aamujyou73
噫無情(ああむじょう) (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
ビクトル・ユーゴ― 作 黒岩涙香 翻訳 トシ 口語訳
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噫無情 仏国 ユゴー先生作 日本 涙香小史 訳
七十三 本田守安 二
何うかすると世間には、自分の子をさほど可愛いく思わない父が有る。けれど孫を可愛がらぬ祖父(じい)さんは決して無い。孫は子よりも可愛いと経験の有る人が皆言うのだ。
桐野家の老主人は守安の祖父(じい)さんである。守安はその孫である。養子養孫とは言う者の実の娘に出来た子なんだもの、全く血を分けた孫と言う者だ。仮令へ勘当したとは言え、可愛いく無くて何としよう。
守安の出た後で此の祖父さんは言った。
「エエ、不埒な奴だ。憎い奴だ。俺の手で育てたのに、拿翁(ナポレオン)党に心を寄せるなどと、拿翁党は革命党では無いか。朝廷の敵では無いか。即ち共和党では無いか。あの様な奴は、餓えて路傍《道端》に野倒れ死にでもするが好いワ。イヤ待てよ、野倒れ死にしては此の家の恥だ。当人は憎いけれど此の家の名前には代えられない。勘当はしても野倒れ死にしない丈の食料は贈って遣らなければ。そうだ一年に五十圓、アア百圓、アア百圓で沢山だ。その代わり幾等頭を下げて詫びて来たとて、此の勘当は未来永劫許さぬぞ。」
そこで家内中に命令し、
「決して此の家で守安の噂をしては成らぬ。」
と言い渡した。
けれど幾月をか経ると、祖父さんは、家内中誰一人、我が前で守安の噂をしないのが、物足りない心地のする様に成った。頭を下げて詫びて来るだろうと思ったのが、詫びても来ない。
「彼奴(きゃつ)は、何所に何の様な事をして居るのか。」
と時々憎々しげに呟(つぶや)くのは、その便りが聞き度いのだ。
果ては又言った。
「本当に呆れた奴だ。詫びに来ようともしない。此の様な不心得な奴を、何して勘当を許すものか。」
誰も許して呉れとは言わないのに、自分一人で、
「許さぬ、許さぬ。」
と気張って居るのは、心の底に、
「許し度い、許し度い。」
との気が、其の実満ち満ちて居るのだ。
併し音沙汰が無い。此の間守安は何をして居るのだろう。一年百圓と定めた、野倒れ死にの予防費さえも送り届ける事が出来ない。
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