巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu161

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 5.25

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百六十一、「濃い覆面の一婦人」

 夫段倉が伯爵を訪ねようと言って家を出た後、果たして妻張子は蛭峰を訪ねるために家を出た。双方共にこの物語に大いなる波乱を巻き起こす紀元とはなった。
 ただし段倉と伯爵との面会は表面極めて無事であった。ただその平穏無事の中に、一つの黒点がこもっている。他日天一面に広がる陰悪な雲とはなったのだ。先ず夫の方から記して行こう。

 段倉は伯爵家の接見室で十四、五分待たされた。そのうちに外から、法師姿の老人が入って来て、段倉に黙礼したままズッと奥に通ってしまった。さては余ほど伯爵と親密な老僧と見える。この様な客があって、もし話が長ければ、又出直して来ようと少し段倉が考え込むところに、「イヤ、来客の為に、大いにお待たせ申しました。」と機嫌よく伯爵が出てきた。

 段倉;「ハイ、ご来客の有ることはただ今ここを通られた老僧でも分っています。」
 伯爵は非常に軽く、「アア、あれですか。あれは何、暮内法師と言ってイタリアでは有名な方ですけれど、長年特別親密な仲ですから幾ら待たせても構いません。」とは言うけれど、自ずから言葉の中には長居は迷惑との意味が見える。

 段倉はそれと察し、「イヤ、私は事務家ですから極手っ取り早く申しますが、夕べお目にかかった皮春侯爵のパリー滞在の目的は何処に有るのでしょう。」と前置きも無く問い出した。伯爵はわざと賤(いや)しむように、「息子を社交界に出し、嫁を得させたいと言うので、私へも頼むなどと言われましたが、何しろけちとも言うほどの倹約家ですから、私は先ず嫁を捜すよりは金を使う事を稽古せよと言いました。金さえ使えば随分嫁の候補者も出来ましょうけれど、そうでなければーーー」

 段倉は短兵急に、「イヤ、貴方はそうお思いでしょうが、私ごとき実業家はかえってその倹約なところを見込むのです。金を使わないのがあの方の値打ちだと思います。」
 伯爵;「そう仰ると何だか貴方が嫁の候補者でも持っているように思われますが。」
 段倉;「その通りです。実は私はあの方の気質に感じましたから。」金力に感じましたとは言わない。

 「娘夕蝉を小侯爵の妻にしてはどうかと思い、既に妻とも相談してその賛成も得ているのです。」
 伯爵は打ち笑って「成るほど、貴方は手っ取り早い。それで無ければ大一流の実業化にはなれないはずです。」と言って褒めるように言い、やがて眉をひそめ、「イヤ、段倉さん、それはおやめなさい。貴方のような派手な方と、あの陰気な侯爵とは肌の会うはずが有りません。親類になって長く付き合えば、必ず喧嘩することになります。」

 伯爵はこう妨げる方がかえってますます段倉の熱心を増す事と見抜いている。
 段倉;「イヤ、肌の合うか合わないかは私の心の持ち方に有る事ですから、その点はご安心の上、成るべく侯爵父子の心が動くように貴方の御加勢を願いたいのですよ。」
 伯爵;「それは出来ません。今言う通り私はこの縁組を賛成しないのですから。ハイ、賛成の出来ない理由が二つあります。」

 段倉;「二つとは」
 伯爵;「第一は今言う通り、貴方と公爵とはまだ親密さが浅い、従って他日深く知り合えば喧嘩する恐れが有る。」
 段倉;「その理由は理由になりません。」
 伯爵;「第二には夕蝉嬢と野西次郎の息子武之助との間に縁談が始まっていると聞きます。野西父子も私の友人ですから。」

 段倉;「成るほど、野西父子に対しても賛成できない。この理由は分りました。しかし、伯爵、武之助と夕蝉とは当人同士が互いに嫌がっているのです。」
 伯爵;「それにしても同じ事です。」
 段倉;「のみならず私は野西次郎が先年ギリシャへ援軍に行き非常な大金を作って帰国した事について少し疑いが有ります。貴方は始終ギリシャからイタリアの辺にお住いになった様子ですから、多少その辺のことはお聞き込みではないでしょうか。いいえ、これは私の外にも薄々怪しんで、もしや彼野西は何か不正な金でも得て来たのでは無いだろうかなどとその頃噂した人も有りました。果たしてそのような事ならば私は不義で出世した金持ちと縁者に成る事は好みません。」

 不義を憎むような言葉が段倉の口から出るとは真に口とは調法である。。勿論伯爵は野西次郎の大金を得た次第をよく知っている。実は之を知るためにかって莫大な辛苦を費やしたのだ。けれど、そうは言わない。「イヤ、私は好くは知りませんが、ヤミナ銀行へ問い合わせれば分かるでしょう。何でもあの頃ヤミナ銀行が軍用金を取扱っていましたから。」

 ただこのヤミナ銀行へ問い合わせと言う一語が、穏やかな晴天に一点現れる雲の種とも言うごときものであった。一点の雲の種が、他日どの様に広がって、どの様な風雷を引き起こすかは誰も予想は出来ない。

 しかし、段倉はこの言葉を聞いて喜んだ。皮春侯爵との縁組につき伯爵の賛成を得ないのは残念でだけれど、もしや、ヤミナ銀行への問い合わせで野西との縁談を破る口実をでも得れば、その残念を埋め合わせるには足りるのだ。彼はなお一言二言話した上、全く手っ取り早くヤミナ銀行へ問い合わせの手紙を出す為に伯爵に分かれを告げて去った。
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 これとほぼ同じ刻限である。濃い覆面《ベール》に顔を隠した一婦人が司法省に出頭し、官房の戸を叩いた。取次ぎの男は前から長官の命でも含んで待っていたかのように、「貴方は蛭峰大検事に、裁判上の参考になる材料をお告げ申すために来た方ですか。」と問い、婦人が肯くやいなや、直ぐ戸を開いて内にに入れた。

第百六十一 終わり
次(百六十二)

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