gankutu185
巌窟王
アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
since 2011. 6.18
下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください
更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)
史外史伝 巌窟王 涙香小子訳
百八十五回、、『決闘の条件』
伯爵の所を去った野西武之助は、直ぐにその足で独立新聞社を訪ね、主筆記者猛田猛(たけだたけし)の部屋に走り込んだ。
新聞紙の主筆記者といえばその天職は重いけれど、余り立派な部屋に住んでいるものではない。書き損じの原稿から見古しの新聞紙がそこここに散らばっていて、いわば反古(ほご)の捨て場とも言うべき中から首ばかり出している有様だ。
武之助の足音を聞くより、猛田猛は何か忙しく書いていた原稿紙から顔を上げて、「オオ野西君、早朝からこれは意外、応接の間に待っていて下されば、もっと綺麗ですのに」と挨拶した。
武之助;「イヤ、待っていられるようなゆるゆるした話では有りません。貴方に汚された一家の名誉を回復に来たのです。」
言う言葉がその剣幕と共にいかにも荒々しいので、猛田は初めてただ事ではないと見て取り、「全体どのような用事ですか。」
問う尾に付いて、「今朝私の来ることは、聞かなくても分かっているはずです。このようなことを書かれて私が黙っているとは思わないでしょう。」と武之助は自分で持って来た新聞紙を猛田の前に差しつけた。猛田は不思議な顔をしてあのヤミナ通信の一項を読んだけれど、理解することは出来ない。
「アア、このような記事は通信部の主任記者が私どもに相談せずに載せるのですから。―――」
武之助;「そのようなことを言って貴方が責任を逃れるなら、二人の介添人をここへ送る以外はありません。私は初めから決闘の積もりです。」
自分の言いたいことばかり言って、相手の分かるやら分からないやら考える暇を与えない。
今まで呆気に取られていた猛田猛は、急に真面目になり、「私には何のことだか分かりませんが、貴方の言葉はほとんど暴言です。日頃の親密さのため私は思いやっていますのに、貴方がそのような紳士らしくない態度を続ければ、つまみ出す外はありません。この部屋は乱暴者の闖入(ちんにゅう)を許す場所ではないのです。」と厳重に言い渡し、武之助のますます怒ろうとする様子を見て、「ソレとも貴方は穏やかに説明しますか。それなら私は聞きますが。」
この言葉に会って武之助は少しながら我に返った。「私には貴方が分かっていることをわざととぼけているのだと思いますけれど、説明しろと言うのなら説明しましょう。」と言い、それからあの記事が確かに自分の父を指したのに違いないと思うことを述べ、更に事実無根として少しの疑いも残ら無いようにはっきりと取り消しますか、もしそれが出来ないなら決闘せよと迫った。
猛は迷惑そうに武之助の顔を眺めたけれど、なかなか治まる様子が見えないので、またしばらく考えた末、非常に重々しい語調で、「本来ならならばこの記事は猛田猛の知らないことですから、責任者である通信部長へお掛け合いなさいと、はねつけるところですが、それでは貴方が、また責任逃れをするなどと立腹されるでしょうから。」
武之助;「勿論です。逃れようとしても逃しません。」
猛田;「イヤ、逃げはしません。相手が貴方だけに。日頃の友好を重んじて、私が責任を持って当たります。ハイ、十分な責任を持ってお返事します。良くお聞きなさい。新聞紙が一度掲げたことを取り消すと言うのは、一種の自殺ですから、簡単には出来ないのです。」
武之助;「出来ないなら私と決闘するだけです。」
猛田;「よろしい、決闘しましょう。けれどこの決闘たるや貴方から申し込む決闘ですから、その条件は私が取り決めます。」
武之助;「どのようにでもお取り決めなさい。」
猛田;「貴方に依存は言わせませんぞ。」
武之助;「何で卑怯に、条件に対して依存など言いますものか。」 猛田;「では日取りを決めます。今日から起算して22日目の朝と言うことに。」
「二十二日目、そんなに待たれますものか。」と武之助は叫んだ。
猛田;「異存は言わないという口の下から、その異存は卑怯では有りませんか。」
武之助;「でも」
猛田;「イイエ、でもでは有りません。」
武之助;「でも、三週間もを無駄に過ごすとは訳が分かりませんもの。」
猛田;「私にとっては三週間の準備が無くては決闘は出来ません。他のこととは違い貴方の父上に関することですから、私もまず十分に事実を調査し、事実無根と分かれば取り消して謝罪したい。無根で無いと分かれば貴方の方が無礼ですから私は貴方と決闘することには少しも躊躇(ちゅうちょ)はしません。十分に良心の賛成を得て命のやり取りをするのです。貴方は三週間の猶予を承知するか決闘を取り消して両方を思いとどまるか二つに一つをお選びなさい。」
どうして思い留(とど)まることが出来るだろう。武之助は仕方が無く、「ソレでは三週間待ちましょう。三週間もかかって貴方が十分調査すれば、事実無根に決まっていますから、私は紙上で明白に謝らせるのを好みます。」
決闘するのに三週間の猶予とは類の無いことだけれど、全く武之助は記事の無根が分かるに決まっているように安心して、虫を殺してこの条に従ったが、もし三週間の後に、事実無根でないことが分かったらどうするだろう。
第百八十五 終わり
次(百八十六)
a:870 t:1 y:0