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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  武士道上編 一名「秘密袋」          涙香小史 訳

               第三十五回

 この様にして縄村中尉は、弥生が再び共和軍の手に落ちた報いとして其の身も再び勤王軍の捕虜と為り、従僕鉄助と共に二人の士官に前後を守られ、只管(ひたすら)勤王軍の陣を指して馬を馳せたが、勤王軍の陣はポントルソンと相対するプレシーという丘の中腹にある小村に在る。やがて茲(ここ)に達したが、過日来グランビル市の戦いに打ち負けて落ちて来ている兵卒共、更にポントビル攻撃の用意に忙しい様子である。

 中尉は其の者等の姿を見たが、一揆軍の綽名(あだな)に背かず、いづれも百姓の上がりで、背丈年齢等も同じでは無い。老いたのも有り、更にその服装に至っては野に働く仕事着を其の儘(まま)着けている者多く、中には敵から分取った剣などを幾本もと無く縄に結んで腰に下げている者も有り、一目で彼らが今迄嘗めた艱苦の様も思い遣られるので、中尉は深く感心して、鉄助に向ひ、

 「こんな百姓等が勤王と言う忠義の心を以って今迄幾月の間、共和国の正々堂々たる陸軍を相手にして戦ったのは実に感心だ。」
 鉄助も深く感嘆して、
 「其れに彼等は少しも疲れた色が見えません。グランビル市から此処まで三十哩(マイル(約55km))も落ちて来て昨夜も夜通し戦ったと言いますから、きっと充分な食物も無く、眠りもせずに居るのでしょうが、それでも勇気が顔に顕(あらわ)れていますよ。一人一人としては陸軍の兵より幾等強いか分かりません。此の様子では多分ポントルソンを攻め落としましょう。

 縄「俺も爾(そ)う思う。」
言う折しも中尉を護(まも)るレシエー隊長は向こうの方から砲車を引いて来る一人の大男に向い、
 「コレ黒兵衛、貴様の主人は如何したか。」
と問ひ掛けると、
 黒「アア、小桜露人様ですか。お傷が未だ十分には癒えないけれど、馬に乗れば号令するだけの事は出来ると云い、先刻分隊を率いて敵軍の横手へ出張しました。」

 手傷の未だ癒えないのに、既に馬に乗り戦線に出張するとは何と其の意気の壮(さか)んなことか。レシエー隊長は縄村中尉に向い、
 「貴方を将官の会議に付するのはどうせポトルソンを攻め落とした後ですから、其れまで貴方を此の者に預けて置きます。」
と云い、更に黒兵衛に向って中尉と鉄助を保監すべき旨を告げ、其の身はヂレー士官と共に立去ると、後に黒兵衛は中尉の顔を眺め、

 「フム、弥生様を救う為に行ったけれど、うまく救えなかったから約束を守って帰って来たな。共和軍の中にも貴様の様な奴が居るとは感心だ。」
 言葉の無礼なのに中尉は怒り、
 「貴様とは失敬な言い様だ。」
 黒兵衛はカラカラと笑い、
 「お互いだよ。俺が若し貴様の軍に生け取られたら時に、貴様が又俺を貴様、貴様と叱り付ければ好い。武士は相見互いと言うじゃないか。」
 淡白なる言い開きに中尉は却(かえ)って笑いを催(もよお)し、
 「フム、貴様は中々面白い男だ。」

 黒「面白い男などと俺を慰み者の様に思っては間違うぞ。砲車を一台分取って此の通り自分で引いているからは、砲兵の士官も同様だ。貴様と先ず同格と言うもの。見ろ、此の砲車を、此の前の戦争で俺が貴様の軍から分捕ったのだ。見覚えが有るだろう。」
 如何にも共和軍の砲車なので、中尉は感心もし、腹立たしくも有り、
 「貴様の軍は泥棒の寄り合いだ。」

 黒「貴様の軍こそ国王を廃して其の政権を盗んだ奴等の寄り合いではないか。其の返礼にせめては武器でも盗んで遣るのだ。見ろ、俺の軍には一人も武器らしい武器を持っている奴は無い。武器が欲しければ敵を殺して分取ると決まっている。」
 なる程一軍の武器殆ど皆分取品から成る様な有様なので、中尉は益々感じ入り、
 「武器は取っても弾薬は如何するのだ。」

 黒「矢張り敵の弾薬を奪うのサ。分取物をするには俺ほどの名人は無い。」
 縄「兵糧は」
 黒「兵糧も敵を追い散らして敵の兵糧を奪うのサ」
 縄「その様に苦しい想ひをして、誰からどの様な賞誉(しょうよ)を得るのだ。」
 黒兵衛は目を見張り、
 「何だ、賞誉とな、その様な汚らはしい事を言って呉れるな。俺などは忠義の為に戦うのだ。之が勤皇の忠義と思えば殺されても心の中で愉快に思うワ。」

 中尉は全く腹立たしさを打ち忘れ、唯嘆賞(たんしょう)の一念にて、
 「アア、貴様は実に勇士だ、身分は下僕でも心は世に珍しい勇士だ。」
 黒「俺を勇士、成るほど、共和軍には勇士は珍しかろうが、俺の軍では銘銘に自分で引くのだ。ドレ、序(ついで)に俺の力を見せて遣ろうか。驚くなよ。」
と言いながら砲の一方を持って、軽く揚げて示すと、

 縄「ナニ、腕力を褒めるのでは無い。心を褒めるのだ。俺は愈々(いよいよ)此の軍に射殺される場合には、せめて貴様の様な勇士に射殺されたい。」
 黒「ヘン、この野郎、死に際に共和軍万歳と、汚らわしい声を俺に聞かせて腹癒す(はらいせ)をしようと思って、エエ好いワ、武士は互いだ。俺だって若し貴様の軍に生け捕られたら、成るべく勇士に射殺され、我が軍万歳の声を聞かせて遣りたいワ。好し、好し、俺が射殺す役を勤めて遣る。貴様は女の様な顔だけれど、中々話せる奴だ。」
と言う。勇士と勇士の意気自ずから投合したものか、早や両人打ち解けて長年の友達の様だ。

 この様な所へ姿の卑しくない年十四、五と見える優しい少女、何処からか馳せて来て黒兵衛の腕に縋(すが)り、
 「爺や、腹が空いたよ。」
と飢えを訴えるのに、黒兵衛は鬼の目の涙とやら、愛(いと)しそうに、其の顔を眺め、
 「オオ、お可哀想に。」
と言って両眼に涙を浮かべた。



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