巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu198

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 7. 1

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百九十八回、『曲者』(四)

 毛太郎次にこの家の部屋の配置を教え、その上に窓を破るダイヤモンドをまで与えておいて、そうしてひそかに待ち伏せをしてここで毛太郎次を殺したとは、彼弁太郎の心の凶悪実に驚くべきである。毛太郎次が死ぬことも出来ないほど悔しがるのも無理は無い。
けれど、巌窟島伯爵の暮内法師はあえて驚かない。

 実は闇の中をも見るほどの視力あるその眼で先ほど既に小侯爵皮春永太郎と言う弁太郎の姿を認めたのだ。認めて大筋の様子を察したのだ。それだから毛太郎次に向かい、「お前が無事に行かれるか否かは俺には分からない。」と言ったのだ。

 しかし、伯爵は目の当たりにこの毛太郎次の死に悩む状態を見て、又弁太郎の事を思い合わせて、深い深い感慨を催し来たり、しばらくは言葉も発することが出来ず、こぶしを握って毛太郎次の顔を見つめた。是は何のための感慨だろう。外でもない、ただこの一時にありありと神の意が現れていると思うためである。辛苦に辛苦を重ねた大復讐がただこの一事で糸口を開くのだと感じたためである。

 毛太郎次はもどかしそうに、「法師、法師、どうか私の口供を写し取り、検事に出して弁太郎を刑に処してください。彼を殺さなければ私はこの無念が直りません。それ、こう言う内に私は少しづつ死んで行きます。早くして下さらなければ間に会いません。」

 法師は急いで家の中に入り、紙、筆と別に一壜(びん)の気付け薬を持って来た。そうして「サア、望み通りお前の供述を写してやる。」と言い、「私は今コルシカ島無宿父母不明の弁太郎と言う者に殺されてここに死するものなり。弁太郎はツーロンの獄に在りたる五十九号の脱走囚にして、今はこのパリーに在り。」

 手早く記し終わって読み聞かせ、「お前の供述はこの通りだろう。そうならばこの末に自筆で署名せよ。」毛太郎次は紙筆を受け取ったけれど、署名する力が無い。伯爵はそれと見て取って、気付け薬を三滴彼の口に注いだ。誠に薬の力は争われない。彼は筆を取り上げて署名をすることが出来た。

 「この薬で私は生き返ります。もう三敵、もう三滴!」と後をねだって口を開いた。
 法師;「これ以上飲めば頓死するわ。」
 毛太郎次;「でも私は検事が来るまで生きていて、もっと弁太郎の罪を訴えたい。けれど、法師、私が死んだらどうぞ貴方の口から充分に検事に言ってください。どうしても弁太郎が逃れられないように。コレが私の死に際のお願いです。」

 今わの際にも自分の罪は悔いずして、人の罪を罰することをのみ気にかけるとは何たる悪人と言うものだろう。法師はしかしこれを慰め、「よし、お前の知らないことまで、俺が検事に訴えてやる。」
 毛太郎次;「エ、私の知らないこととは」
 法師;「たとえば今夜お前が忍び入ることを、今朝既に弁太郎が密書を持って伯爵に告げたことやーーー。」

 毛太郎次は又驚き、「エ、弁太郎が密書を送って伯爵へ、私のしのび込むことを知らせましたか。悪人め、エエ、悔しい、悔しい」 法師;「そうよ、弁太郎から密書が来たけれど、あいにく伯爵は不在であった。そうして来合わせた俺が、この密書を受け取ったから、今夜ここでお前の来るのを待ち受けていたのだよ。」

 毛太郎次;「そうとは知らず、エエ、弁太郎の罠にかかりました。」
 法師;「その上に、もう一つ、俺が検事に言ってやるのは、お前の後を弁太郎がつけてきて、初めからこの家の外で待ち伏せしていたことよ。」
 毛;「それを貴方はご存知でしたか。」
 法師;「そうさ、窓の外を覗いて、その様子を認めたから、たぶんはお前が殺されるだろうと思った。それだから俺は言った。もしもお前が無事宿まで帰り着くことが出来たら、神がお前を保護している証拠だから俺もしばらくお前の罪を許してやる。」と聞いて毛太郎次は死に者狂いの拳を握り締め、

 「それでは貴方が弁太郎と同様の悪人です。弁太郎の待ち伏せを知っていながら私には知らせてくれず、明かりを取ってまで私を送り出して弁太郎に殺させるとは、コレが法師のすることですか。悪魔、悪魔」
 法師;「法師であればこそ、俺はお前に弁太郎の待ち伏せを告げなかったのだ。待ち伏せするのは弁太郎だけれど、実は神が弁太郎の手を借りてお前を殺そうとしていたのだ。悪をもって悪を討つ天意の巧妙な配剤が見えていたから、天意を妨げてはならないと思い、俺は謹んで知らない顔でいた。お前は今は死際の身となって弁太郎を恨むよりも謹んで神を恐れよ。悔悟にはどの様な罪も滅びる。今死に際でも、神の許しを願うのは遅くは無い。」

