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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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 武士道後編 一名「秘密袋」                涙香小史 訳

               第五十七回

 腕八が猶(なお)も弥生に施(ほど)こそうとする手段は、弥生を刑場に引き出して、他の囚人の死刑に処せられる無残な様を、見せつけようとする事に在る。死刑が恐ろしいのは誰人も良く知っているが、之を見るのは之を聞くより更に恐ろしい。

 目の当たりに憐れむべき囚人が力無く刑台に連れ上られるのを見、首切り台に備(そな)え付けた鋭い刃が日光に光って上がり下りするのを見、その下がると共に人の首が前に落ちて鮮血迸(ほばし)り、その上ると共に刃に残っている血の露が点滴(あまだれ)の様に垂れるのを見ては、如何(いか)に大胆な人でも恐れ戦(おのの)かざるを得ない。
 
 況(ま)してや其の身も同じ刑場に入り、此の恐るべき刃が間も無く我が頭上に落ち来るかと思えば魂驚き魄消えて人心地を失わない者は殆(ほとん)ど居ない。なので昔の裁判は強情なる囚人が有る度に之を刑場に引き出だし、他の囚人の殺される様を目撃させ、汝(なんじ)も更に強情を張るなら、この様な目に逢わされるのだとの意示すことが間々在ったが、大抵の罪人は忽(たちま)ち度胸を失って、復(ま)た強情を張ることが出来なくなると言う。

 当時はこの様な習慣がまだ存し、之を懲戒処分と名づけて居た。
 腕八は牢番と語らって弥生をも刑場に引き出だし、此の処分に依ってその強情を懲らしめ、袋の秘密を白状させようと思い着(つ)いたのだ。此の処分を施(ほどこ)さ無いうちは、弥生が如何(どれ)ほど知ら無いと言い張っても、真に知ら無いとは認め難いと彼は深く思い詰めた。

 南都の獄に満ち満ちた囚人の、日々死刑に処せられる者、或いは銃殺、或いは惨殺、或いは溺殺など数多の方法に依り、百名より下る事は無く、斬殺だけでも日に四十名より少ない日は無い。良くもこれ程まで罪人の数が多く、これ程まで暴虐な政治が行われた事だと今の人には怪しまれる次第であるが、革命時代の仏国(フランス)は全国宛(さなが)ら激しい戦場と化していて、王制廃(すた)れて共和の政治起こり、制度法律未だ備なわらず、人心は未だ平穏になって居なかったので、共和政府は唯暴力を以って下を修めようとし、無惨極まる議決を作り、其の議決を執行する人をば政府の代表者と名付けて各地に派し、その人の随意を以って一地方限りの法律をさえ作らせたので、何(いず)れの地方にも寝耳に水とも言うべき意外な法律が日々に新に現われて、人民之を知る暇無く、自ら法律に触れたとは思わずに、之に触れること多く、容赦無く捕らわれて獄に下され、何の尋問をも裁判をも受けずに直ちに刑場に送られるのを常としていた。

 それでこの時代を「恐怖の時代」と云い、古今世界に例の無い残酷な世とは為っていたが、中でも南都の一地方を預かっていた代表者は名をカリアーと云い、残酷中の残酷を以って後の世にまで轟いた者なので、獄に満ちる者、必ずしも勤王軍の残徒のみでは無かった。国事犯常時犯などと言う区別は無く、少しの疑いの有る者は直ちに捕らわれ、人に恨まれて無実の密告を受ける者も直ちに捕らわれ、特に甚だしいのは、今朝初めて出した法律に、昨夜背いた所業が有ったと言って捕らわれる者さえ有った。

 この様な有様なので、日々幾百人を死刑にしても、まだ囚人が尽き無いのも怪しむには足り無い。殆ど人種の尽き無い限りは、囚人の尽きる時無しと怪しまれたが、弥生も実に此の恐るべき有様の中に混じって居たのだ。



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