巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 4.1

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百七、「人を驚かす人」

 このようにしてパリの社会に現れれば、歓迎されないはずは無い。身分はよく分からなくても。伯爵の肩書きがあって、言葉も作法も又身なりも、その肩書きに相当し、金はいくらあるか分からずに、世界に又とない宝物を惜しげもなく人に贈り、その上王侯をも法王をも知っており、山賊にも、海賊にも分け隔てなく交じって、全ての社会に対し計る事が出来ないほどの勢力を持ったばかりか、その履歴は奥深くして推量が届かず、その話は皆面白く、その振る舞いは全て人の意表に出ている。このような人が人を驚かさなければ、世に人を驚かす人はいない。一座の人々は誰もが思った。真にこの伯爵こそは社交界を独り占めするだろうと。

 話はこれから、武之助がローマの山賊に捕まった事から伯爵が救ったことに及んだ。伯爵が少しも自分の手柄にせず、ただ当然のことのように言うには皆又敬服した。記者猛田(たけだ)は聞いた。「どうして貴方はそのような山賊から敬われます。」と。伯爵の答えは簡単だ。

 「彼がまだ山賊にならず、牧場の少年であった頃、私が彼に道を聞き、親切に教えてくれた礼として、金貨一枚を与えました。彼は生まれて初めて金貨を手にしたと言って非常に喜びましたが、その後レグホーン港で、夜中に海に身を投げた男を遊船へ拾い上げました。私の方では顔を知らないのに、向こうで覚えていました。」

 出部嶺;「それが即ち彼だったのですね。」
 伯爵;「そうです。今は山賊となって、鬼小僧と呼ばれ、警察から追い詰められて、どこかへ泳ぎ着く積もりで海に入ったところ、波が荒くて溺れるところであったと言いました。その後も大抵似通った事で彼や手下などを三度もただ法律の手から救ったり匿ったりしてやったに過ぎないのです。」
 なるほどそれでは敬われるはずではあるが、しかし、彼や手下を法律の手から救ったと、ことも無さそうに言う事が、非常な勢力を持った人でなければ出来ない事である。

 このような勢力を持つこの伯爵はそもそも何者だろう。出部嶺は心の中であれこれ考えた。今我々の政府が全国に3万人の警吏を有し探偵費として二千万フランを支出しているのだから、内閣官房長である自分の力をもって、この伯爵の素性を探れば決して探れないことは無い。相手が至る所に足跡を残すような非常な偉人だけに、なお更探り易いわけであると。そうしてその意を、少しの折を得て猛田や砂田伯爵にささやき、かつその後に全く警察に命じて探れるだけ探らせたが、伯爵の言葉が全て真実と言う事は分かったが、その素性は少しも分からなかった。之は後のことだが記しておく。

 更にこの席の話は、旅行の事から美術の事に渡ったが、伯爵の知らない土地は無い。知らない土地はただこのパリだけのようだ。実に類の少ない旅行家である。それよりも美術のことは又詳しい。少なくても幾百万金を美術のために使い捨てた人でなければこれほどの美術の知識は無い。およそ、上流社会で最も賞美されるのは美術の知識で、大抵のにわか紳士が軽蔑を招くのはこの知識が乏しいためである。この知識さえあれば、十分に由緒の正しい旧家の人と見なされるのだ。

 もし、伯爵がパリの上流に泳ぎ入るために、美術の知識まで養ったとすれば、非常な苦心、勉強であったに違いない。どれほど伯爵が用意して掛かっているかということがこの一事からも推量する事が出来る。
 食事が終わって茶菓の時となると、猛田は謝るように伯爵に向かい、「私は今日衆議院で段倉男爵の財政意見を傍聴する為皆様より少し早くお暇を申さなければなりません。」

 伯爵は段倉の名に、何か思い出したように、「段倉銀行の頭取では有りませんか。」
 猛田;「そうです。」
 伯爵;「この国では銀行頭取が衆議院とやらで演説するのですか。」
 猛田;「銀行頭取である上に衆議院にも議席を占めていて、未来の大蔵大臣をもって目されているのです。」

 驚くべき出世ですとの評語が伯爵の口から洩れそうにも見えたが直ぐに、「その段倉男爵なら私もお目にかからなければなりません。その人の銀行が私のこれからの取引銀行になるのです。実はトルコの国立両替店、ギリシャのギリシャ銀行、及びローマの冨村銀行から私は全てその段倉銀行を指定されて来たのですから。」
 ローマの富村銀行と聞いて、熱心に問いを発したのは森江大尉である。「伯爵、あなたはその冨村銀行と長いお取引ですか。」
 伯爵;「ハイ、十年来」

 森江;「私の一家はその冨村銀行から非常な恩を受けているのです。先年父が破産に瀕しました時、その銀行は銀行家にあるまじき程の親切をもって、父を救ってくれ、そのためにマルセイユにある私の一家は全く昔の繁盛に立ち返ったのですが、その後富村銀行へ向かい返金を申し入れましたら、少しも金を貸した覚えがないと言うのです。五十万フランの金と、百万フラン以上の貨物を積んだ船を一艘、確かにその銀行の代理人が父に贈ったに相違ありませんのに、その銀行は返金を受け取るわけには行かないと言い張り、恩を感謝されるのも拒むのです。この事実はこの席にいる方は皆聞き知って居られますが、私どもは大恩を負うて、それを返すことが出来ず、心苦しく思って居ます。どうか貴方のお力で、イヤ、ついでの時で結構ですが、どうか詳しく調べるようにその銀行にお伝え下されませんでしょうか。」

 伯爵は眉を顰め、「イヤ、私はまだ取引だけですので、その銀行へその様な事を伝える筋が有りませんよ。それに向こうの帳簿に貸しがないなら貴方の方で恩を受けたというような義務も無いだろうと思いますが。ねえ、皆様」

 砂田伯爵は賛成し、「そうですとも。それなのに森江大尉はそれを気にかけ、先日も私などにお話でした。」森江は困ったように「でも確かに非常な恵みを受けたことは、私が自分の目で見て知っていますから。」伯爵は非常に真面目に、「真にその様な恵みがあったならば、それは貴方一家の正直に対する天の恵みと言うものでしょう。確かに自分が貸したと言う本人が現れないからには、安心しているのが良いでしょう。」一同皆これを当然の判定として賛成した。

第百七終わり
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