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巌窟王
アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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史外史伝 巌窟王 涙香小子訳
二百六十二、『裁判』 (四)
これほど人を驚かせる申し立てが外にあることができるだろうか。蛭峰検事を我父と言い、証拠を提出することが出来ると言うのだ。
普段は落ち着いた裁判長も我知らず急き込んだ。ほとんど顔が赤くなった。そうして言った。「それは予審廷の申し立てと違うではないか。汝(なんじ)は予審廷では名を弁太郎と言い、コルシカ島の者だと言い立てている。」
弁太郎;「ハイ、予審廷では出鱈目(でたらめ)を言いました。」
裁判長は怒って、「出鱈目を」
弁太郎;「ハイ、公判の時でなければ言っても仕方が無いと思い、真の事実を今日まで隠して蓄えて置くためにその様なことを言ったのです。今日ここで言う事は、生きた証人を出すことも出来れば、実物の証拠をも一々お目にかけることが出来ます。私は誠意をもって断言します。この私が検事長蛭峰重輔の私生児であることを。」
これを事実だとすれば余りの怪事である。もし事実で無いとすれば余りの暴言である。裁判長はほとんど、一時裁判を閉じようかとまで思ったらしい。しばし黙然として考えた。しかしホンのしばしである。勿論被告が何を言おうとも裁判を中止する言われは無い。相当に問うべきだけのことは問い、言うべきだけは言わせなければならない。
「もっと詳しく述べてみよ。」と言うのが裁判長の直ぐに発した言葉である。弁太郎は満足そうに、前より一層落ち着いて、「私は既に申しました通り1817年9月27日に生まれましたが、その時刻は夜の九時過ぎでした。その場所は、ただ今オーチウルと言いましたが、これも詳しく言えば、吹上小路28番邸で、赤い帳(とばり)の掛かった二階の部屋の一室で生まれました。今でもこの部屋が余りその頃と変わらない状態で存在していることは多分私の父蛭峰大検事も見たでしょう。私も遠からぬ以前に見ました。丁度裏階段へ降ろうとする所に有ります。」
一語一語、聞くにつれて、蛭峰の恐れは増す様子である。彼の恐れが増せば増すだけ弁太郎の言葉がいよいよ調子付いて、いよいよ力を増す。弁太郎は語を継いだ。「私が生まれ落ちるや否や、父は私を押し殺しました。イヤ、押し殺すことが出来たと思ったのでしょう。母に向かい、この子は死んだと言い聞かせ、布に私を包みました。その布にはH・Nの二文字を縫い付けてありますので今でも分かります。この二文字は多分私の母の姓名の頭文字だろうと思われます。それから父は私を箱に入れ、小脇に挟んで自ら今申す裏階段を下り、庭の樹の下へ埋めました。
裁判長閣下、父は私を生き埋めにしたのです。その時私は未だ死んでいなかったのです。死んでいないからこそ今日この通り、生きていてこの法廷に父の人となりを告げることができるのです。私は深くこの事実によって、公明なる裁判を願わなければなりません。」
真に満場の人々は金縛りにされたようである。この恐ろしい陳述がどう終わるかと、手に汗を握る思いはしても、総身がこわばった。嘆息を洩らすことさえ出来ない。
裁判長;「しかしそのような詳しい事柄がその方にはどうして分かる。」
弁太郎はこの問いを待っていたらしい。直ぐにまた答え始めた。「ハイ、私は是非ともその事を聞いて頂かなければなりません。私の父蛭峰重輔は、何かその前に、人に恨まれるようなことでもしたと見え、コルシカ島の何某(なにがし)という男が彼にベンデタ《復讐》を宣言し、くまなく彼をつけ狙っていたのです。
この夜も彼をオーチウルの家まで尾行し、その庭に隠れていて、父が木の下に穴を掘るところから怪しい箱を埋めるところを全て見ていたのです。そうして埋め終わった時、草むらから躍り出て直ぐに彼を刺し殺しました。イヤ彼のそのまま倒れたのを見て刺し殺すことが出来たものと思いました。
裁判長閣下、ここで一応注意を願って置きます。今でも彼の体を検分すれば確かにその傷が跡を留めているでしょう。私は彼の体の何処ということを明らかに指し示すことも出来るのです。それだけで未だ足りないとならば、彼を刺したその当人をも指名することが出来るのです。幸いにその当人は今も元気で生きながらえて居りますから、証人として呼び出して戴くことも難しく有りません。
それからその人は父の倒れたのを見て安心はしましたが、今埋めた箱に不審を起こしました。ことによると秘密の宝物でもあるかも知れないという様な欲心のために、その箱を掘り出しました。運び去ってふたを開きました。中から出てきたのが私であって、未だ生きていたため、驚いてこれをその付近の孤児院に投げ込みました。しかし他日の証拠にと思い、そのくるんだ布にあるH・Nの縫い字を半分だけ切り取って持ち去りました。
直ぐに私は、夜の明けないうちに孤児院に収容されました。その孤児院も幸い今存していますから、取り調べれば分かりますが、私は第三十七号孤児という札を付けられしばらくここで暮らし養育されました。この様にして三ヶ月の後に、この孤児院に私を受け取りにに出た女があります。これはコルシカ島から、今申した布の片切れを持ってわざわざ出張したのです。布の方切れが何よりの証拠ですので私は直ぐにその女に渡されました。
これでもって私は、パリーに生まれた身ながらに遠いコルシカ島で育て上げられた次第がよく分かりましょう。」
言い来たって、弁太郎は、涙を隠すためのように目をしばたいた。
第二百六十二回 終わり
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