巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 4.20

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百二十六、「そんな恐ろしい毒薬が」

 親として子を忘れるはずは無いが、蛭峰夫人は非常な危険を救われた嬉しさと、伯爵の親切を有り難く思う心のとのために、しばし、ほんのしばしだけれど、愛児の事を忘れた状態だった。愛児は気絶したのか、閉じた目をまだ開かない。「オオ、何か薬を、イヤ水でも」と突然に夫人は叫んだ。

 伯爵;「イヤ、少しも驚きなさることは有りません。もっとも適切な気付け薬がありますから。」と言って直ぐ薬籠(やくろう)のような箱を持って来て開いた。中には四,五個のビンに、色々な色の薬液が見えている。伯爵はそのうちの一つを取り、ただ一滴水に垂らして児の口に注いだが、全く効果は神のごとしだ。児はすぐに目を開いた。

 夫人;「何処か打ちはしなかったか。痛くは無いか。」児は平気である。「何処も打ちませんよ。」と言いながら早や手を差し伸べ、伯爵の持って来た薬籠に手を掛けて、「綺麗な色の薬が沢山有りますねエ。」と言って、その中の一壜(びん)を取り出そうとするのは、よほど悪戯(いたずら)な性質(たち)と見える。

 伯爵は今までの全ての落ち着いた挙動に似ずほとんど顔色の変わるほど慌てて、「オオ、その薬籠に手をつけてはいけません。中には恐るべき毒薬なども入っています。単に臭いが洩れるだけでも、人の命に触るほどのものもありますから。」と言い、薬籠に蓋をしながら、目の隅から密かに夫人の顔を眺めた。これは何のためであろうか。

 何のためだか、兎に角この夫人は毒薬ということに関心がないことは無いと見える。臭いだけでも人を殺すと言った伯爵の一言を耳に挟んだ。そうして何げ無さそうな語調で、「エ、その様な恐ろしい毒薬が世にありますか。」
 伯爵;「有ります。人を殺して何の痕跡も残さないものなど、実に様々です。」
 
 場合に似合わない問題ではあるが、夫人はこれを不似合いとは思わないのか、更に問いを重ねて、「貴方は余ほど毒薬などの事にお詳しいと見えますね。」
 伯爵;「ハイ、化学と薬学、特に毒薬学のごときは最も私が深く極めたところです。ただし、毒を用いることは恐れますが、それでも研究を始めると、それからそれと分かってきて、実に止められないほどの面白みがあるのです。」

 夫人はなおも耳を傾けた。けれど、伯爵はこれ以上毒薬の事など話すべき場合ではないと気付いた様子で、たちまち語を転じ、「このお子様はーーーー」と問いかけた。
 夫人;「ハイ、これは蛭峰と私の間に出来たひとり子で名を重吉と申します。もっとも蛭峰には先妻に生まれた女の子が有り、一緒に家にいますけれど、どうしても腹の違うだけ、私を母とは思ってくれません。」

 余計な事まで述べるのは多分、我が家に対して不平のあるためであろう。伯爵は重吉の頭をなで、「良いお子だ、年はいくつ。」
 重吉;「十一歳になったんだよ。」
 年に合わせては発達が遅い。ようやく9歳くらいにしか見えない。母の身にとっては、発達の遅いだけなお更可愛いく思われるであろう。

 伯爵;「余ほど賢そうなお生まれつきです。」
 母親;「ハイ、馬鹿ではないようですが、何分悪戯(いたずら)で困ります。」
 重吉は早聞き飽きたと見え、「おっかさん帰ろうよ。帰ろうよ。」と母の膝を突き始めた。

 母親はひどく伯爵の人となりに感じたと見え、まだ中々帰りたくない様子である。しかし、伯爵の方で最早切り上げ時と思ったのか、「イヤ、直ぐにお送り申します。幸いにお馬車も馬も無事ですから。」
 夫人は全く栃色に懲りていて、「イエ、無事でもあの馬には、―――」

 伯爵;「何大丈夫です。私の黒人の従者が御せば猫のように優しくなります。」と言い、早速アリーを呼び、栃色を馬車に付け直して、玄関の前に連れて来させたが、どの様な術のあるものか、真に猫よりも従順になり、むちを当ててさえ驚く様子が無い。

 伯爵は説明するように、「これはある薬液を馬に飲ませ結果です。お宅まで行って水を与えれば直ぐに薬力が醒めて、元の通りの気質になります。」
 夫人は初めて安心してこれに乗ったが、いよいよ馬が歩み出すまえに、伯爵に重ねて言った。「お礼には必ず夫、重輔を伺わせます。貴方の普段のお住いはどちらですか。」

 伯爵;「イヤ、わざわざお出で下さっては、恐縮しますが、私の普段の住いはここにあります。」と言って、エリシイ街の番地を記した名札一葉を夫人に渡した。これで、伯爵と蛭峰との面会の道が開けた。しかもそれが伯爵がパリーに着いてただ三日目だとは実に驚くべき急速の進展ではないだろうか。

第百二十六終わり
次(百二十七)

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