巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu98

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 3.23

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

九十八、「何処へ隠れてしまったか」

 寺の庭で忍び会うとは、いかにも小説にも有りそうな話である。武之助の満足はたとえようもない。彼は安雄に向かい何度も繰り返して、「エ、君、余ほど教育のある女だぜ。僕は確かにこれを令嬢だと断言する。筆跡と文章の美しい事を見てくれたまえ。」と言った。

 教育のある令嬢が、果たして見ず知らずの紳士と、わずかお祭りに花の投げ合いをした位で、また僅かその紳士からラブレターを受け取ったくらいで、この様な返事をよこし、この様に寺の庭で密会《デート》をしようなどと言うだろうか。用心深い安雄の方は何だか不安に思い、「僕がもし君なら、この手紙を受け取っただけで、既に土産話の種が出来たのだから、これ以上の深入りはしないところだ。」

 「何事も切り上げが大事だから、ここで君が切り上げて見なさい。どれ程話が美しく奥ゆかしいか知れ無い。その女はどの様な女だっただろう。もし寺の庭でいよいよそのデートをしたなら、どの様な事に成ったところだろうと、後々までも聞く人が残念がるから、何時まで経っても、話の興味が尽きないというものではないか。」

 理を尽くした忠告だけれど、武之助はただ邪魔のように思うだけだ。「僕は決して土産話のためにこの様な事をするのでは無い。熱心だよ。事によるとこの土地に半年以上も留まる事になるかも知れない。そうして国に帰るときには多分、もう独身の男子ではないだろうと思う。」早やこの女と結婚までするつもりとなっているらしい。

 安雄;「しかし君、知らない他国で、知らない婦人とデートする危険も考えたまえ。」
 武之助;「あの女が僕とデートするのを危険と感じないのに、僕の方が危険と思って済むものか。」ほとんど手が付けられないとはこのことだ。
 
 「しかし君、火曜日の夜は、君も僕も一緒にプラシャノ候爵の夜会に案内を受けているのだよ。この方が先約だから。」と安雄はなおも引き止めにかかった。これが友人の親切と言うものだろう。

 武之助。;「先約だって。夜会は翌朝の四時頃まで続くではないか。それまでにはデートを済ませて出席する事が出来るだろう。もし、出来なくても仕方が無い。後でどのようにでも謝る。ナニ決して君に迷惑は掛けるようなことはしないから。こればかりは僕の好きなように任せておいてくれ。」

 もう如何とも止めようが無い。翌日も翌々日もお祭りは一層盛んに続いたけれど、武之助はもう馬車には乗らない。巌窟島伯爵から使用を任されたロスポリ館の窓に寄り、胸にまだ萎んだスミレの花を差してただ見物するだけであった。女の方もどうしたか姿を現さない。

 いよいよ火曜日の夕方となった。間もなくお祭りが終わるので、花火も上げれば、競馬も有り、真に4日の間、層々と重なって来た波がここで崩れるという状況だ。人気の立っている様子がただ凄まじい。武之助は手紙で指示された通りに肩に赤いリボンを、目立つほど長く付けて、ポンテンの辺に進んだ。そうして花火も済み、競馬が終わると、モツコントと称する蝋燭(ろうそく)を売る声が町の隅々に響き渡った。

 武之助は直ぐこれを買い取って、燭火(ともしび)《ろうそくの明かり》行列の中に入ったが、行列は全く一種の戦争である。互いに自分の燭火を消さないように守って他人の燭火を消そうとするのだ。これがいよいよお祭りの最終だから、安雄もこれに加わったが、しかし、自分のためよりはむしろ、武之助のする事を見張っている為である。

 武之助は体操にも武術にも熟達した男であるから、誰が来ても上手に外して決して自分の燭火(ともしび)を消されない。又人の燭火を消そうとはしない。これよりは外に大事な目的を持っているのだ。群集の中を押し分け、押し分け、ようやく寺の門まで行き、約束の通り、石段の上に立ったのは、もう祭礼の終結の時間となる間際である。安雄の方はこの時、五百メートルほども振り離されながら、油断なく武之助を見ていた。

 石段の上に立つや否や武之助は「我ここにあり」という合図のように、燭火を高く差し上げた。するとあたかもこの合図を待っていたように、どこからかあの女が走り寄った。衣服は一昨日見たのと同じである。そうして女は直ぐに武之助の手にすがり、燭火を消し、そのまま手を引くのか引かれるのか。、安雄の目の届かない寺の庭の奥の方へ一塊のようになって立ち去った。丁度この時、芝居の幕が下りるお祭り終結の鐘が鳴った。

 このお祭りの一つの不思議は、秩序が正しくて、一同が良く時間を守る事にある。鐘の音とともに、町々に満ちている何十万の燭火が同時に消えた。丁度宵闇の時であるのでローマの全市は全くの闇となった。本当にカーニバルの終わる瞬間ほどもの凄い変化は無いと、多くの旅人がその旅行記に書いているが、全くその通りである。勿論、この様なわけであるので。あの武之助の姿もどこに隠れてしまったのか、尋ねる方法もないのだ。

第九十八終わり
次(九十九)へ

a:1033 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花