巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu13

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2010. 12. 28

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

十三、人間の日の照らぬ所

 日の暮れごろには釈放されると思い、友太郎は警吏の後について蛭峰検事補の前を退いたが、廊下に出ると二人の憲兵が待っていて、あたかも重い罪人ででも問い扱うように、左右から友太郎を挟むようにして、奥へ奥へと連れて行った。

 蛭峰検事補の親切な約束とは、少し様子が違うようだけれど、ナニ、夕方には家に帰ることが出来るのだ、それまでのところは、どの様な扱いを受けても好いと、多寡を(たか)をくくってその扱われるままに従っていると、遂にこの取調べ庁に付属している牢屋の中まで連れて行かれ、とある部屋の重い鉄の戸を開いてその中に入れられた。憲兵も警吏も外から錠を下ろす音と共に立ち去ったらしい。

 牢の鉄戸は、どの様な図々しい男でも、これを見ると身を震わす。特に牢の中のなんとなく陰気臭い空気は誰の勇気でも挫(ひし)いでしまうが、ただ友太郎だけはそうではない。長くても一、二時間の辛抱だと思い、むしろ面白い話の種が出来たような心で、しばらくの間は物珍しく部屋の中を見回していた。

 たった一時間か二時間、そのうちに誰か釈放のために来てくれるのだ。直ぐに走ってお露のもとに行けばどの様にか喜ぶだろうと、早やお露の喜ぶ様などを心に描いて待っていると、たった一時間でも短くは無い。ましてや二時間、、ましてや三時間、と経ったけれど、誰も来て鉄の戸を開けてはくれない。

 時々戸の外から靴の音が聞こえるので、今度こそはと走って戸の所に行って待っていると、そのまま行過ぎてしまうのだ。この様な事が何度有ったか分からない。ここに入ったのが三月一日の午後の四時であったが、遂に夜の十時まで、六時間捨てて置かれた。

 どこかの寺から十時の鐘が聞こえて間もなくヤッと鉄の戸は開いた。友太郎はそこまで走って行って見ると、やはり憲兵の姿が見えている。釈放するのに何も憲兵はいらないことだ。そうしてもっと怪しいのは、戸の外に、妙な馬車がいる。「これに私は乗るのですか。」問わない訳には行かない。

 憲兵;「そうです。」
 友;「蛭峰検事補からの指示でしょうね。」
 憲;「そうです。」
 親切なあの人からの指示とならば何も間違いはない。何処までか連れて行かれて、そうして下ろしてくれるのだろう。ただこの様に思って、自分から進むほどにして馬車に乗った。馬車の後ろには士官らしい制服を付けた一人が乗っていて、御者(ぎょしゃ)と共に合わせて五人の付き添いである。

 やがて馬車の戸は閉められて、錠までも下ろされた。何だか厳(いか)めし過ぎるようでもある。
 馬車は出た。窓から外の様子を見ると、益々不思議だ。夜中に用事も無さそうな海岸を目指して走っている。さては港に行くのかも知れない。果たしてそうだった。

 およそ小一時間も走って、波の音が聞こえる所に着き、後ろの士官が先に降りて、憲兵もこれに続き、又続いて馬車の戸が開いた。不思議な思いで、自分も降りると、ここは海岸に在る憲兵小屋の前で、十人ほどの兵士が今の士官の指図に応じて出て来た。

 銃の先に付いた剣が星の明かりに光っている。「どうするのです。」と憲兵に向かって問うと、「今に分かります。こっちへ」と答え、先に立って水際に下った。

 水際には小船が待っている。何事とも知らない間にこれへ乗せられ、艫(とも)《船尾》の方に座らされた。左右には矢張り憲兵が挟(はさ)んでいて、士官は案内者のように船首(みよし)に座して見張っている。

 四人の水夫が艪(ろ)を揃(そろ)えて漕(こ)ぎ出した。船は暗い海の上を、矢を射る様に飛んで行って、間もなく水門を通り越し、港の外に出た。実に理解が出来ない。船の中の用意などを見ると、そう遠くまで行くものとは思われないけれど、だからと言って、近くには漕ぎ付けられるような親船も居ない。

 何だか不安な気がするので、「一体全体何処に行くのです。」と再び憲兵に向かって問うと、「着くまでは知らせるなと長官から命令されているのです。」長官の命令で以て口を縛られている者に問うたところで仕方が無いと、友太郎も又口をつぐんだ。

 けれど何しろ釈放の手続きらしくは無い。何も釈放にこの様な手数はいらないことだ。晩ほどまでと言った蛭峰検事補の約束はどうなったのだろう。この身にに対する嫌疑の材料とも言うべき野々内へ宛てた手紙はあの通り焼き捨ててくれたし、何にもこの身を行方も知れないような所に運んで行くはずは無いのに。

 とは言え、この通り実際運んで行かれるところを見ると、検事補の約束に何か間違いがあったのかもしれない。検事補の力も及ばないことになったのかも知れないと、思うと益々不安である。何も身に罪の無い者が、恐れを抱くには及ばないが、心配して帰りを待っている父にもお露にも、夜に入っても一言の便りも聞かせられないのはあまりに残念なことである。

 そのうちに船は港の外の岬を回って、丁度スペイン村の沖にかかった。沖とは言えど水際から数丁(数百メートル)しか離れていない。お露の家もボンヤリと一個の明かりが灯って見えている。あの明かりの下にきっとお露が、不安な物思いに沈んでいるのだろう。声を立てて打ち叫べば聞こえるほどの所なのに、今この身がここを通っていることが何でお露の神経に通じないのだろう。何でお露が水際まで出て来ないのだろう。

 ほとんど恨めしく思ううち、舟は又進んでスペイン村の明かりも見えなくなった。友太郎は耐えかねて三たび憲兵に向かい、「この舟は何処に行きます。今に私に分かることを何も隠す必要は無いでは有りませんか。」と切に問うた。憲兵は同僚に相談するように、「そうさ、もう直ぐに当人に分かることだから、言っても構わないだろうがねえ。」

 同僚;「構いますまい。」この返事を得て更に友太郎に向かい、「この先に見える黒いところを知りませんか。」
 友太郎は慣れた水夫の眼を以て、闇に透かして向こうの方を見ると、突こつとして、黒く高く行く手に立ち塞がるように海の面に聳えているのは、名も高い泥埠(でいふ)の要塞である。

 そもそも泥埠の要塞とは、パリのバスチューユ監獄と同じほど、昔から人の恐ろしがる所である。元は要塞であっただろうが、今は何人も用事の無い所だから、秘密の罪人を、秘密に片づけて置く場所となっていて、ここに入る者はほとんど二度とこの世に出てくることが出来ない。いや、ここに入れられたことさえ誰にも知られることが出来ないのだ。

 全く人間界の、日の照らない所である。泥埠の名を聞くと共に、友太郎の頭には、全身の血が衝(つ)き上った。彼は全く我を忘れ、とても逃げ去るほかは無いと思い、早くも跳ね躍って船端から海に飛び込もうとすると、直ぐ二人の憲兵に取って伏せられた。

 甲;「長官の命令に背き、ちょっと行き先を知らせると早やこの通りだ。」
 乙;「何事も知らせるなと言う第一の命令には背いたが、途中で逃亡を企てたら直ぐに射殺せという第二の命令にはもう背かないぞ。」と言って短銃の口を直ちに友太郎の頭に指し付けた。

 もう逃げることも出来ない。人間の日の照らない泥埠の要塞に入れられるだけである。実に無残ではないか。

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