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白髪鬼
マリー・コレリ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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白髪鬼
(六十一)
読者よ、ギドウが血眼に狂い、私に盃を叩(たた)き付け、私の頬に血が出るまで叩いて私を辱めようとするのは、これは、私がこの上もなく満足に思うところだ。私はこの時ほど愉快だったことはなかった。彼の心の苦しみはどんなだろう。私が彼と私の妻ナイナが抱き合っているのを見たときよりも、今の彼はもっと腹立たしく思っていることだろう。もっと絶望しているだろう。
品位正しい満座の中で、前後にかまわず荒れ狂う。ああ、彼、私を辱めたのではなく、自ら自分を辱めたのだ。満座の客は、皆彼を叱り懲(こ)らしめ、ただ私の寛大な処置に従った。私はこれ以上何を言う必要があるだろうか。
その上に私はこれから彼と決闘して、易々と彼の汚れた腸(はらわた)をえぐり出す機会をを得た。名誉あるフランスの決闘家ダベン侯爵でさえ、勇み進んで私の介添人になることを承諾した。愉快、愉快、待ちに待った私の復讐の時が来たのだ。
彼、ギドウめはこのことを見て大声で、「勿論よ、決闘さ、決闘さ。」と高く呼ばわり、部屋中を駆け回っているのは、誰か介添人になろうと申し出る人がいるだろうとの考えからだろう。満座の客は誰一人声を発せず、ただいやしみ退ける目で、彼をみるだけなので、彼は更に怒る顔のままで、ついにフレシャ氏の前に立ちどまった。
氏は元陸軍の大佐で当時の勇士、人に物を頼まれて「否」と一足を引いたことはない。ギドウめはその性質を見抜いてのことと思われる。やがて息も忙しく「大佐、大佐」と呼びかけて、「私のために介添人を勤めてくださるのは、本当に貴方一人しかおりません。お願いですからどうか、」と言い掛けると、大佐は生まれて初めての拒絶の言葉、断固たる口調で、
「いえ、いけません。」と満座に聞こえるほど高く叫び、更に、「私は勤めたいが良心が承知しません。貴方の悪いことは三つ子にもよく分かりますのに、どうしてその介添人になれましょう。私はこれから進んでダベン侯爵とともに笹田伯爵の介添人になりたいのです。これから侯爵にその許諾を得ようと思っているところです。」と言って物の見事に拒絶し、二度とギドウの方には振り向かず、そのまま私の介添人であるダベン侯爵のところに来た。
侯爵はうれしそうにフレシャ氏を迎え、
「貴方ならもっとも私の望むところです。」と言って一も二もなく承諾した。これで私の介添人ははや侯爵と大佐との両人に決まった。
ギドウはうらめしそうに大佐と私をにらみ捨て、次には侯爵と同じフランスの決闘家ハメル氏に向かった。しかしさすがの氏もフレシャ氏と同じく拒絶したのでギドウは、これ以上の恥辱は無いと更に一層の恨みを加えるように、額の青筋を恐ろしいほど膨らませたが、このようなことになってはどうしようもなかった。彼は残っている客一人一人に同じ事を頼んだが誰も「嫌です」「まっぴらです。」と一言で拒絶するだけだった。彼はほとんど泣くように深いうめき声を発した。
私の介添人ダベン侯爵はこの様子を見かねたのか、つかつかと彼のそばに寄って行き、何か忠告したようだったが、彼はすぐにその忠告に従ったようで、そのまま向こうに振り向いて、後も見ずに、この部屋を立ち去った。その様子はあたかも傷を負ったイノシシが去るのに似ていた。
ああ、彼はどこに行き、何をしようとしているのだろう。私は怪しさに耐えきれなかったので、この時までまだ正直に私の後ろに立っていた私の従者瓶造に向かい、小声で「そっと彼の後をつけ、何をするか見届けて来てくれ。」とささやくと、瓶造はすぐに理解し、それとは無しに彼ギドウの後を追い、横手の出口から出て走り去った。だが、来客の誰一人としてこれに気がついた人はいなかった。
ダベン侯爵はすぐに私の所に来て、さきほどギドウに忠告した事を説明するように、「ご覧の通り、誰も彼の介添えを承知する人が有りませんから、外に行って求めて来るのが良いだろうと言ってやりました。それで彼は立ち去りましたが実に不幸千万な事件です。」とがっかりした様子だった。
決闘家ハメル氏はこれに賛同し、「実に不幸千万な事件です。」と口には言ったが、心では愉快千万と思うように、少しも悲しむ様子はなく、返って武者震いに身を震わせ「その代わり、万が一、貴方が負けるような事でも有れば、後で私が適当な口実を設けて、彼を殺してしまいます。」と大きな拳を握りしめた。
これからは残った人々が皆私の周りに集まり、あるいはギドウの無礼をののしり、あるいは私の不幸を慰め、あるいはまた私が彼に対して余りに寛大過ぎるのを歯がゆがるばかりだった。
そのうちに介添えの侯爵は大佐と何かささやき合ってから私に向かい、
「今に向こうの介添人が来ましょうから、私ども両人はそれまで細かい手はずを相談しながらこの家に控えて待つとしましょう。」と言い、更にその時計を眺めて「すでに夜も十二時になりましては、余り眠る暇も有りませんが、このようなことは長引くだけ無駄ですから、いよいよ立ち会いを明朝六時といたしましょう。貴方は異存ありませんか。」私は恭しく首を垂れながら、「少しも異存は有りません。」
「それから貴方が辱められた方ですから決闘の武器は、貴方が決めなければなりません。何にいたしますか。長剣ですか。」
そうだ、そうだ、長剣ならば私は十分稽古して人に恐れられるほどの腕前がある。これに引き替え、ギドウはほとんど剣を持ったことも無く、私に殺されることは必然だ。
とは言え、敵の不得意を知っていながら、その虚に乗じて我が得意手を選ぶことは勇者の心良しとしないことなので、私は勇者ではないが、今まで自分の心に恥じるような行動はとったことがない。
何もかも、正直一方に行動して来た今となって、卑怯にも自分の得意手を選び、公明正大なこの復讐をただ一歩で自分の心に恥じるようなものにはしたくない。
それよりは彼も上手、私も又上手なピストルで闘おうと、「いいえ、ピストルにいたします。」と言い切ると、ギドウがピストル射撃が得意ことを知っている座客の中には、私の運命を気づかうからか、密かに顔色を変える人もいた。
ああ、人々が偽笹田偽折葉を気づかうことがここまで深く、昔のハピョを愛したのに劣らないと思うと、私は何となく涙が出そうになったが、なおゆったりとして「はい、ピストルです。」と再び言い切った。
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