巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第二十五回

  お仙は猶(なお)も言葉を継ぎ、
 「綾部さん、彼(あ)の阿母(おっか)さんが云ますには、此の頃私に二百万とやらの身代が出来たので、夫(それ)で貴方が私を捨てるのだと申します。本当に爾(そう)ですか。貴方は身代の為に私を捨てますか。私も今二年経てば二十歳と為り、法律とやらで一人前の女と為りますから、其の時には此の身代を捨てて仕舞います。貴方其の時まで待って呉れますか。」

 世間知らずの娘気に、身代を捨てて迄も身を託そうと掻き口説く、此の切なる心には綾部も答える言葉なし。
 (仙)又阿母さんは私が私生の子だから夫(それ)を貴方が嫌うのだと云いますけれど、是も阿母さんの罪では有りません。私の父は、未だ表向きの婚礼をする前に、死亡(なくな)ったと云いますが、何も阿母さんが殺したと云うのでは無し、若死にする人を愛したのは、阿母さんの不仕合せと云う者、少しも恥には成らないでしょう。

 今若し貴方が死にでもすれば、私が貴方を愛した為に、世間で私を賤しみますか。愛する男に死なれる女は幾等も有りましょう。夫(それ)が何で女の恥になりますエ。阿母さんが婚礼する前に愛する男に死なれたからと言って、夫で貴方が愛想を尽かすとは、私には合点が参りません。夫に又阿母さんは花房屋お蓮と呼ばれ、彼(あ)の様な立派な家に住んで、堅気の人には捨てられると云いましたが、是も合点が行きませぬ。花房屋お蓮と言ったら何所が悪いのです。立派な家に住めば何が汚らわしいのです。

ト訳さえ知らず問い責めるのは、猶更(なおさら)に意地らしい。アア花房屋お蓮とは、当時仏国では知らない者の無いデミモンドの名前である。故に汚らわしい。お蓮の財産は総て是、あ人の欲情を幸いとし、媚を売って集めた者である。故に汚らわしい。

 お蓮一たび花房丈次郎を愛した事は恥ではないが、其の死んだ後で、仮令(たと)え貧苦の為とは言え、操を汚してデミモンドに身を落とした故に汚らわしいのだ。今若しこの様な訳を一々に説き聞かせたなら、お仙の悲しみはどんなだろう。差しもの綾部も、これこれ斯(こ)うだとは答える事が出来ず、思案に余って俯(うつむ)くばかり。

 此の時誰やら、外から入り口の襖をを軽く叩く者があった。悪い所へ来られたと、心には思ったが、我が口から、留守だとは断る事も出来ないので、周章(あわて)てお仙を次の間に隠して置き、
 「何方です。」
と云いながら襖を開くと、誰かと思いきや、是も年若い美人である。立派に着飾ったデミモンドである。

 綾部はこの様な美人に尋ねられる心当たりがないので、呆気に取られ言葉さえ出て来なかったが、彼方(あちら)は非常に馴れ馴れしく、
 「貴方が綾部さんですネー、綾部さん、アレ、先ア、何ですネ、其の様な恐ろしい顔してサー、私は此の家の下女や給仕などじゃ有りませんから、敷居の外に立たされるのは嫌ですよ。早く内へ入れて下さいな。」

ト早や無遠慮にも、押し入ろうとする有様なので、綾部は持て余し、
 「イヤ、唯今は来客が有って、お通し申す訳には行きません。」
 (女)アレ、先(ま)、悪(にく)らしい事、空とぼけてサ、貴方、先刻(さきほど)から私の来るのを待って居たではありませんか。
 (綾)コレは怪しからん。
 (女)アア、爾々(そうそう)、初めから言は無きゃ分かりません。有浦さんから茲(ここ)まで来て呉れと、特々(わざわざ)手紙を寄越ししたンですよ。彼(あ)の大尉有浦さんから。夫(それ)で私も大急ぎで来たのです。分かりましたか。

 (綾)ナニ、有浦が貴方を呼び寄せたと。
 (女)爾(そう)ですとも、夫だから来たのですア。何(いず)れにしろ、茲(ここ)では話も出来ません。御免下さい、入りますから。
 (綾)イヤサ、来客が有ると言っているのに。
 (女)来客位が何ですネ。好い加減にして、早くお帰し成さいな。又お客もお客だ。何時までも腰を据えてさ。早く帰れば好いのに。
と益々無礼な此の言葉、若しお仙嬢の耳に入ったならば、嬢は我を何(ど)の様に思ふ事だろうと、綾部は心苦しいこと限りが無かった。

 其の中、女は早くも開げた綾部の手を潜(くぐ)って、室(へや)の中に進み入り、作法も無く長い椅子に身を投げ掛け、
 「ああ早く貴方に逢ひ度いと、大急ぎで来ましたから、もう息が切れて、綾部さん、サその様に睨んでばかり居ないで、茲(ここ)へお掛けなさい。緩々(ゆるゆる)と話しも仕ますから。」
と云いながら綾部の機嫌の悪い顔を見て、

 「オヤ、貴方は私を嫌ふのですか。夫(それ)はお気の毒さま、ナニ情婦(いろ)でも心配する事は有りません。何も私が無理に貴方の女房に成ると云うのでも有りませんから。」
と愈々出て愈々奇怪な此の言葉を、綾部も又ハ許し難いと思い、
 「余り失敬な。」
と言いながら、掴(つか)み出そうとする折も折り、

 次の間で、今まで様子を聞いて居たお仙嬢、今は聞くことでさえ、耐える事が出来ないと、合いの戸張りを掻き開き、此の室(へや)を通って、早や入り口から、出て去ろうとするので、綾部は益々周章(あわ)て、
 「お仙さん、暫く。」
と引き留めるのを振り払い、
 「イエ、通して下さいませ。此様な恥ずかしい目にあってー、貴方には最(も)う愛想が尽きました。」
と云いながら、後をも見ず、忽ち梯子段を降り、去ってしまった。

 此の時若し前に廻ってお仙嬢の顔を見たとしたなら、怒りを帯た眦(まなじり)から、悔し涙が点々と滴(したた)るのを見留める事が出来ただろう。この様に綾部に愛想を尽かせた、此の意地悪い女は何者だ。是も綾部とお仙の間を割こうとする、彼の曲者の為(なせ)る業であるとは、読む者はもう既に推測して居る事でしょう。

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