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白髪鬼
マリー・コレリ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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白髪鬼
(四十三)
ギドウが私の言葉に耳をそばだて怪しんで私の顔を見上げるのを、私はうまくごまかさなくてはならないと思い、一層顔つきを厳かにして、
「いや、貴方に取っては許嫁の妻を、他人の中に残し、自分は旅に出る訳ですから、これ以上無い大事です。よろしい、花里さん、私が引き受けて十分に夫人の身を見張って上げます。そうですね、まず、夫人の兄にでもなったつもりで」というとギドウはようやく気持ちが静まったらしく、
「はい、そうおっしゃってくだされば安心です。」
「もっとも、このような役目は私の柄には合いません。すべて面倒なことは大嫌いな老人ですから、なるべくは断りたいのです。けれども、見渡したところ、私以外に夫人を守る適当な人がなく、それに、私が断れば貴方は安心してこの土地を出発する事ができないと思うので、それで私は引き受けて上げるのです。」
「いやもう、何よりも有り難いと思います。」と言ってギドウは手先をさしのべたので、私はこれを握りながら、更に十分に彼の顔を眺め、
「これは実に友人の役目と言うものでしょう。たとえば、ハピョが生きていて時々旅行ををするから、留守中どうか、妻のナイナを守ってくれと貴方に頼めば貴方はどうします。」
「ずいぶん難しい役目と思っても、友情からやむを得ず引き受けるでしょう。引き受けた以上は必ず十分注意して夫人を守り、十分誠意を尽くしましょう。はい、私も紳士です。貴方がハピョに尽くしたとおりの誠意を必ず貴方に尽くします。」
「ハピョの留守中に貴方が夫人を守ったように夫人を守ります。これならば安心でしょう。」とその実は非常に毒々しい言葉だが、私は全くの平気で何の下心もないように言い表すと、ギドウはあたかも毒虫にでも刺されたかのように驚き、顔の血色が全くさめて鉛のような顔色になった。
彼はしばらくの間疑い、かつ恐れてほとんど決断がつかないようだったが、不安なその目を私の顔から部屋全体に注ぎ、まさに何事か言い出そうとする様子だったが、私の顔が余りに真面目でかつ平気なため、さては何の意図もない一般論として、ようやく見て取ったように、言葉を控えて顔の色も回復した。
だが深い手傷が簡単には治らないのと同じく、私の言葉で彼に負わせた痛手はまだいくらかその痛みを残すと見え、彼は更に予防線を張るように、
「いや、貴方は名誉有る方だから、その名誉に対しても友人に背くような事はできないはずです。」
「そうですとも」
「私はひたすら貴方の名誉を当てにして、貴方を信じて立ち去ります。」
「はい、私の名誉は貴方の名誉も同じ事です。貴方は自分を当てにするのと同じように私を当てにし、自分を信じるのと同じように私を信じなさい。」
「自分に劣らない番人を雇ったと思えば決して間違いはありません。つまり、貴方は自分で夫人を保護するようなものですから。」というと、その言葉にも彼はピクリと動いたが、やがて様子を整えたので、私も今は彼の心に針を刺すときではないと見て、さらに別れが惜しい顔付きで、
「ですが花里さん、出発は何時ですか。」
「明朝の汽車で発ちます。」
私はテーブルの上にあるパーティーの献立書に目を配りながら、
「実はそうとも知りませんから、近々舞踏会を催すつもりでご覧の通り、招待状まで書きかけておりますが、それでは貴方が帰るまで延ばしましょう。留守中に余り交際を盛んにしては自然と夫人を守る役目がおろそかになり、貴方に気をもませるようなものですから。」
彼もこれには感謝するように、
「そうまで貴方に迷惑を掛けましては」
「いや、少しも迷惑では有りません。大事な親友が出席しないのに舞踏会を開いても何の面白みも有りません」
彼は心から有り難そうに、
「伯爵、このご恩は実に」
「いや、恩でも何でも有りません。その代わりまた、貴方にこの後、どれほど嫌な役目を頼むかも知れませんから。友人はすべてお互いさまです。しかし、貴方は明朝の出発ならばもう帰って荷作りなどしなければならないでしょう。」
この言葉にせき立てられて、彼は全く私を親切の人と信じ、別れを告げて帰ろうとするので、私はさらに「では、明朝停車場(駅)まで送りましょう。」と言葉を続け、戸口まで見送った。これから彼は果たして荷作りにかかったのだろうか。
夜に入っても私の所には来なかった。荷作りではなく彼はナイナの所に行き、留守中のナイナの身持ちを確かめておくため、慰めかつ口説いているのだろう。
彼がナイナを抱き上げ別れを惜しむ優しい言葉を口移しにささやく様子は、ほとんど私の目の前に浮かんで来たが、私は怒りもしなければねたみもせず、今夜がギドウとナイナの会い納めになると、一人腹の中で笑う私の心もまた恐ろしいと言うだけだ。
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