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武士道 一名「秘密袋」 (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)
ボアゴベイ作 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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武士道後編 一名「秘密袋」 涙香小史 訳
第六十二回
船に入れられた囚人は其の数百三十名である。いずれも硬く手を縛られ、なお且つ大勢の番人に付き添われて居る事なので抵抗することも出来ず、唯この様な無残な死を遂げようとするのを悲しみ、泣く者あり叫ぶ者が有る。
甲板の一方で此の様を見る黒兵衛は、小桜露人は何処に在るか、弥生は何処に居るかと大勢の顔を見渡すと、灯火の光は行き届かず、其の上人数が多いので中々認めることは出来なかった。其の中に腕八の指図で囚人は順番に船の底に推し籠められ、甲板に残るのは五十人ばかりと成った。
船の底から聞こえて来る泣き声は、水面(みなも)の闇に響き渡って悲しそうな事と言ったら言いようが無かったが、黒兵衛はそれも心に懸けず、只管(ひたすら)露人弥生を探(さが)し求めると、人数が減った為、漸(ようや)く目に留まった。弥生は腕八が特に大事にする様に手ずから縄を取って引き連れ、露人は他の番人が監督して居た。黒兵衛は口の中で、
「フム、腕八は俺の遣る賄賂よりも、薔薇(しょうび)夫人の遺産が大事だから露人様より弥生様を大切にしているワ。」
と呟(つぶや)きながらも、どの様にして腕八が船長を差置いて、この様に指図役の様に働き、己が随意に囚人を処分することが出来るのだろうと気を付けて見ると、道理である、船長は船舷(ふなばた)に腰を掛け、火酒(ブランデー)に泥酔し、囚人の悲しむ様を非常に面白そうに打ち眺め、己が職務を忘れている様子である。全く腕八が其の身自ら権限を握る為、船長に酒を勧めたものと知らる。
やがて腕八は弥生を引いて黒兵衛の前を過ぎ船首の方に連れて行きながら、万が一にも他の囚人と間違わ無い用意と見え、一段高い所に立たせたが、此の時囚人の中に弥生を認めて非常に驚き、
「和女(そなた)も今夜か」
と叫び、其の傍に走り寄る一人あり。是小桜露人である。彼も今まで弥生が此の船中に在るのを知らなかった者と見える。弥生も驚き、
「貴方も」
と云い、初めて目と目を見交わしたが、腕八は二人に話などをさせる事は事が破れる本と見てか、直ちに露人を押さえ留め、
「爾(そ)う自分勝手に動いては了(いけ)ない。」
と言い、彼を黒兵衛の前に連れて来て立たせた。黒兵衛の前は下の乗客室(ケビン)へ下りて行く入り口なので、一つは茲(ここ)に立たせて置き、直ぐに黒兵衛との約束通り露人を「ケビン」へ入れる為で、又一つは黒兵衛にこの様に約束を守りつつ有ると知らせる為である。
此の時河の上手から此の船を追って来る一艘の小舟があった。
「暫(しば)し待て」
と呼び止めてその小舟から此の船に乗り移る三人は、誰あろう水道会相談員と知られる人々で、船長と共に一切の指図を司る役人である。
腕八は是等の人々に来られては、何事も己が意のままに成らなくなるのを恐れ、非常に当惑の色を現したが、三人の中の顔役として知られるメイソンと云う男、腕八の意を察せず、腕八に向かい、オオご苦労だった、之からは俺が指図するよ。」
と云い、更に甲板に立ち並んでいる五十人の囚人を見て、
「オオ、是だけ甲板より河へ投げ込むのか。是は多過ぎる。半分で好い。
腕「でも何時も大抵五十人位です。」
メ「イヤ、今までは、水中で苦しむ奴等の様が物珍しく、面白く感じたから、時間の経つのも構わずに成る丈大勢投げ込んだが、今夜から爾(そう)サ三十人と限りを付けよう。ネエ、同僚」
と云い共に来た両人を顧みると、両人も一斉に、
「爾(そう)だ三十人で沢山だ。」
と答えた。
メーソンは更に腕八に向かい、
「時間ばかり掛っても仕方が無いから、サア此奴(こやつ)から順に二十人だけ船の底へ叩き込み船と共に一思いに沈ませろ。」
と云い、第一に小桜露人を指さした。露人を船底に入れては今迄彼を船底より一段上にある客室へ入れようとの腕八の謀事と全く違う者なので、腕八は非常に当惑して黒兵衛の顔を見ると、彼も小桜を客室に入れて助ける約束を当てにし、特に、
「小桜を客室(ケビン)に入れろ。」
との指図の下るのを待っている身なので、メーソンの言葉を聴いて非常に怒った様子で、斧の柄を確(し)かと握り、斧の刃とメーソンの顔を互い違いに見比べて居た。今一語メーソンの発する言葉如何(いかん)に依っては決起して暴力に訴える覚悟である事は言う迄もない。
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