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巌窟王
アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
since 2011. 3.26
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史外史伝 巌窟王 涙香小子訳
百一、「土牢という言葉に」
先の日、死刑台から逃れ去ったその日比野が、早やこの様な使いに来るとは、安雄も意外に感じたが、伯爵も驚いた様子である。 「オオ、日比野、貴様だったか。」問う声は伯爵の口をついて出た。日比野は返事もせずに直ちに伯爵の前に平伏し、伯爵の両手を取ってこれにキスするのは、命を救われたその恩を謝するつもりであるのだろう。あたかも犬が主人の手をなめるような様である。
伯爵は機嫌よく、「オオ、まだ俺を忘れないと見えるな。まあ起きろ。聞きたいことが有るのだから。」命に応じて起きながら、「私が救われてまだ一週間にもなりません。それなのに貴方の恩を忘れて何んとしましょう。生涯決して忘れません。」
伯爵;「生涯といえば永いことだぞ。そう約束をしない方が無難だろう。」
日比野は、「イイエ、生涯がいくら永くても忘れません。」と言い掛けたが、そばに見知らぬ安雄が居るのを見、たちまち口をつぐんだ。
伯爵;「ナニ日比野、この方は俺の友人だ。少しも恐れるには及ばない。先ず、野西子爵がどうして鬼小僧に捕らわれたのかそのいきさつから聞かせてくれ。」
日比野は安心した様子で、「いつもお祭りの時には同じ手段で、必ず若い紳士を捕らえますよ。鬼小僧の妾(めかけ)テレサと言うのが美人なものですから、馬車で市中を練り歩き、これはと思う紳士に向かい、時々様子有りげに顔を見せるのです。野西子爵とやらも全くその手に引っかかったのです。」
伯爵も安雄もこの打ち明けた返事に思わず笑みを催した。
安雄;「鬼小僧が自分の妾にその様な事を赦すのか。」
日比野;「赦しますとも。自分がそばに居て、一々この紳士、あの紳士と指図をしているのです。」
安雄;「ではあの馬車に鬼小僧も乗っていたのか。何だか女だけの乗り合いに見えたのに。」
日比野;「馬車の中に女はテレサ一人です。そのほかは皆少年の男子です。体が小さいからあのような服を着て面を被れば女の姿に見えるのです。」
安雄;「シテ鬼小僧は何処にいた。」
日比野;「やはり面を被って、御者を務めていたのです。」
さてはあの馬車の御者が鬼小僧であったのかと、安雄は身を震うほどに驚いた。そうとも知らずにその人の目の下で、その人の妾と様々な合図をし、非常な好感を得たように思うとは、実におぞましさの骨頂と言うものだ。安雄がこの様に思って呆れる間に、
伯爵;「したが、それからどうして野西武之助君を捕らえた。」 日比野;「それから手紙のやり取りとなり、今夜祭りが終わる時間にポンテシの寺の庭で密会《デート》と言う事に決まったのです。そうしてその約束の通り野西子爵が来ましたから、テレサの弟がテレサと同じような形をして子爵の手を取り、寺の庭に引き入れて、小声で子爵に向かい、山の麓に(ふもと)に私の家の別荘が有るから、そこまで行きましょう。
その積もりで馬車を待たせてありますが、その別荘ならば番人の外に誰も居りませんからゆっくりとお話も出来ますからと、こう言いました。子爵は喜んで自分が引き立てるようにして手を取ってテレサの弟を、寺の後ろに居た自分の馬車に乗せて、自分も後から乗って急がせたのです。」
安雄;「では何の苦労も無く、一直線に鬼小僧の居る山の洞に進み込んだのだな。」
日比野;「ハイ、そうさせる計略でも有りましたが、子爵が馬車の中で、様々に戯れて、テレサの弟も本性を隠していることが出来ないほどになりましたから、たちまち用意のピストルを取り出し、子爵の顔に押し付けて、ふざけるなと怒鳴りつけて自分の顔を現しました。
私はその馬車の御者を勤めて居りましたから、じっくりとその時の様子を見ましたが、子爵は余ほど驚いた様子でした。しばらくは言葉も出ずに、ただ相手の顔を見つめていましたが、アア分かった。冗談にしては余り残酷すぎる。全くかどわかしの類だなと叫んで、直ぐにピストルを奪い取りに掛かりましたが、この時は、早や馬車の左右の窓から、鬼小僧の屈強な子分が四人まで飛び込んで子爵の両手をしっかりと捕まえた後だったので、無駄でした。
直ぐに子爵は最早抵抗はしないのだから貴様らの望みを聞かせろと言いました。手下らはこの様な事には慣れていますから、返事もせずにそのまま縄を掛けようといたしましたが、それには及ばないと、どの様にでも貴様らの意に従うからと言い、これから四人に捕らえられたまま、ついに山塞へ連れて行かれたのです。」
伯爵;「そうして今は」
日比野;「山塞の土牢へ入れられているのです。」土牢と言う言葉に伯爵はほとんど顔色を変えた。「それでは直ぐに俺が行ってーーー」
安雄は;「伯爵、私もご一緒に」
伯爵;「サ行きましょう。」真に取る物もとりあえず立ち上がった。
安雄;「馬車の用意でもさせなければならないでしょう。」
伯爵;「イイエ、私は夜の夜半でも、直ぐに外出が出来るように、必ず馬車の用意をさせて有ります。法律の逮捕を逃れる人でも、私ほど用意が整って居ないでしょう。」真にその言葉の通りである。呼び鈴を慣らして下ると、早や馬車は入り口に回っている。一分の猶予も無く安雄と共にこれに乗り、更に日比野もその後ろに乗せサンサバスチャンの山塞を目指して矢を射るように走らせた。
第百一終わり
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