巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

十七、国王の御前

 「白日秦兵天上より来る」と詩人が謡(うた)った楚宮の有様とは違うが、ナポレオンがエルバ島を脱出して、フランスへ帰った時の警報は、国王ルイ十八世の朝廷にとって実に天から敵が降って来たような驚きであった。

 ここに少しばかり歴史家が記すところをつまみ、国王が初めてこの警報を聞いたときの有様を記しておこう。かの蛭峰(ビルホー)がどの様に国王に謁したかも分かる

 時は三月四日の朝である。王はナポレオンが最愛の宮殿としていたその同じチウレリー宮のしかもナポレオンが居間としていた同じ室に、日頃愛読するホラチウスの古詩集をひもとき、自ら筆を持って、読むに従って、評注を書き入れている。これがこの国王の何よりの慰みだったのだ。

 世は泰平、と言うほどでもない、上辺ばかりは泰平でも、エルバの島には怪物が潜んでいると言うことは、誰の胸にも、妙に不穏の念を起こさせている。特にこのほどエルバ島から帰って来た一武官毛脛中将がナポレオン党らしく見えて、その実はルイ王に心を寄せていたという為に、ナポレオン党の秘密クラブで暗殺された事件などもある。

 この暗殺にかの蛭峰検事補の父、野々内が関係しているだろうとは、事情を知る人々が暗に疑うところであったが、このような有様の中で、ただ安心していたのは、国王とその朝廷の役人共であった。

 もっとも、朝廷の中でも、国王の真の忠臣は多少心配もしていたのだ。今しも、国王の傍に、非常に気づかはしく何事か述べている一人は、かの米良田家から蛭峰が持って来た手紙を受け取って、蛭峰本人と国王に拝謁させようという内大臣ブランカ伯爵である。

 伯爵は蛭峰から問うた言葉と自分の考えとを取り混ぜて、近頃東南方の人身が不穏なことから、エルバ島畔に油断のならない雲行きが見えることを熱心に説いたけれど、肝心の国王を驚かせるような大秘密は、蛭峰が自分の手柄のために取っておいてこの人には話していないので、この人の言葉だけでは、充分国王を動かすことが出来ない。

 国王はしばらく注釈の筆を止め、詩集から顔を上げて「イヤ、横領者ナポレオンのことは昨日も詳しく報告書を警視長官から差し出した。その方が安心する為に見せてやろう。」これを見せておけばその間に落ち着いて注釈が出来るといった風である。この様なところに丁度その警視長官が入って来た。この警視長官は男爵ダンドルという人である。

 国王はこれ幸いと言う面持ちで、「オオ、ダンドル男爵が丁度良いところに来合わせた。横領者の近況を内大臣に告げて安心させてやってくれ。」と言ったものの、流石に国王である。「しかし、アノ後、別に新しい報告は到着しないであろうな。」と聞き足した。

 長官は恭(うやうや)しく「ハイ、今にも多方面から来るべきはずの報告がありますので、ただ今まで、官房に居て、心待ちに待っていましたけれど、いまだ参りません。たとえ参りました所で、別に気遣うようなことは勿論無いに決まっています。」
 王;「では昨日の報告を内大臣に」

 長官はかしこまって内大臣に向かい、「一口に言えばつまり横領者の雄心、日々に阻喪(そそう)《気力がなくなる》するというのに過ぎないのです。その上に彼も追々わが王陛下に恭順の意を表すと見え、既に先日帰って来た毛脛中将外数名へも、これから後は、良く国王に忠勤せよと言い渡したということです。」
 
 これだけではまだ内大臣を安心させるに足りない。国王は促すように、「それから」
 長官;「それから、横領者はひどい皮膚病にかかっています。」とあたかも皮膚病が英雄の値打ちを下げてしまうかのように言った。
 内大臣;「それは風土が違いますから皮膚病にもかかるでしょう。」

 長官;「イヤ、それに神経が弱くなったほうは、一方でなく、ほとんど発狂の兆候が見えると言います。これは、かの島に渡った者の報告ですので、間違い有りません。」
 内大臣;「シテ、その兆候というのは」
 長官;「数あるうちで最も著しいのは、少しの事に怒ったり、喜んだり、ほとんど、常人とは見えないというのです。時々は海岸へ行き、波に小石を投げつけて、喜んだりするそうですが。」

 内大臣;「さよう、昔のスキピオのような英雄も海に小石を投げるのを楽しんでいたと言いますから。」
 長官:「イヤ、それだけではなく、この頃は政治上の事や、軍事上のことなどは全く忘れたようで、面会者に対しても、他のつまらないことばかり話すそうです。」
 内大臣;「なるほど、発狂の兆候ですか。それとも思慮の深い兆候でしょうか。」実に尤もな言葉ではある。

 国王;「そう疑えば限りも無いが、どうだ、ダンドル、もっと良くこのブランカ伯爵を安心させるような材料は無いのか。」
 長官;「イヤ、今申しました多方面の報告がもう到着したかも知れません。これから帰って見届けて参りましょう。」

 内大臣は恐れ多いと言う風で、「イヤ、陛下、勿論この様なことはダンドル男爵が当局ですから、私の思うところよりは、男爵の見るところが正しいのに違いは有りません。それにしましても、この様なことは常に心配して疑うほうが安全ですから。――」
 国王;「それは全くそうである。」

 内大臣;「兎に角、私が連れて参っている小官吏に謁見をお許しくださる訳には行かないでしょうか。彼はわざわざ陛下に、自分で非常な警報だと認める事件を奏上したいと言って、三日三夜、休みもせずにマルセイユから上京した者ですが。」

 そうも熱心な忠勤者が有るかと思えば国王は決して悪くは思わない。「その小官吏は何という名か。」
 内大臣:「蛭峰と言う者です。」
 国王;「オオ、蛭峰検事補か。朕は良く覚えている。赴任の頃、謁見を許したが、アレは野々内の息子だけれど、熱心な勤皇者だ。勤皇のために自分の父親とまで縁を切ったと言うことだ。これへ直々に通せ」何しろ有り難い仰せである。

 内大臣の喜ぶのに引き換えて警視長官の方は不機嫌である。警察以外の小官吏が、我が報告に反対のことを奏上するとは、何たる僭越(せんえつ)《でしゃばり》なことだろうと、心に思い、新しい報告を持って来て、我が権威を確かめてくれようと思い、直ちに御前を退いた。引き違いに蛭峰は、旅のほこりも未だ払わない衣服のままで、国王の御前に引き出された。実に余り無い事柄ではある。

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