き、白い布を取り除き、先ずその注射器にに十分な薬を入れて、死体の鼻の奥深くに管を入れてゆっくりと吹き込み終わり、次に死体を抱き起こしその顔を天井の方へ向け、自然に喉が開くようにし、薬を下に下がらせるため、喉から胸へ撫で下ろすと、薬はその考え通り都合よくナアローの腹の中に伝わり下がって行った。しかしその効果はなかなか現れわれず、ナアローは死体のままで正気に返る様子もなかったので、さては薬の量が足りないからかと思いながら、バイシンはまた彼を横に寝かせ、またも注射器を取り上げようとした時、外から今閉じたドアを砕くほど叩き、「御用、御用」と騒ぐ声が聞こえてきのは、確かに捕り手が来たようだ。

 もうどうしようもなく、その上捕り手は大勢らしく、メリメリとドアの破れる音がしたので、バイシンは残念だったが、薬を飲ませた死体がどうなるかを見ている暇がなかった。窓を開いてヒラリと飛び出し、庭を伝って裏門の外に出ると「それ、必ずここに来るだろうと網を張って待っていたぞ。」と言い、苦もなく取って押さえつけたのは、これぞルーボア自身だったので、バイシンは驚いたが、どうしようもなかった。続いて飛びかかった役人どもにがんじがらめに縛り上げられ、用意の馬車に乗せられてしまった。

 バイシンは腹の中で「なに構うものか。夫人は逃げたし、夫を初めコフスキーも無事だから他に気を使うことはない。捕らわれて行けば、結局はバンダの居所も分かるだろう」と呟いた。
(訳者注:この辺の記事は総て歴史上の事実そのままで、夫人とブーロン伯爵の問答などもチョーシー僧正の「ルイ十四世治世実録」に記して有る語句をそのまま写した物だ。又オリンプ夫人に子どもがいたことは今までは、煩雑になるので記さなかったが、夫人はルイ王の愛を失ったあと、腹を立ててソイソン伯爵に嫁に行ったので、正式にはソイソン伯爵の妻だったのだ。ただ仲が悪かったので実際は離婚同様で夫婦別々に我がまま勝手に振舞っていたので、数人の子が有ったが王子ユージヌは末の子と言う。もっともソイソン伯爵はまもなく死去したので夫人の気ままは一層激しくなった。)

  
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