巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第四十一回

 花房屋お蓮は人に隠して娘を持って居た。娘の為にデミモンドの籍を引いたとの噂、此の頃人の口端に掛る事と為ったので、此の噂の続く限りは、お仙の出世も覚束ないので、お蓮は何とかして此の噂を取り消そうと思い、この様に宴会を開いて、この様に有浦の知って居る人々を招いたのだ。酒将(まさ)に酣(たけな)わになった頃、お蓮は笑顔をつくって人々に向い、

 「今日は皆様に祝って戴く事が有ります。私は露国(ロシア)の皇族に身受けされ、愈々(いよいよ)廃業する事になりました。」
と言うと、人々は其の意を知らないので、口々に目出度いと唱えて、手を拍(う)ったが、中に林屋お民は怪しそうに、
 「ダッてお蓮さん、お前には娘が有って、其の為に田舎へ引っ込むと言う噂が有るゼ。」

 お蓮は打ち笑って、それが私しの手だワネ。娘が有ると言えば、堅気の様に見えるから、先も安心するだろうじゃないか。先はお前皇族だもの、デミモンドだなどと言っては寄せ付けも仕舞いヤネ。だから私は友達の山田蔦江と言う女の娘を借りて来て、我が娘の様に言いふらしたのサ。」
と言葉軽く言い紛(まぎ)らすと、一同はお蓮の出世を祝い、或いは何時出立すると、問うも有れば、皇族の年を問うも有り、何れも全く誠と思い、さては彼の娘の噂も、実は其の為の計略だったかと、疑いの影さえも掻き消した。

 この様にして置けば、是からは、お仙をお蓮の子とは思わず、外に山田蔦江と言う女が居て、其の女の娘だろうと思うのは確実なので、お蓮は我が言葉の図に当たった事を喜びながら、益々人々を酔わせた。
 頓(やが)て夜も早や十一時と為り、興尽きようとして、今だ尽きず、人々が夢中に漂う様になっている隙を見て、お蓮は密かに此の場を外し、帽子さえも被(かぶ)らずに、英国茶館の裏口からた忍び出て、通り合わす馬車に乗り、瀬音川の波止場まで急がせた。

 昼の中は押しも切れない程雑踏する波止場であるが、夜の十一時に至っては、人影さえも無いので、少し離れた所で馬車を返し、震える足を踏み〆ながら桟橋の尽きる所に身を立てて、川の底を眺めていると、水は深く流れに声なく、物凄いほど静かである。

 暫くの間は気後れして、我にも無く躊躇(ためら)っていたが、我が死んだ後は、お仙の悲しみが思い遣られるが、我が身さえ、此の世に無ければ、綾部も、よもやお仙を捨てはしないだろう。綾部には細々の手紙を以って我が心を告げたので、若し彼(あ)の手紙を見る時には、死してまで、娘の汚れを清めようとする我が心を憐れんで、再びお仙を愛しもしよう。

 お仙は今でさえ、綾部の事を忘れ兼ね、日に増して鬱(ふさ)ぐ程なので、綾部の愛に心が移って、我が亡き悲しみは、日に薄らぎ、行く末楽しく暮らすに違いない。
 我が死んだ後、綾部が未だ剛情にしていて、憐れみの心を起こさなければ、是は人であっても人では無い。お仙の婿夫には不似合いだ。その時こそお仙の身には相応の身代も有ることなので、他に然る可き婿夫も有るだろう。

 万事は細々書き遺(お)いて置いたので、臨終に思い残す事は無い。それに又お仙には律儀な鶴女さえ附き添えば、茲(ここ)に至って、心配する事は何も無いと、漸く心を定めたので、両手を組んで胸に当て、眠れる水の真中(ただなか)に、躍り入ろうとする間も無く、後ろから、
 「死ぬには及びません。山田蔦江嬢。」
と声掛けて、お蓮の首筋を確(しっ)かと抑へ、否やも言わせず四、五間ばかり引き戻す者が居た。お蓮は藻掻いて、漸(ようや)く後ろを振り向き、波止場の瓦斯灯に透かして見ると、ここに来ようとは思っても居なかった、今まで我が口に其の名を唱えて居た、少年貴族伯爵綾部安道であった。

 是で話しを決闘の條(くだり)に返る。
 突き来る蘭樽の剣先(きっさき)の鋭さに、綾部は敵し兼ねて、一足二足退きながら、今や危うしと思う折りしも、忽(たちま)ち後ろの塀の上から、
 「其の蘭樽を殺して仕舞え。」
と叫ぶ者が居た。

