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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  武士道後編 一名「秘密袋」             涙香小史 訳

               第八十九回

 露人は弥生と中尉の驚く言葉に答える様に語を継いで、
 「ハイ、其の呂一と云う小僧です。彼は勿論、私を知る筈は無く、唯私の死骸を見た時、勤王軍の溺殺者だと思って救う気に成ったと言う事です。溺殺者を救うのは共和政府の政策を破壊する様な者なので、危険極まる仕事では有りますが、彼は長い間弥生と旅をし、勤王軍の事などを多く聞いた為、自然と勤王軍へ心を寄せる事となり、勤王軍人の死骸ならば兎も角も拾い上げ、たとえ命を呼び返す事の出来無いまでも木陰へなりと葬って遣りたいとこの様な心で、舟乗り等には単に自分の知って居る人だと言做(いいな)して漸(ようや)く引き上げたそうです。

 それから体の様子を見るとまだ一命の有る様に見えるので様々に介抱し、到頭息を吹き返させた所、私が夢現(ゆめうつつ)の境を辿りながらも、うわ言の中に黒兵衛だの弥生だの縄村中尉などの名を口走るので、さては兼ねて弥生の話に聞いた小桜露人で有ったかと、この様に思って益々力を尽くしたと言う事で、私の気が確かに成ると彼は直ちに自分の身の上を私に打ち明けました。

 彼の言葉に寄れば、彼は弥生と共に腕八とか言う者に捕えられ、南都付近まで行ったけれど、人の噂に南都へ行けば死刑に処せられると聞いたので、或る夜腕八の眠っている間に密かに逃げ出し、その後は種々苦労してグランビルへ帰ろうとしたけれど、旅券が無い為、其の意を果たさず、漸(ようや)く密航船のある事を聞いて知り、之を尋ねて行った所、幸い其の船頭及び船乗り等は多くグランビル市の者で、前から知っている人達だったので、漸く頼んで載せて貰い、出帆を待って居る所へ私が流れ着いたと云う事です。

 南都の川尻からグランビルの船着きまでは僅かの間に来られる所ですが、天気が悪くて海上が荒れた為、漁船では思うように進むことが出来ず、諸所の灘などに立ち寄って波の静まるのを待ちなどした為、この地へ着いたのは昨夜の九時頃です。

 勿論私はこの地に身を寄せる所も無く、特に船中で病は益々重くなったので、上陸しても路傍に行き倒れと為る外は無いとこの様に思いましたが、唯呂一が励まして呉れ、兎も角病気の癒えるまで無事に潜んで居られる家が有ると云い、この家へ引き連れて来て呉れたのです。

 この家の主人が何者かそれさえ知らなかったので、多少でも我が身に縁の有る人などとは思いも寄る筈も無く、堅く呂一に口留めして我が身の上を口外するなト言い付けて置きましたから、主人も私が何者であるかを知るわけも無く、唯親切にはして呉れましたが、主人自らも病気の事なので詳しくは問もせず、若し貴方方が茲(ここ)へ来なければ、主人も私の誰なのかを知らず、私も主人の誰であるかを知らずにこの世を去る所でした。

 今の今も主人は自分の病苦を耐え忍び、私の枕辺へ来て、今に呂一が保田老医と云う医者を呼んで来るから気を確かに持ちなさいと言って慰めて呉れて居た所へ貴方方が来たのです。これ等の事を思い合わせると真に偶然とは思はれず、運命が我々を守護して、この様に一所へ落ち合わせたかと疑われます。

 言い終わって撞(どう)と床の上に倒れたので、病苦が並大抵では無い事を知り、浦岸老人とどちらが先にこの世を去るのだろうと、唯果かなく思はれるばかり。やや有って露人は必死の想いで又起き直り、探る様に弥生の手を取り、

 「オオ和女(そなた)は真に妹で有ったのか。爾(そ)う言えば、父上が幼い頃から和女(そなた)を男の様にして育てられたのも、二人の間に男女の愛が起こら無い様に、それと無く予防する心で有ったのか。それを知らずに、妻にしようとまで思ったのは此の上も無い過ちで有った。和女(そなた)が其の意に従わなかったのも天然自然に血脈を嫌うところから出た事で有ろう。

 血が知らせたと言う者だ。この様に分かって見れば、アア有り難い。和女(そなた)が縄村中尉に心を寄せたのが何よりも有り難い。先夜南都の大川で和女が中尉の船に助け上げられた時、私は中尉に和女の身を頼んだが、其の時も真実に唯和女と中尉との幸福をのみ祈ったけれど、今と云う今は愈々(いよいよ)其の祈りが届く時、この様な嬉しい事は無い。

 今まで何と無く胸に蟠(わだかま)って居た邪念が晴れた。最(も)う私の妹と分かれば和女(そなた)も私に気兼ねは無く、中尉の方も私に何の義理も無い筈、コレ弥生、和女は勤王軍の為に尽くしたけれど、南都で既に通例の死刑より恐ろしい溺刑にまで処せられた上は、王に其の身を献(ささ)げ尽くしたので、河から中尉に助け上げられた今の身は、生まれ代わったのも同じ事。敵も無ければ味方も無い。誰を憚(はば)る所も無いので、生涯貞実に中尉に仕えなさい。

 唯中尉は是から出世の開く身で、弥生を妻とするのは心に多少の躊躇(ためらい)が有るかも知れ無いが、勤王共和両軍の敵対も遠からず消え、今に国家は一政に帰するで有ろう。爾(そ)うすれば躊躇(ためらい)だった事も何の心配も無くなる。何(どう)か弥生を妻にして其の後を守って下さい。」
と云い、弥生と中尉の手を取って堅く握り合はさせると、弥生は首を垂れてその為すが儘(まま)に従い、中尉も黙して逆らわなかった。
 この様な成り行きと為り、両人の心の中はどのような想いがしていることだろう。



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