巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu216

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 7.19

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百十六回、『友太郎とお露』(二)

 子爵夫人露子が武之助の後を付け劇場までも行っていたとは、流石に慈母の情というものである。それならば、実際武之助と伯爵との喧嘩の起こりも目撃したのだ。

 伯爵は少し驚いたけれど、騒ぎはしない。最早どう有っても我が復讐の次第をこの露子夫人に一々言い聞かさなければならない場合と胸を固め、宣告するような厳かな語調で、「オオ、そうでしたか、貴方は劇場で私と武之助との争いを見ていたのですか。それではいよいよ私が武之助を殺さなければならないことが分かるでしょう。万人の見る前で、理由無く私を罵(ののし)って、果ては私の顔に手袋を叩(たた)きつけようとまでしたでは有りませんか。これをもし懲(こ)らしめなければ、巌窟島(いわやじま)伯爵と言う名前は明日から到る所の笑い種(ぐさ)にされます。」

 露子も承知しない。「友さん、友さん、それを言えばひどく武之助が悪いように聞こえますけれど、彼は理由無く貴方を罵(ののし)ったのではなく。自分の父の身に降りかかった不幸を貴方の仕業だと思ったためにーーー。」
 伯爵は冷ややかに、「エ、父の身に降りかかった不幸、イヤナニ、あれは不幸と言うものでは有りません。天罰です。天が私の手を借りて彼に罪悪相当の罰を下したのです。」とうとう自分の仕業と言うことを白状した。

 露子は情けない声で、「エ、エ、何で天罰、何で貴方の手が天の手です。たとえ、野西子爵に罪悪が有ろうとも、それは年月を経て世間の人が皆忘れていますのに、何で貴方一人が執念深くそれを覚えていました。ヤミナの城は貴方の城ではないでしょう。たとえ、その城主有井宗隣とやらに対し、子爵が不実不親切の挙動をしたとしても、何か貴方が横合いから復讐呼ばわりーーー天罰呼ばわりーーには及ばないでしょう。」

 ジリジリと伯爵に詰め寄るほどの剣幕である。
 伯爵;「夫人、いかにも有井宗隣の事はその一女鞆得姫と野西子爵との間の事件で私の知るところでは有りません。私が復讐と言う天罰と言うのは、先ほども申したとおり野西子爵に対してではなく、スペイン村のお露を妻にした漁師次郎という者に対してです。」

 夫人;「漁師次郎に対してならば、オオその漁師次郎がお露を妻にしたということは誰の罪でもなく、ここにいるこのお露の罪です。それを貴方のような復讐とはあんまり恐ろしい仕方です。罪の有るのはお露ばかり、サア、天罰ならばこのお露の身に下して戴きましょう。貴方が婚礼の間際に居なくなって、お露はただ一人取り残され、その寂しさを我慢するだけの辛抱が無かったのです。」

 伯爵;「サア、そこです。何ゆえ婚礼の間際に私が居なくなりました。なぜ貴方はただ一人になりました。」
 夫人;「それは貴方が捕縛され牢に入れられたからです。」
 伯爵;「ナニゆえ私が捕縛せられ、ナニゆえ私が牢に入れられました。ナニゆえ、サア、何ゆえ」

 夫人;「その詳しい理由までは知りませんでしたけれど。」
 伯爵;「なるほど、お知りではないでしょう。では言いましょう。婚礼という前夜に、段倉という男が、私を恐ろしい罪人として検事に宛てた誣告(ぶこく)《偽りの事実で他人を告訴すること》の手紙を書き、マルセーユの酒屋に捨てて置きました。それを次郎が後に回って拾い取り、郵便箱に入れたのです。」

 言いながら伯爵は立って、手文庫の中から古い一枚の書面を取り出した。これがその手紙である。かって伯爵がマルセイーユの監獄所長から森江商会へ預けてある二十万円の金の証書を買い取るとき、古い記録切り取って来たのである。「サア、これを御覧なさい。」と子爵夫人の目の前に指し付けた。

 その文句は団友太郎を最も過激な共和党の一人とし、ナポレオンのために朝廷を転覆する、陰謀を企てているように書いてある。勿論争うべき余地は無い。
 一目に読んで露子は叫んだ。「これはまあ恐ろしいーーー。」
 伯爵;「ハイ、私はこの手紙を二十万金に買取ました。けれど、これで貴方の納得が得られれば。」

 夫人;「この手紙のために」
 伯爵;「この手紙のために私は泥埠(デイフ)の土牢に十四年入れられました。その十四年の間、毎日私は復讐の誓いを立て、毎日呪(のろ)う様にしていたのです。けれど夫人、よもやこの讒言者(ざんげんしゃ)《事実を偽って他人を悪く言う者》がお露をまでも奪って妻にしたとは知らず、又自分の父が飢えのために苦しみ死んだとも知りませんでした。」

 夫人;「エ、そのようなことが、」
 伯爵;「ハイ、それは十四年を経て牢から出て、初めて知ったのです。それですもの、私が復讐するのは無理でしょうか。苦しみ、苦労を重ねた今、やっと復讐に達したのです。復讐を見たのです。」

 夫人の額には脂汗が湧き出ている。夫人は手を上げこれを拭って、「でもその手紙を郵便箱に投げ入れたのが次郎だとは、それは確かなことですか。誰も見た人が有るわけでも有りますまいし。」

 伯爵;「見なくても分かっています。確かに彼は投函しました。のみならず、彼はこのフランスに帰化していながら、ワーテルローの戦場では敵に内通を図りました。かれはスペインの人間でありながら、スペインを敵として戦いました。彼はヤミナの恩を受けてヤミナを敵国に売りました。恩に背いて信を売るのが彼の天性では有りませんか。讒誣(ざんぶ)の手紙を投函して私を陥れることくらいのことは彼にとって極軽いのです。しかし私に対したことは恋のためなので彼の妻となっている貴方の目には重大とは見えないでしょうが、貴方と婚礼の決まって居た私には、貴方がそれを見るように軽いこととは見ることは出来ません。夫人よ、我フランスもこの裏切り人を処分しませんでした。スペインもこの悪人を懲(こ)らしめることは出来ませんでした。ヤミナ州もこの負徳、負恩、売国の奴を取り逃がしました。これが、天道人道の嘉(よみ)《褒めたたえること》するところでしょうか。」

 言い来る伯爵の言葉は、一語は一語よりも切に真に天の宣告かとも疑がわれる程に聞こえているが、ここに至っては又一層声を張り上げ、金を投げ打つような響きを帯びて、「有井宗隣はきっとこの者を恨みながら墓場の底に歯をむき出しているでしょうが、私はそうでは有りません。この者に誣(し)《偽りの事実で告訴する》いられ、この者に陥害(かんがい)《おとしいれる》され、この者に埋められて、今はこの者を罰するために、天の冥助(みょうじょ)《目に見えない神仏の助け》を得て、墓の底から起き上がって来たのです。そうしてここにこの通り立っています。」

 夫人はさながら百雷に頭を圧せられたごとくである。頭は地に付き、腕は垂れ、そうして全身は震え、戦(おのの)き、「友さん、どうか許してください。友さん、友さん、昔の愛のためにも、許してくださることは出来ませんか。」聞くも哀れとはこの声である。

第二百十六回 終わり
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