 綾部は必死の折りだったので、其の声は耳に入らなかったが、落ち着いていた蘭樽は、早くも打ち驚き、思はずも塀の方を見上げようとする其の一髪の隙に、綾部の剣を受け損じた。
 綾部の剣は彼の心臓に深く入った。さしもの蘭樽も堪り兼ね、
 「残念」
と一声叫んで倒れたが、是こそ此の世の余波(なごり)であった。

 倒れた儘(まま)で息も無く脈も無し。塀から叫んだのは、別人ならない勘次であった。勘次は約束の通り、塀の外で待って居たが、綾部が出て来る様子が無く、其の中に剣のびゅんびゅんと渡り合う音が聞こえて来たので、我慢が出来なくなり、塀に上って、蘭樽を殺せと叫んだものだった。

 頓(やが)て勘次は降りて来て、大尉に向い、蘭樽の悪事を知れるだけ語ったので、有浦は初めて蘭樽が、即ち入山鐘堂で有る事を知り、今まで不覚にも、我が身が欺(あざむ)かれて居たことを悔いた。しかしながら、此の儘(まま)捨てて置く可きでは無いので、有浦、町田の両人から、直に蘭樽が決闘で果てた事を警察へ届けると、家の内の決闘ということで、事が非常に面倒と為り、有浦、町田、綾部、勘次四人残らず拘引され、種々の取り調べを受けたが、固(もと)より真正の決闘で、人殺しでは無い事が分かり、且つは蘭樽の身の上に就(つ)いても、三日の内に充分な証拠が上がり、蘭樽とは偽名にして、実は英国貴族花房丈次郎の従兄弟入山鐘堂である事。

 今から十余年前、ドバの旅宿に於いて、丈次郎を殺したのも、即ち此の鐘堂であって、全く花房家の身代を横領する企みから出たこと。鐘堂はその後各地を流浪し、米国で、私(ひそ)か仏国貴族蘭樽と云う豪商を毒殺し、其の名を奪って、仏国に来て、林屋お民の家で、妹李(まりい)夫人を殺した事、其の外種々の大悪事が現われたので、四人は五日目に成り、直ちに警察署限りで放免された。
 この様にして、綾部は五日目の夕方、我が宿に帰ったところ、お蓮から一通の手紙を送って来たので、開いて見ると、非常に長い書置きで、

 「妾(わらわ)さえ無き者と為ったなら、お仙は英国の貴族の胤で、其の身の汚れも消えるから、末長く目を掛けて呉れとの旨を細々と認(したた)めてあり、打ち驚いて、早速丸屋町に在る、お蓮の家に馳せ付けたが、お蓮は英国茶館の、宴会に臨んで居るとの事だったので、又も同所に急いで行き、丁度お蓮が馬車に乗るところを認めたので、同じく馬車に乗って、其の後を追って来たものだった。

 お蓮が綾部の顔を見て、余りの驚きに、今だ物さえも言わない中、綾部は早くも言葉を発し、
 「コレ、死ぬるには及びません。死ぬ覚悟を極めたからは、今までの汚れは消えました。委細は手紙で知りましたが。」
と、理を分け、情を尽くして其の死を思ひ止まらせようと努める所へ、又も一人、
 「コレお蓮、それは綾部の言う通りだ。」
と言って現われ出たのは有浦である。有浦も綾部と同じく、手紙に驚いて、此所まで踪(つ)けて来たのだ。是から有浦は、今まで綾部がお仙の為に一方ならず力を尽くし、終には命を賭けて決闘した事、蘭樽が実は入山鐘堂(しょうどう)である事まで短く語ったので、お蓮は益々綾部の有難さに感じ、草の上へ泣き伏して、其の恩を謝したと言う。

 是から三月後の事である。有浦、綾部、蔦江、お仙はスイスに向け旅行したが、其の翌年、旅行先で、蔦江は有浦夫人と為り、お仙は綾部夫人となって、二組の新婚夫婦が、打ち連れて英国に渡った。綾部夫人は遠からず妹李(まりい)夫人の財産を受け継ぎ、一同と共に帰国するに違いない。

 鶴女は未だ、伊太利村の家に居た。其の他此の篇中に時々名を出した人々は別に変わることは無かった。唯弁蔵と今一人の曲者は、逃げ失せて、今なお行方が知れ無い。林屋お民の家に在る恐ろしい寝台は、一昨年の監獄博覧会に、参考品として出品されたと言う。

大尾(終り)


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