巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2010. 12. 25

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

十、蛭峰検事補と米良田礼子

 
 団少年友太郎が、婚礼の席から引き立てられたその同じ日のおよそ同じ刻限に、或る所に又同じ婚礼前祝の宴が開かれていた。
 偶然ながら不思議というべきは、その花婿たるべき人が、これから友太郎を取り調べる検事である。イヤ検事には、未だならない代理検事である。姓は蛭峰(ひるみね)と言い、年は二十七歳で、所謂、功名富貴の心が満々ている出世盛りの人物である。

 しかし、検事補くらいの低い役柄に居て功名を望み、富貴を望み、同僚を飛び越えての出世を望むのは随分難しい仕事で、余程官界遊泳の術を心得ていなければならない。この人はその術のためと見え、熱心な政府党である。言い換えれば非常にナポレオンの党を憎んで、今の国王ルイ十九世の忠臣だと自称(じしょう)している。

 勿論、国王の政府に使われる者が国王の忠臣でなくて成らないのは当然ではあるが、しかし、この人は腹からの国王党ではない。この人の父は姓を野々内と言って元が過激な革命党で、そのうち引き続きナポレオンの政府に重く用いられた人である。今も元気に生きていて、野々内と言えば人が謀反でも企てはしないかと疑うほどである。
  
 このような人の子であって、国王の政府で出世しようと言うのだから、一通りの苦労ではない。父、野々内の姓をそのまま名乗っては、とても用いてくれないから、公然と自分だけ姓を蛭峰と改めて、勿論、父とは往来も断っている。

 これほどの熱心だから、職務の上に落ち度が無いのは勿論のこと、朝廷向きからも可也の信用を得て、又、随分朝廷に勢力のある人々と抜け目無く交際をしている。今度自分の妻として披露する女も、国王の藩屏(はんぺい)《守護家》である貴族米良田家の令嬢で、その父母に自分の勤皇論が気に入られたから出来た縁談である。

 けれど、この婚礼はあながち政略的のみの仕事では無い。自分も全く米良田令嬢礼子を愛し、礼子からも二人とはこの世に無い人と愛せられている。

 ただ、礼子のような気質のやさしい女がどうして判事補と言う罪人ばかり取り扱う恐ろしい職業の人を思い染めたのかと疑う人もあるけれど、上下の別が無いとさえ言う恋だもの、何で職業などにかかわるものか。特にこの蛭峰氏が中々美しい顔立ちの人で、随分ほかでも艶聞を博したことがあるというのだから、世間知らずの姫君が、これに魅せられるのは、無理も無い。疑う人がかえって無理と言うものだろう。

 しかし、令嬢はこの人の職業を少し気にかけている。今日の祝いの席でさえも、この人に向かって「これからはねえ、どうか大抵の罪人は軽くして、許せる者なら許してやってくださいよ。」などと言っている。全くこれも、真心から出る言葉だから、聞き流しても妙にこの人の心に突き刺さる。

 このような場合に上手く調子を合わせることは蛭峰先生中々得意である。一方には朝廷に羽振りの良い人々もいるのだから、上手く自分の職業と勤皇論とそうして礼子の心と三方を調和して「イイエ、検事という職は小の虫を殺して、大の虫を生かし、悪人を除いて善人を安楽にするのですから、最も慈善の主義にも合うのです。」

 検事を慈悲深い職業とは余り聞かない。「それに私どもが忠実と熱心を以て事務を取れば、国事犯なども大抵は未発に防いでしまいますから、恐れ多い事ながら、自然、朝廷も安泰を得る訳です。」成るほど道理の付け様もあるものだ。こういえば検事ほど勤皇な職業は無いようにも聞こえる。

 このような折りしも、丁度あの友太郎を宴半ばに捕吏が驚かしたように、この蛭峰検事補を驚かせた者が居る。いやまさかそれほどでもないけれど、入って来た給仕が何やら彼の耳にささやいたが、彼は直ぐに立ち上がってこの場をはずした。そうして少し経って、帰って来て、

 「イヤ。皆様どうも、失礼では有りますが職業上捨てておけない事件が発生しましたので、しばらく私は御免蒙(こうむ)らなければなりません。」検事の捨てては置けない事件とはこのような場合に猶更(なおさら)耳に障(さわ)る。誰もが何事かと、聞きたくなる思いを察して、

 「実は、ナポレオンの陰謀に加担するという一人が捕まりましたので。」ナポレオンの陰謀とは、集まってる勤皇主義の人々にとっては、冷や水でも浴びせられたような気がする。誰しも早く行くことを進めない者は居ない。

 蛭峰は早々に礼子に別れを告げると、礼子は祈るような声で「貴方、本当に私が今言ったことをお忘れなされないようにしてください。どうぞ、ねえ、取調べを受ける人には親切に」蛭峰は何しろ我が位置を一段高くするような事件が我が手に落ちて来たと思い、ただ肯(うなず)いてここを去った。

 そうして、直ぐ取り調べ庁を指して急いだが、道で端無くも出会ったのは彼の友太郎の雇い主森江氏である。蛭峰は知らない顔をして行き過ぎようとするのを、森江氏は慌てて引き止め、
 「アア、良い所でお目にかかりました。ただいま検事をお尋ね申しましたけれど、当分御不在との事でしたので、貴方にお目にかかりたいとお宅へ出向く所でした。」

 ただの人ならば愛想もなくはね付けられるところだろうが、兎に角、金力勢力とも土地に名高い相手だから蛭峰は、勢力ある人の機嫌に触れるなかれと言う日頃の主義から、場合不相応に立ち止まり「どの様な御用ですか。」

 森江氏:「実は私の持ち船巴丸の乗組員団友太郎という者がナポレオン党に加担したという嫌疑で先刻、逮捕されましたが、彼に限ってその様なことはなく、全く何かの間違いですから、どうかそのお含みで、なるべく早く放免になるお計らいをお願いしたいのです。」と言ってなおも友太郎の日頃の振る舞いや、近々船長にに成ることから、婚礼の真際であったことまで、掻い摘んで耳に入れた。

 蛭峰:「イヤ、私はまだその当人さえ見ていませんが、他ならない貴方の御依頼ですから、果たして実績のないものなら決して余計に引き止めるようなことはしません。」と承知したように言って、そのまま分かれて取り調べ庁に入った。

 ここには既に友太郎が引き立てられて来ているのだ。そうして間も置かず、友太郎を呼び出した。

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