 法師の言葉、真に神の言葉である。毛太郎次には頭も上がるまいと思われるほどに厳かに響いたけれど、彼は神をば知りもせず、感じもしない。「何だ、天意の、配剤のと、何処にその神の証拠がある。」
 法師は更に厳かに、あたかも天の宣告をでも読み聞かせるように、

 「証拠はお前の身にあるのだ。おまえ自身が何よりの証拠である。良く聞け、お前は天の恵みを得て、人に劣らない健康な体を持って生まれながら、自分で天の賜物を粗末にして、酒や道楽に身を持ち崩し、人の踏むべき正直な道は踏まず、親友を売るような悪人の中に交じり、一言で妨げることが出来る悪事を妨げもせず、その親友を再びこの世に帰ることのできない所に追い落としたこともあるだろう。そのことはかってお前が尾長屋の店で俺に告げた言葉の中にもあった。それだけれど、神はまだ、一時にお前を罰するということはせず、今のうちに悔い改めよという警報のために、お前にまず貧苦を下した。お前はそのときも恨んでいた。世にもし神があればなぜ自分のような正直者が栄えないのだろうと、それがお前の間違いである。正直なのに栄えないのではない。お前の正直が足りないから栄えないのだ。その時神はなおもお前を戒めるために、この俺の手をもって、通例の人には見ることも出来ない程の宝物をお前に与えた。お前はその宝物をもって正直な栄を求めたか。そうではない。そのときには神の恵みを思い知ったと言いながら、直ぐにその夜に珠商人を殺したではないか。そうして二重の宝を奪い得たけれど、それは神の許さないところである。直ぐに神がお前の手からその宝を奪い去り、お前は終身の牢に入れられた。これはお前は人間業(わざ)と言うだろうが、人間の手を借り人間の法律を借りて神が怒りを示し給うたのだ。」

 毛太郎次は又叫んだ。「そうではない、そうではない、神がそのように不正直を罰するなら、毛太郎次よりも不正直な次郎や段倉がなぜ栄える。不公平だ、不公平だ。」

 法師;「神の公平、不公平を裁判する力は人間には与えられていない。次郎や段倉が何時まで栄えるか。重い罪には思い罰がある。重い罰には用意の月日がかかるのだから遅いのだ。更に聞け、その時にも神はお前に三度目の慈悲を表し、英人柳田卿の手を借りて又もお前をツーロンの獄から救い出し、正直に余命を送られるだけの手当てを与えた。それをもお前は不足に思い、更に人の家に忍び入るなど、神の怒り犯すようなことばかりするため、もはや許しては置かれないと、今夜この所に、この俺の見ている前で神は弁太郎の手を借りてお前に致命の罰を加えた。コレでまだ証拠が分からないと思うのか。」

 不思議にも毛太郎次はまだ口を利く力がある。「でも、正直な人に褒美を神が賜った実例はない。」
 法師;「有るよ、有るよ。その例は俺を見よ。お前はこの俺を誰だと思う。俺の顔を見忘れたか。」

 法師は言いながら法師のかつらを脱ぎ捨て、顔を毛太郎次の前に摺り寄せた。毛太郎次は驚いて、「エ、柳田卿」
 法師は再び顔の仮作を拭い去り、「柳田卿よりなおその前を良く考えてみよ。」
 再びすり寄った顔の面(おもて)には、真に人間を離れたような静かな穏やかな所があって、ただ眼だけが非常に輝いている。毛太郎次は恐れを顔にに現しながらも、じっくり見た。

 「何だか見覚えはある顔だ。昔――昔――アア思い出されない。もう頭が混乱してーー誰です。誰です。―――神様のような貴方の顔は。」
 法師は毛太郎次の耳に口を寄せ、細い細い声でささやいた。自分の耳にさえも自分の名の入るのを恐れる風だ。それも道理だ、二十数年来、人に向かって告げたことが無く、自分でさえも思い出すのを恐ろしいと思う姓名である。

 「俺か、俺の姓は・・・・だよ。俺の名は・・・だよ」
 姓は団、名は友太郎、ただ一語で毛太郎次の胸には今まで思いも寄らなかった一切の明かりが、稲妻のように煌々(こうこう)と差し込んだ。

第百九十八回 終わり
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