巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu201

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 7. 4

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百一回、『議場空前の光景』

 親の因果が子に報いるとは、野西武之助の様な場合であろう。彼は自分の父、野西子爵に全く売国奴の振舞いが有った事を知って、父の汚名が、直ちに自分の身に纏(まと)わり付くように感じた。たとえその汚名は猛田猛(たけだたけし)の慈悲により、証拠を掻き消してしまったとは言え、これでもって人を欺くことが出来ても、自分の心を欺くと言うことは出来ない。

 このパリーに居ては、人に顔を見られるたびに、何だか自分が辱められているような気がする。兎も角、当分の内は静かな田舎に引っ込んでいて、深く考えてみようと思い、巌窟島(いわやじま)伯爵に従がって、伯爵のノルマンデーの別荘に向けて立った。

 この別荘で静かに心を落ち着けて、考えをめぐらすうちには、誰がこう執念深くも我父の旧悪を暴くのか、その辺の見当も付くだろうと、出発の時にはこのように思っていたが、後で思うと、真にこの出発が前回の末に記した通り、活劇の幕開けであった。実に悲しい恐ろしい幕開けだった。

 そうとも知らずに彼は、伯爵の馬車に伯爵と共に乗り、ただひたすらに急がせたが、実に伯爵の贅沢は今に始まったことではないが、ただ驚くほかは無い。ノルマンデーまで約五十里(200km)の間に、7ケ所も伯爵の私設の馬継ぎ場があって、ここでは夜も昼も絶え間なく駿馬の用意をして待っている。こちらから伯爵の馬車が着けば、直ぐにその疲れた馬を初めての馬に取替え、力を新たにして出発する。

 たとえ国王の急使と言っても、こうまで充分な真似は出来ない。パリーを立ったのは午後の四時であったけれど、これがために夜の十二時にノルマンデーへ着いた。五十里(200km)の道を、馬車でただ八時間とは、恐らく前後に無い実例だろう。しかも別荘には、夜半ながら入浴の用意まで出来ている。パリー第一流の旅館と言っても、こうまでは手が届かないだろう。

 入浴が終わって、非常に軽い品で夜食を済ませ、波の音を聞きながら寝に就いたのは、夜の二時である。社交にのみ身を委ねる武之助にとっては、二時に寝るのは早いうちとも言うべきだ。もっとも心にうやむやのあるがために、寝心地は余り良くは無かった。何度か悪い夢にうなされなどして、ようやく明け方から熟睡をし、十時になって目が覚めた。

 そうして床を離れて縁側に出て見ると、何しろフランスの海岸中第一等の場所と言われるだけに、目の前には広い海のパノラマが横たわって、しかも海の温度は冬の寒さを消し、得も言われない快い心地がする。俯いて直ぐに別荘の下を眺めると、伯爵の持ち物だろう、見事な豪華ヨットがつながれていて、その周りには、網み船、釣り船もあまた浮いている。ただ伯爵の口から一言の指図さえ出れば、どの様な漁でも出来るのだ。

 その上に更に左手の方を見れば、高い岬がここからそろそろ上りの地続きとなって、峠までの間に青い草原も林も牧場も狩場もある。之がすべて伯爵の別荘に付属していることは、馬車の中で伯爵に聞いた話で分かっているが、話にも勝る場所である。

 仙境に入ったとはこれだろうと、この日も翌日も、自分の身を忘れるまでに打ちくつろいでいたが、三日目には、晴天の霹靂とも言う様に、この静かな場所にひずめの音高く、パリーから早馬の急使が来た。急使は何の用だろう。パリーにおいて武之助の父野西次郎の身にかかった、いわゆる活劇を知らせて来たのだ。

 武之助が立った翌々日である。パリーで最も信用の厚い政府方の新聞、世間では半官報とまで敬われている紙上に、野西子爵に対する容易ならない非難の記事が載せられた。それは先ごろ猛田猛(たけだたけし)の主宰する新聞に出た記事を、一層詳しくしたもので、明らかに姓名まで消して、売国奴の罪を武之助の父に塗り付けてある。

 短いけれど争われない。その本文は下の通りだ。
 先ごろ某新聞にヤミナ城の陥落したのは、全く同城にこもっていたフランス国士官中に、敵軍トルコに通じる者があり、報酬のために城を売ったためであるとの記事を記し、大いに世間を驚かしたが、悲しいことに、今はその記事の事実であることを確かめることが出来た。

 某新聞には、その売国の奴を、次郎とだけ記してあったが、この次郎はその後パリーに帰り、その穢れた報酬をもって、栄華を極めるばかりか、今は陸軍の中将にまで登用され、子爵の肩書きを有して貴族の中に列せられている。我フランスの貴族総体が、かくのごとき醜奴の、その同族中に在ることを知って、平然として居て顧みる所が無いのは、如何言う事だろう。

 吾人は是を駆逐して、わが国の貴族総体の名を雪消するため、合わせて目下開院中である貴族院の、参考に供するため、特にその姓名を発表する。その醜奴その売国奴は、子爵野西次郎である。

 実に驚くべき厳責の文字である。これだけではない。更に他の信用の厚い二、三の新聞にも、多分は同じ根拠から出たであろう、似通った意味の文が出て、これらには更にその詳報として、当時野西次郎が、敵の軍隊を案内して、ヤミナの城門を内側から開き、不意に城主有井宗隣の部屋にまで、敵の将士を連れ込んだ残酷な所業から、宗隣の夫人およびその幼い姫君が、逃げ惑って、老僕パシリキという者に助けられ、わずかに落ち延びようとする所を、案内に詳しい次郎が自ら追いかけて、之を捕えた様子、および忠臣セリームと言う者が奮闘して城主と共に敵弾に倒れたことまで、その時の哀れな様子をそのまま記したものもある。

 実にこれらの記事が、パリーの上下全社会を驚かせたのは、ほとんど一世を震動せしめたとも言うべきほどである。
 中にも、かの猛田猛(たけだたけし)は、折角野西武之助に対する自分の親切も、水の泡となったのを嘆き、朝食をも食べずに早速これらの同業社を巡り、いかにしてこのような記事を載せることになったのかと糾したところ、この前日ヤミナ州から人が来て、数束の証拠書類をもって各社を回り、もしこの社で出さなければ他社に出させると掛け合ったため、各社ともに、このような大椿事を他社に先駆けられる辛さに、我遅れじと出したものだと言うことが分かった。

 それにしてもヤミナ州から、わざわざ野西子爵の旧悪を訴えるため、証拠を持ってこのパリーに出て来たのは何者だろう。たぶん亡国の恨み今だ消えていない遺臣らの中だろうと、猛(たけし)一人は理解することが出来た。

 何しろこれほどの大暴露を、貴族院が黙っているはずはないと言って、市中の人々が我も我もと貴族院に押しかけた。之を黙っているほどでは、貴族院が自ら貴族の信用と対面とを、保護することは出来ないのだと、誰も言い、彼もののしり、その広い傍聴席は定刻の前に一杯になってしまった。

 議員と言っても同じである。日頃休みがちな人までも、ことごとく出席した。いずれも手には一枚または数枚の新聞を、悔しそうに握り、事の真相を調べるだけの、厳重な議決をしなければならないと憤っている様子が、顔にも形にも現れている、この中にただ一人まだ今朝の新聞を見ていない人が居る。それは外でもない、売国の醜奴と名を指された当人野西子爵である。

 子爵は何時に変わらず議場に歩み入り、その人々が何時もより早く出揃っている様子に、少し不審を催したと見え、右を、左をと見回した。議場空前の光景とはまさに之だ。

第二百一回 終わり
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