巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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噫無情(ああむじょう)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ビクトル・ユーゴ― 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2017.4.1

ビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」の翻訳小説

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             小引

 『噫無情』と題し茲(ここ)に訳出する小説は、ビクトル、マリー、ユーゴ―先生の傑作『レ、ミゼラブル』なり。
 「著者ユーゴ―先生は多くの人の知れる如く、仏国の多恨多涙の文学者にして又慷慨(こうがい)《世の中の不正などを憤り嘆く事》なる政治家なり。詩、小説、戯曲、論文等に世界的の傑作多し。先生千八百二年に生まれ八十四歳を以て千八百八十五年(明治十八年)に死せり。

 『ミゼラブル』は先生が国王ルイ、ナポレオンの千八百五十年の非常政策の為に国外に放逐せられ白耳義(ベルギー)に流竄(りゅうざん)せる時に成りしと云へば、即ち五十歳以上の時の作なり。最も成熟せし著作と云ふ可(べ)し。(先生が初めて文学者として世に著(現)はれしは其れ十四歳の時に在り)

 『レ、ミゼラブルとは英国にては観るに忍びざる不幸の状態を指すの語なり。仏国にては多く、『身の置所も無き人』と云ふ意味に用いらる。即ち社会より窘害(きんがい)《苦しめ疎外》せられて喪家(そうか)の犬の如くなる状態に恰当(こうとう)(ピッタリ合う)する者のごとし。 我が国の文学者が一般に、『哀史』と云ふは孰(いず)れの意に取りたるやを知らずと雖も、先生が之を作りたる頃の境遇より察すれば、前の意よりも後の意に用ひたる者なるが如くに察せらる。

 余、先頃、ヂュマのモント、クリスト―を巌窟王と題せししに、或人は巌窟王の音が原音に似たりとて甚だしく嘆称せられたり。余は爾(さ)まで深く考へたるに非(あら)ざりしを、勿怪(もっけ)の幸ひと云ふべし。今、レ、ミゼラブルを『噫無情(ああむじょう)』と題し、又音の似通ひたりと云ふ人あり。然れども之も爾(そ)うまで考えしには非ず。唯だ社会の無情より、一個人が如何に苦しめらるるやを知らしめんとするが、原著者の意なりと信じたれば、題に適当なる文字の得難さに斯(か)くは命名したるなり。

 原書にはユーゴ―先生の生存中に、幾版をも重ねたれば、先生親(みず)から幾度も訂せし者と見ゆ。英訳にも数種あり。余の有せる分のみにても四種に及ぶ。猶(な)ほ耳に聞きて未だ手にせざる分も無きに非ず。是等を比較するに、或物は高僧ミリールの伝を初めに置き、或者はジャン・バル・ジャンを初めに置きたるが如き最も著しき相違なり。

 思ふにミリールは先生が理想とせし人なる可(べ)ければ、巻首に之を掲ぐるが当然なる可(べ)きも、晩年に及び、読者に与ふる感興の如何に従ひて、次章に移したるならんか。余は新聞紙に掲ぐるには、後者の順序が面白かるべきを信じ、其れに従ふ事としたり。

 訳述の体裁は、余が今まで訳したる諸書と同じく、余が原書を読みて、余の自ら感じ得たるが儘(まま)を、余の意に従ひて述べ行く者なれば、翻訳と云はんよりも、人に聞きたる話をば、我が知れる話として、人に話すが如き者なり。

 若し此れを読みて、原書に引き合わせ、以て原書を解読する力を得んと欲する人あらば、失望す可(べ)し。斯(か)かる人に対しては、余は切に社友山縣五十雄君の英文究録を推薦す。(内外出版会社の出版にて一冊定価二十銭、英米の有名なる作者の詩歌及び短話が親切に翻訳し註解したる者なり)

 若し原書を句毎に訳述すれば、五百回にも達す可し。少なくとも三百より以下なる能(あた)はず。然れども余は成る可(べ)く、一般の読者が初めの部分を記憶に存し得る程度を限りとし、百五十回乃至(ないし)二百回以内に訳し終わらんことを期す。

 ユーゴー先生が此書に如何の意を寓したるやは余不肖にして能(よ)く知らざるなり。之を学友諸氏に質すに、社会組織の不完全にして、一個人が心ならざる境遇に擠陥(せいかん)《おしおとす》さるるを、慨したるなりと云ふ人多し。多分は然るなる可し。先生の自ら付記したる小序下の如し。

 法律と習慣とを名として、社会の呵責(かせき)《厳しく叱ること》が此の文明の真ん中に、人工の地獄を作り、人の天賦の宿命をば人為の不運を以て妨ぐることの有る限りは、

 現世の三大問題、即ち、労働世界の組織不完全なるに因する男子の堕落、飢渇に因する女子の滅倫、養育の不足の為に児童の衰残、を救ふの方法未だ解釈せられざる限りは、

 心の飢渇の為に衰死する者社会の或部分に存する限りは、

 以上を約言して廣き見解に従ひ、

 世界が貧苦と無学とを作り出す限りは、
即ち此の種の書は必要無きこと能(あた)はざる也

 蓋(けだ)し《思うに》ルイ、ナポレオンが非常政策を発する前、仏国には社会党あり。暗に政府及び朝廷を驚かしめたり。先生は是より先き、文勲を以て貴族に列せられたるも、深く社会党の運動に同情を寄せ、王党を脱して共和党に入り、大いに画策する所ありたれば、社会下層の無知と貧困とを制度習慣の罪と為し、其の如何に凄惨なるやを示さんと欲したる者ならんか。

 先生が流竄(りゅうざん)《罪で遠方の地に流しものにする》の禍を買ひたるも畢竟(ひっきょう)は斯(か)かる政治上の意見の為なり。若し我が日本に、『レ、ミゼラブル』の一書を翻訳する必要ありとせば、必ずや人力を以て社会の地獄を作り、男子は労働の為に健康を損し、女子は飢渇の為に徳操失し、到る所に無智と貧苦との災害を存する今の時にこそ在るなれ。

 唯余がユーゴー其の人にあらざるを悲しむ可しとす。

                                   訳者 識す


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この小引は涙香が噫無情(ああむじょう)を訳出するに当たり、原著を何の様に訳出するかの態度を記したものです。

これからの各回の訳文が、現代語訳をしなければ、何のような文体なのかを見て頂く為に現代語訳をせずに、そのまま載せました。

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