巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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白髪鬼

マリー・コレリ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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白髪鬼

             (二十一)

 これで、形だけは満足したが、私は更に声とことばつきも少しは変えなければならい。たいていのイタリア人は喜怒が表情に現れやすく、うれしいときは手を打って喜び、悲しいときは声を出して泣くというように、何かにつけてその動作が大げさなのだ。自分からしようと思って大げさにするのではなく、ただ、一国の気風が自然にそうさせるのだ。

 中でも、私などは全ての感情が人より感じやすくできている。だが、復讐などを計画する者は、このような性格になるべきではない。心ではどんなに悲しいことでも、上辺では笑ってすませ、腹の中では煮えくり返えるほどの怒りを持っていても、顔はただ空うそぶいて平然として居なくてはならない。いくら私の姿がうまく変わったにしても、全ての癖、全ての動作が、全てハビョのままではとても目的を達成する事はできない。

 姿よりも一層完全に私は私の癖を変えよう。これは実に成し遂げるのは難しいことだ。
 幸いに、私の宿泊しているホテルに世界第一の冷酷な国民と評されている英国紳士がいる。この人こそ私のための良い手本だ。この人は、パレルモの海辺の絶景を二階の窓から眺めても、ええ、つまらないと言う顔で見下ろし、一点の笑みも浮かべなければ、感心の様子も見せない。食堂に入るのも機械のように何の味も素っ気もなく歩いて来て、食事に口は開くが、笑いではその前歯を見せたこともない。

 メードを呼ぶのも、私ならば、「これ、これ」と前言葉を付けて優しく呼ぶところだが、この人は前言葉も無く、ただ、出し抜けに、「メード」の一言、しかも、喉の奥から出た艶のない声で、さながら、雄牛の叫ぶ声に似、泣く子が泣くのをやめるばかりか、笑う大人の笑い声も止めてしまう。世間には愛嬌(あいきょう)の必要はないと悟りきっての事かと疑うほどだ。

 私は立つのも座るのも全てこの人を見習い、今までの早口をなるべく遅い言葉つかいにし、細くてりんりんと響く声を、なるべく太く、ぶっきら棒な声に変えようとするが、これがなかなか一筋縄には行かない。ほんの一週間も練習したらできるようになるだろうと思っていたが、十日を過ぎ、二十日を過ぎ、三十日を過ぎてもまだ思うようにはできず、およそ、四,五十日の苦心でようやく一通りできるように上達した。

 もっとも、これはただ上辺だけのことではなく、実際に私の心は死んで、また生き返ったため、丁度凍った水のように、前の性格とは全く変わり、器(うつわ)次第の素直な性質が厳として動かないほどの非常にかたくなな性質に変わったので、ただ、人まねと練習でだけ変わったのではなく、いくらかは自然に変わったものだ。

 それは、自分自身でも怪しむほどで、驚くべき事を聞いても驚かなくなり、「何だつまらない、そんなことか」とまずこころに高をくくり、その上で、ゆっくり振り向くと言う調子になり、初めは、お客様、お客様と、メードなどからお愛想を言われていたのが、「あんな気むずかしい客は居ない」と陰口を言われるまでになった。この調子では、もはやナポリに帰って行っても私は全くの見知らぬ人だろう。

 見しらぬ人として帰って行くその前に、まず、先ふれが大切なので、私は一計を案じ、ナポリの有力な情報紙の主筆記者に宛てて、その先触れの文句をメモし、五十円の掲載料を封入し、私のために一項の雑報を掲載してくれるようにとの手紙を送った。その雑報は以下の通り。

 今から二十年前、当府に笹田折葉と言う伯爵が居たことは、当時の貴族名鑑を見るまでもなく、今なお社交界に記憶する人もいることでしょう。この伯爵は1865年(か6年)の頃のことだったと思われるが、親しい社交界を脱し、商業に身をゆだねようとして、インドに向かわれ、出発したが、それ以来何の音沙汰もなく、あるいは死去したのに違いないなどの噂もあったが、伯爵はよほどの幸運の持ち主と見え、何度か死地を踏んだが、非常な艱難(かんなん)《困る事》と辛苦(しんく)《苦しむ事》の後、ついに驚くべき大財産を築き、余生を楽しく過ごすため、この程、その富を携えて、インドから帰って来た。

 今は当府の悪疫を恐れ、パレルモに滞在中だが、近い中に同地より来て、当地に永住の計画をしているとのことですので、知っている人も知らない人も、社交界の人々は両手を開いて伯爵を歓迎する事でしょう。とにかく、我が社交界にこのような由緒正しい富豪の一貴族を加える事は本当にめでたい事と言わねばならない。

 私はここまで自慢して書きはしなかったが、記者の筆加減で誇張して書いたものと見える。記者はこの雑報が乗せてある新聞2葉に更に丁寧な挨拶の手紙を添え、私の元に送って来た。ただ、あの50円の掲載料のことは、受け取ったとも、受け取らなかったともなんとも書いていなかった。私は、ナポリの新聞記者のモラルの程度を知った。

 厳挌な英国の新聞記者とは違い、このような賄賂、いや、報酬を無言で受け取るのは、ほとんど一定の役得である。最もその俸給は中等官吏より安く、その位置はかえって高等官吏より高いのを思えば、このたぐいの役得が無ければ、ほとんど成り立ちがたい内情ではないか。英国の記者でも、もし50円を百倍し、五千円を送ってやったら、たいていの事は書くだろう。東洋の記者に至っては、わずか五円でも筆を曲げると聞いている。
 
 この雑報は意外に効き目があった、イタリア中の諸新聞はどの新聞もこれを抜き書きして報道し、また、社交家の中には、早くも私に招待状のような手紙を送りつけてよこしたのもあった。私は稽古した甲斐があってそのような手紙に驚きもせず、笑いもせず、至極当たり前のように、平然と読み、平然と丸めて捨て、落ち着いてナポリ行きの用意をととのえていた。

 この年の11月半ばになって、ようやく流行病も完全におさまり市中の様子も全て以前に戻ったと聞いて、明日にもこの地を立とうと思っていたその時、夕飯の用意ができたことを知らせに来たメードが、何かに驚いた様子で、「お客様、お客様、大変です。」と大声で叫んだ。

 私は冷ややかに見返り、「何だね、大変だなどと大げさに、シシリー島でも噴火のため埋まったとでも言うのかね。」「いいえ、この先の公園で大盗賊が捕まりました。」「賊が捕まるのは当然ではないか。」「いいえ、数ヶ月前から警察で捜していたカルメロネリが捕まったのです。早く行ってご覧なさい。」と言って、自分はわき目も振らずに急いで走り去った。

  

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