巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

aamujyou71

噫無情(ああむじょう)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ビクトル・ユーゴ― 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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噫無情    仏国 ユゴー先生作  日本 涙香小史 訳

   七十一  父と子

 昔の武士の気骨を、そのままに備えて居る此の様な老勇士でも、心の底には非常に優しい所が有る。
 優しい所が有ればこそ、草花などを愛して居るのだ。
 けれど、草花だけでは未だ思いが晴れない。時々は耐(こら)え兼ねて、密かに巴里へ出掛けて行く事が有る。
 二月に一度、或いは三月に二度ぐらい。それは何の為、我が子の顔を見る為なんだ。

 抑(そ)も此の人は拿翁(ナポレオン)の盛んな頃、王党の貴族桐野家の令嬢と思い思われ、多少の障害もあったけれど、遂に縁談が調(ととの)って夫婦と為り、一子を儲けた。そうして名を守安と附けた。

 所が不幸にして、夫人は間も無く此の世を去り、武骨な少佐が男の手で守安を育てる事とは為ったが、妻の里である桐野家の老主人が、見るに見兼ねて守安を引き取った。併し唯の引き取り方では無い。

 その頃、世は路易(るい)王の御代と為って、その下に仕える桐野家の様な貴族が、拿翁(ナポレオン)の残党などと親密にすると有っては、朝廷の思し召しに触れるので、決して父親が尋ねて来ない様にとの条件で有った。若し此の条件を守りさえすれば、守安を相続人同様に育て、末は財産の幾部分を分け与えるとの約束までも出来たのだ。

 世の中に恐ろしいと言うことの無い大勇士でも、子の愛には引かされる。少々無理な約束では有るけれど、是が守安の後々の為と思い我慢して従った。此の後と言う者は、父も子も殆ど可哀想な様である。父はその屋敷へ出入りが成らないのだから、子の顔を見る事は勿論できない.
 軍人の気性として一旦の約束は何しても破らない。

 子の方は一方ならず大事に育てられている。けれど桐野家の老主人が、頑固で我儘(わがまま)な人だから、益々子と父との間を遠ざけようとする。父からは月々手紙が来るけれど、決してそれを守安には見せない。そうして一年に一度、正月の元日に、自分で守安に口授して父に宛てた手紙を書かせる。その文句は、子が父に送る様な意味では無い。極めて余所余所しい唯の挨拶だけである。此の外に音信は通じない。

 疎(うと)ければ疎いだけ益々子を思うのが父の情である。幾等軍人の我慢でも、此の情に勝つことは出来ないから、少佐は時々忍んで巴里へ行く。そうして日曜日に守安が桐野の家族に連れられてゆく教会堂の庭の横手に在る樹の陰に隠れ、守安が説教を聞く姿を横から覗いたり、後ろから観たりして、わずかに懐かしさを癒して帰る。

 守安の方ではそうとは知らない。一年に一度送る手紙で自分に父の有ることだけは知っているけれど。実に冷淡な、少しも子を愛さない父だと思って居る。そうして物心の附くに従い
父を愛せる心を移して、桐野の老主人を愛するのだ。此の老主人と言うのは、当時名高い長寿の人で、既に九十歳に及んで居るけれど、三十二本の歯が一本も欠けて居ない。その上に外へ妾をも囲うて有る。それに又守安を愛するのも一通では無い。

 結局は守安を孫として、自分が守安から愛せられ度い。それだから守安と父との間を益々疎くする様に勉めるのだ。
 遂に守安は満十七歳とは為った。法律の学校をも、優等の成績を以て卒業した。或時守安が外から帰って来ると、老主人は何処からか来た一通の手紙を、今読み終わったと言う様に手に持って居て、
 「守安、明朝一番の馬車で直ぐにベルノンへ行け。」
と言った。

 守安「何の為です。」
 老「お前の父が病気だから、見舞いの為に。」
 兼ねて守安は此の老人から父の事を極めて悪し様に聞いて居る。
 「朝敵」だの「国賊」だの、時に依ると近づくべからざる危険の人の様に言われたことも有る。それが為に、父の許へ行く事を半分は嬉しく半分は恐ろしく感じた。けれど少しの躊躇もせず、翌朝一番出の馬車に乗り、ベルノンへ行った。父の家と聞く家は、家で無い、小屋である。唯日当たりの好い庭に少し許りの花壇が有るのみだ。

 直ぐに家の中へ入って見ると、僧侶らしい一人と、医者らしい一人とが死骸の枕許に、悄然と控えて居る。死骸が即ち父である本田圓である。流石に守安は目に涙が浮かんだ。一言も声は出ない。死骸の目にも涙が浮かんで居る。直ぐに僧侶らしい一人は守安を迎え、
 「貴方のお出でが半時間遅かった。此の方の様に、子を愛する父が又と世間に有りましょうか。」
と言い、更に父の死に際の様子を説明した。その言葉で見ると、死に際までも、「守安」、「守安」と言い、熱病で殆ど人事不省で有ったけれど、突然寝台の上に起き、
 「オオ、守安か、好く来た。」
と叫んだままで息が絶えたとの事である。

 何うも平生聞いて居た非道な父と、今此の人から聞く慈愛の深い父と、様子が違って居る様に思われるけれど、目の前の死骸の顔を見ては、今聞く事柄が嘘とは思われない。真に威儀も有り、情けも有る勇士の顔付が、自ずから現れて居る様に思われる。
 そこで葬式を済ませるまで守安は此の地に逗留した。

 父の後には何も残らない。財産は皆無。借金もまた皆無。残るは惟一通の簡単な遺言状である。無論守安へ宛ててある。その文は、
 「我が子よ、皇帝(拿翁(ナポレオン))は、水塿(ワーテルロー)の戦場にて、余を男爵に叙し給へり、今の国王の朝廷は、此の爵位を無視すると雖も、是は余が余の血を以て得た所の者である。我が子よ、此の爵位を汝自らのものとせよ。余は汝が、父の子たるに恥じざるを信じるなり。」

 何という健気な書き方だろう。充分に気風が見えて居る。そうしてその裏に、
 同じ水塿(ワーテルロー)の戦場にて、余の一命を救った軍曹がある。名を手鳴田言う。後に聞き糺(ただ)した所に依れば、此の人はモントフアーメルに於いて、旅館を営んでいる由。我が子よ、汝、此の人に逢ったなら、汝が可能な限りの力を以て、此の人に善を為せ。以て父の受けた命の恩を返せ。」
と書いてある。厳重な命令である。



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