巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu187

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 6.20

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百八十七回、『蛭峰家』(八)

 安雄は野々内弾正の枕辺に寄り、まずその顔を差し覗いてうやうやしく初対面の挨拶から不思議な縁で孫娘と結婚することになったうれしさを、場合相応の言葉で述べた。元より弾正はただ眼を動かすほか、何の返事もすることは出来ない身ではあるけれど、異様に落ち着いている。なんだかこの結婚を妨害するのについての十分なはかりごとが胸にあって、必勝を信じているらしい。大軍師が戦場に臨む前夜でさえも、こうまで落ち着き払うことは出来ない。

 彼の眼はわずかに安雄の顔に注ぎ、直ぐに転じて華子の顔に移った。華子は胸を轟かせながら、進み出て、「お祖父さん、私に貴方の言葉を通弁しろとおっしゃるのですか。」
 弾正の目;「そうだ。」
 華子はきっと辛い通弁だろうと思うけれど、自分の身の浮沈につながることだから、十分その役を果たさなければ成らないと覚悟している。直ぐにまずa、b、cの文字を並べ記した表を取り一字一字指し示して弾正の意を伺うと、弾正の眼はついに、「ひみつばこ」の文字を綴りだした。

 華子;「箪笥の中から貴方の秘密箱取り出してここに持ってくるのですか。」
 弾正;「然り」
 華子はその通りにした。一同はどの様な箱かと目を注いだが、普通世間で大事な手紙などを入れるのに用いる小さい文庫である。この中に大なる活劇の種があろうとは誰も思わない。先ほどからただ弾正のすることをだけ、心配している蛭峰さえも、或いは祝いの標しに何か孫娘に与える積もりだろうか位にしか思わなかった。

 華子は「この箱をどうしますか。」と聞き、又もいろいろなくだくだしい手続きを得てようやく「中にある書類をここで安雄に朗読させてくれ、」と言う意味を探り得ることが出来た。本当に異様な注文である。ここに至って初めて、蛭峰は異様に危ぶむ念を起こし、「ナニ毛脛さん」、今読まなくても、後でゆっくり御覧なさって良いでしょう。」と忠告をした。

 安雄:「イイエ、おじい様のお指図は神聖です。」こう恭しく返事して、直ぐに華子がふたを開いて出すその箱を受け取り、中から古い一通の書を取り出した。書には表に「千八百十五年、二月五日、秘密共和党会合の顛末略記」と書いてある。これだけの文字に安雄の顔色は早や変わった。変わるのも道理だ。この年月日は幼いころから深く安雄の胸中に刻まれて消すにも消されないところだ。

 千八百十五年二月五日、これを安雄の父毛脛将軍が暗殺されたその日である。しかもその暗殺はここに記した秘密共和党の密会の席から帰る途中であったのだ。
 ただ標題の文字だけで安雄は、他の何事をも打ち忘れた状態である。熱心にその書を取り上げ、厳かに読み始めた。初めの方にはまず、将軍がナポレオンの流されているエルバ島から帰ったことから筆を起こし、将軍が十分世間からナポレオンの腹心であるごとく疑われたため、秘密党の首領が内々に将軍に面会し、その党の密会場に出席せられよと請うた様子を記している。

 これらのことは既に本篇の初めに記した通り、そのころの警視庁が探り得て、新聞にも載ったことで、それから将軍が自分から承知して自分の目を隠し、秘密党の首領の馬車に同乗してその会場に行ったことまでは世間の人は知っている。
    
 読んでここに至ると、蛭峰は大いに心配を始めた。彼は、「毛脛さん、毛脛さん、それは今読むべき書類では有りません。まず私にお渡しなさい。ご存知の通り公証人も待っていますから、結婚の調印を済ませてからその後で見ることになさい。サア私が預かりましょう。」と、遮って実際に手まで出した。けれど、もう安雄は心と書面とが一体になったごとくである。その言葉を耳にもかけない。そうして、次のごとく読み続けた。

 我々党員は首領の連れて来たりし毛脛将軍の目隠しを取り外すと、将軍は目を開いて、列座している七十人ほどの党員を見回し、非常に驚いた様子だった。座に在る中の過半数は前から将軍と親密な軍人にして、皆朝廷の忠臣と信じられる人々であるから、将軍は声を上げ、イヤ君たちもこの党員であるのか。さては人をここに連れて来るのに、用心に用心を加え、道順や場所などを知らせないために目隠しをするのは当然だとして、賞賛するような語を発した。

 党員の多くは、将軍の加入を得て、我々は早や大望の成就せし心地がすると叫び、熱心に将軍と握手した。
 既に議事にかかった。勿論将軍は初めての列席なので、自分から発言するほどの意見も無いと見え、始終無言で討議を聞き、その半ばに至り、手帳を取り出して心覚えに筆記しようとしたので、首領はこれを制止し、わが党の秘議はただ書記に筆記させるだけで、決して党員それぞれに書き留めることは許していないと言ったのに、将軍は又感心して、なるほどそうでなくては真の秘密は保たれないだろうと言って、その手帳をしまった。

 この時の評議はナポレオンがエルバ島から脱して来たので、全国党員がいたるところで旗揚げして朝廷を覆す手はずの打ち合わせであるため、党にとってはこの上も無い重大な機密であった。

 かくて評議は終わり、党員中の軍人は各々自分の連れて来るべき兵士の数と向かうべき方面とを首領の耳に小さい声で言い、順々に血判し、軍人でないものは自分が調達するすべき軍用金や又身に引き受けるるべき労働や奔走などを密約しこれもそれぞれ血判して、いよいよ将軍の血判すべき順番となったのに、将軍は躊躇するばかりか、拙者は朝廷から将軍の軍職を受け、朝廷の碌を食み、朝廷より栄爵まで授けられたものであり、朝廷の忠臣であるのでまだこの秘密党には入籍していない者だと言い放った。

 党員の面々はこの一語に怒髪の逆立つほど怒り、、将軍の肉を食らうとも足らずと言い、「殺せ」「殺せ」の声は叱咤の声と共にすさまじく、満場に沸き起こった。

 読み来たる安雄の声は、鍛える鉄を打ち合わすかと思われるほどに冴(さ)えた。蛭峰さえも一語を発することも出来ない。華子は頭を垂れて顔を両手で隠している。たぶんひそかに泣いているものらしい。

第百八十七 終わり
次(百八十八)

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