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白髪鬼
マリー・コレリ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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(一〇〇)
読者よ、私はナイナが一も二もなく、私をハピョと知り、知ったら、また、一も二もなく平伏してその不義の罪を謝るだろうと思っていたのに、彼女は私をハピョだと知りながら、なかなか分かったと白状せず、私の必死の追求に会って、ようやく白状はしたものの、自分の罪を謝ろうとはせずに、すきを狙って戸口の方に逃げ去ったのを見て、実にその考えがどこまで腐っているのかと呆れた。
逃げられるものなら逃げてみろ。私が前もってこんな事も有るだろうと見て、堅く錠まで下ろしておいた鉄の戸がお前ごときのやせ腕に開くものかと私は心であざ笑い、立ち上がりもしないで見ていると、ナイナは篭の小鳥が自分の力も考えずにくちばしで篭の戸を噛み破ろうとし、自分で疲れて命を縮めるように、ほとんど懸命に戸を動かしたが戸は冷酷にも一センチも何ミリも動かなかった。彼女はこれを見て「ええ、情けない」と絶望の声を出し、再びその石段を下りて私の所に走って来た。
走って来てどうするつもりなのだろう。私は落ち着き払って彼女の顔を見ると、彼女はどこまでも私に抵抗し、私を言い伏せて出ようとの決心のようだ。顔に一種の決然とした様子が見られ、その美しい血色もいくらか元に戻っていた。彼女はあたかも脅(おどす)すように私をにらみ、
「これ、戸を開けなさい。開けないか。卑怯者、女をだましてこのような所におびき出し、そうして恨みを晴らそうとは自分の心に恥ずかしくないのか。貴方は人を殺すのを何の罪とも思わないのか。」とあべこべに私を罵(ののし)った。
私は大声で、「だまれ」と叱り、更に何の情にも何の感じにも動かない石よりも固い声で、「人を殺すのは大罪だがお前を殺すのは罪ではない。一度結婚する以上は妻に対していくらかの権利を持つことは当然なのだ。私はお前と結婚の上に結婚を重ねたからには、生かそうと殺そうと私の勝手だ。ましてや初めに言い渡したように、あえてお前を殺しはしない。言うだけのことを言い聞かせ、お前をこの墓倉の中に残し、私は未練もなくただ一人で立ち去るのだ。」
ナイナは初めて聞いた時のように驚き「ええ、それが殺すというものだ。この穴に閉じこめて立ち去って、それで殺さないと言うのですか。」
「お前でさえも、人殺しを、それほどの罪だと思うのか。自分が殺されるのが恐ろしければ、なぜ自分で二人を殺した。お前は血気盛んな男を自分で二人までも殺したのを知らないのか。」
「そのような覚えは有りません。言いがかりです。言いがかりです。嘘つきめ、卑怯者め!」
「言いがかりでも、嘘つきでもない。お前の偽り深い心のため、身を滅ぼした者が二人いる。その一人はかく言うハピョだ。お前の不義を知ったときハピョの心は剣を刺し通されるよりも痛く愛も情もその場限り無くなって、ハピョというハピョはこの世界にいない人だ。」
「人に慈悲深いと言われたハピョ、さあ、そのハピョはどこにいるのだ。ここにいるこのハピョは愛もなく、情もない幸福もなく、ただ恨みという復讐の思いばかり、その思いのため浮かぶとも浮かばれず、お前を苦しめて妄執を晴らすため墓の底から帰って来た男だ。悪魔だ、白髪鬼だ!」と怒り燃える火のような熱い息を彼女の顔に吐き掛け、血走る目でにらみつけた。そのすごさ、その恐ろしさは、恐れおののくナイナの顔に映って、私は自分でさえぞっと身震いするばかりだった。
白髪鬼は縮込むナイナの両手を合わせて片手にしっかりと捕らえ、「この通り私がお前に殺されただけでなく、ギドウとても同じ事だ。」と言い掛けると、ナイナはここにいたってほとんど気が狂ったようだった。
彼女は夢の中のような声で、
「おお、ギドウ、ギドウ、彼は私を真実から愛していたのにーーー、」
「そうさ、人面獣心のお前を愛したのさ。それほど彼が恋しければさあ、来い、彼の死骸がある近くに連れて行ってやる。」と言いながら、私はナイナの体を引きずって墓倉の一方の隅に連れて行き、
「ギドウの死骸を葬ったのは丁度この隅から少し離れたところだから、彼の魂もさだめしこの辺にさまよい、今夜のこの復讐を見て無念晴らしと喜んでいるだろう。ギドウよ、ギドウ、お前に霊が有るなら来て私と一緒にこの人面獣心の女を呪え。」と祈るように唱えると、ナイナはもはやたまりかね、
「ギドウを殺したのは貴方、ハピョだ。ギドウよたたるならこのハピョにたたれ。」
「悪女め、お前は生前にギドウを欺いただけでなく、まだ彼の魂まで欺く気か。彼を殺したのもお前だ。彼はお前が彼を欺き、密かに笹田折葉と言う老人に心を寄せたと知ったときに死んだのだ。」
「私のピストルはただ彼の苦痛を切り縮め、彼を救っただけのこと。彼は死に際に笹田折葉がその実ハピョであることを知り、自分の罪を謝りながら息絶えた。ハピョを恨まずお前だけを恨んでいる。息が絶える間際までお前を呪う言葉を吐いていた。」
「それにお前はギドウが死んだときにはほっと安心して喜んだではないか。そうすればギドウを殺したのはいよいよお前だ。お前の罪はどんなに重い罰を加えても決して償うことはできない。未来永劫(みらいえいごう)地獄の底であらゆる責め苦を受けて死ね。」
と力の限りに罵(ののし)り懲(こ)らしめた。
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