巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.6.21

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第一回

 仏国(フランス)の俚諺(ことわざ)に「最も貴婦人に似たるは色を売る女なり」と言う言葉がある。其意(そのこころ)は我国で私窩子(じごく)と言う類(たぐい)の賎しい女が彼の国では最も奢(おご)りを極め、最も貴人に愛せられるためだと聞く。今ここに報ずる物語は、その「最も貴婦人に似たり」と言う、汚らはしい社会から出た事柄である。しかしながら、泥の中にも蓮の花がある。汚らわしい所から出た者が、必ず汚れているとは限らない。その次第はこの話しを読み終った後に知る事ができる。

 パリの都でフランス座と言うのは最も繁昌(はんじょう)する芝居であるが、或る土曜日の夜、その桟敷の高い所に年三十七、八と二十一、になる二人の女客があった。二人ともその服装(こしらへ)を見れば、情けを鬻(ひさ)ぐ女である。今は丁度幕合なので、若い女は眼を八方に配り、衣服(みなり)の立派な人を認める度に、年長(た)けた女に振向き、指(ゆびさ)して其名前を問うと、年長けた女は一々これを説き聞かせた。

 (新造)姉(ねえ)さん、彼(あ)の顔の青い人は誰です。
 (年増)アレハ福地さんだアネ。
 (新造)アの向うのは。
 (年増)彼(あ)れは益田さんサ。
 (新)それから三ツ目に居るのは確か爺村さんですネエ。
 (年増)でも感心に覚えているネ。

 猶(なお)彼れ是れと指示する中に、年増は我桟敷の直(すぐ)下の、一個(ひとり)の婦人に目を注ぎ、
 「オヤ能(よ)く似た方も有る者だ!」
と云えば、新造は迫(せり)寄って、
 「姉(ねえ)さん誰です。誰に似て居ます。」
 (年)イエサ、お前は知ら無いよ。この下に居るアノ婦人がネ。日頃私が尋ねている方に、似て居ると言う事サ。
 (新)爾(そう)ですか。彼(あ)の婦人なら、夜前も来て居ましたよ。

 年増は暫(しば)らく考える様子だったが、この様な所へ兼ねて馴染みの間と見え、三十ばかりになる痩形(やせがた)の紳士が、遠慮も無く入って来て、
 「何を密々(ひそひそ)話して居るのだ。」
 この紳士は姓を山田と呼ぶと見え、
 (年)山田さん。貴方この下に居る婦人を知りませんか。
 (山)ムム、彼(あ)れか、彼(あ)れは実に不思議だよ。怪物だよ。
 (年)何が怪物です。

 (山)イヤサ、この下の女さ。この一週間前から、見物人の中で大層な評判だよ。ソレ彼(あ)の通り双眼鏡(とおめがね)を以って、見物人を見て居るだろう。何でも色男をか何かを探して居る者と見え、毎夜この芝居へ入込むが、幕が開いても舞台は見ずに、アの通り見物の顔ばかり覗いて居るよ。アの衣服(みなり)では、英国の貴婦人だが、爾(そう)さ、年は四十でも有ろうか、従者さえ連れず、唯一人でアの通り厚い覆面をしてサ、何でも深い仔細が有るのだぜ。尋常(ただもの)じゃ無いよ。

 (年)ですが何処から来るのです。
 (山)夫(それ)が奇妙サ。巳(おれ)と一所の倶楽部に居る、絵入り新聞記者が、彼(あ)の婦人こそ何か種に成りそうだと、一昨日の晩、芝居が散(はね)た時、跡を踪(つ)けて云ったのヨ。スルト彼の馬鳥(うまとり)町の林屋へ入ったそうで、林屋の離れ座敷を借りて、泊って居ると見える。

 この言葉を聞き、年増は益々心に思ふ事が有るようで、暫(しば)し首を垂れて考えた末、
 「林屋とは、アのお民さんの家ですね。」
 (山)爾(そ)うよ。
 (年)夫(それ)なら今夜行って聞いて見ましょう。

 更に二言、三言雑談(はなし)て居るうち、幕は再び開いたので、山田は己(おの)が桟敷に帰ったが、この夜年増は芝居の散(はね)た後、連れの女に分かれ、彼の馬鳥(うまとり)町の林屋に訪ねて行った。そもそもこの年増とは何者だろう。又林屋とは如何(どの)ような家だろう。

 年増は弄蓮(ろうれん)夫人とも呼ばれ、又お蓮とも名付けられ、一頃はこの類の美人社会では、飛鳥を落とす迄に売り出したけれど、永く賎しい業を営む心は無いので、早く身を清めて田舎に引退こうしているが、今は多少の財産を作り、大姉株に推される者である。

 又林屋<原名ハーシース>と言うのは、同じ私窩子(じごく)屋の類で、宿屋と博打屋を兼ね、多く貴顕紳士の出入りする所である。その女主のお民(タム)は略(ほ)ぼお蓮と似たり寄ったりの身の上である。

 それはさて置き、お蓮は林屋に訪ねて行ったが、夜は早や一時に近かったのに、戯(たわむ)れ事に夜を明かす家なので、案内も乞わずお民の室(へや)に入って行って、先程芝居で見認(みと)めた、怪しい婦人の事を問うと、件の婦人はこの林屋の一室(ひとま)に宿る者であるが、朝早く出て夜遅く帰るだけなので、お民もその素性を知らない。

 又初めこの婦人がこの家に来た次第を聞くと、今から二週間程前に、華族の家令とも覚しき人が来て、空間は無いかと尋ねたので、幸い空いて居た離れ座敷を示すと、貴婦人の居間に充てると言って、三月分の前金を与えて帰ったが、その家令、翌日は寝台その外の諸道具を運んで来て、それから二、三日を経て件の婦人が単身(ひとり)で入って来て、妾の為に一室を設けてある筈であるがと言うので、お民は前の室に通した。その後彼の家令は一度も来なかった。

 婦人は毎日出行(ある)くので、未だその名前さえ聞いていないと言う。お蓮は故あって、彼の婦人の身の上を知りたいと思い来たのだが、之ばかりの事を聞いただけで、空しく帰るのは本意では無いので、非常に残念な様子でお民に向かい、

 「実ハネ、英国の貴婦人で、私が兼ねて尋ねて居る婦人が有るが、若しこの家に泊まって居る婦人が、その人では無いかと思うから来たのだが、お前能(よ)くアの方の身の上を聞き正して呉れ舞いか。」
と言うと、お民は笑みを含み、

 「では斯(こ)うお仕な、お前だから話すがネ、アの離れ座敷には壁の後背(うしろ)に隠れる所が有るのだよ。その中へ隠れて婦人の帰るのを待っては何(どう)だえ。」
 (蓮)でも帰った時若し・・・
 (民)イヤ大丈夫、後ろから忍び入る様に成って居るから、見咎められる気遣いは無い。充分見た上で、裏口から密(そっ)と帰れば好いワネ。

 暗い所に隠れて他人の様子を伺うのは、非常に罪深い行いなので、お蓮も初めは辞退したが、終にはその言葉に従って、壁一重隔てた小座敷に忍び入った。この座敷は座敷の客を窺(うかが)うが為めに作ったものなので、壁に二ツの細い穴がある。しかしながら座敷から見る時はこの穴は少しも分からない。それは如何してか尋ねると、座敷の壁に非常に大きな美人の半身像を刻み、其眼にガラスを嵌めてある。表から見る時は、麗しい美人の眼であるが裏から見れば眼鏡である。「壁に耳」より猶(な)お驚くべき仕掛けである。

 お蓮は唯一人此所(ここ)に隠れて居る中、怪しの婦人が帰って来た。そもそもお蓮は、何故にこの婦人を見届け様とするのだろう。又この婦人は如何なる事を為すのだろう。



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