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白髪鬼
マリー・コレリ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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白髪鬼
(七十)
私のナイナに対する復讐の念はますます強くなったのを感じた丁度その時、遙か彼方から馬車のきしり来る音が聞こえてきたので、さてはあの従者瓶造がすでに私の言い付け通り馬車の用意をして、私を迎えに来たのかと私は初めて我に返った心地がして、寂しそうなロウマナイ家の庭から出た。老僕皺薦も世の味気なさを思い、自分の部屋から出ないと見え、私がここに来ていることを誰一人として知る者が居なかった。
やがて屋敷の外を元の所まで回ってくるとやはり馬車と共に瓶造が待っていた。今夕アベリノへ向け出発するので、お前は再び宿に帰り、用意万端整えておくように命じた。私は修道院を訪ね、お前が用意が整う頃帰って来ようと瓶造に告げ、御者一人、私一人ですぐに修道院のあるアナンジェタを目指して馬車を進めたが、一時間と経たない中にその土地に着いたので、とある旅館に馬車を停め、私は徒歩で修道院の玄関を訪ねると、前もってナイナが私が来たことを院長に断って置いたと見え、私は直ぐに奥深い書院かと思われる一室に通された。
しばらくしてドアの外に絹ずれの音があり、これはナイナに違いないと私は腰も下ろさず待っていると、ナイナは静かにドアを開き、のぞくように首を出して、私の顔を見るより早く、「おや、良くいらっしゃってくださいました。」と私のそばに走り寄った。
相も変わらないその美しさ、その言い方の愛らしさを見ながらも私は心を動かさず、恋人には不似合いなほど厳かな声で、「今日は悪いことを知らせに来ました。」と言いながら、そばの椅子をナイナに渡すと、彼女は椅子に掛けは掛けたが、私の様子の異様なのに何となく怖じ気づいたようだった。
ああ、分かった、彼女は私がきっとギドウに会い、ギドウから何か自分についての秘密でも聞き、機嫌を損じて怒って来たのではないかと疑っているのだ。疑いのためその心を苦しめるのは、私にとっては小気味よいことなので私は一層無言を守り、彼女の顔を見守っていると、彼女は耐えられなくなり、
「え、悪い知らせ、どんなことですか。ではあのギドウにーーーお会いなさって」私はなおも計り知れない顔付きで、「はい、会いました。会って今別れて来たばかりです。」と言いながら、ポケット探って先刻ギドウの死骸から抜き取った指輪を取り出し、「これはギドウから貴方への贈り物です。」と言って渡した。
今までも気遣いのため青かったナイナの顔はまた一段と青さを増した。恐れを帯びて私を見上げる目は猟犬に追いつめられた狐もこんなだろう、もはやギドウの口から何もかも聞き尽くしたのに違いないと思ったのだろう。だからといって私から何も言い出さないのに、弁解することもできず、恐れおののきながら私の心の底を調べようとするように、おののく手で、問題の指輪を受け取りながら、
「おや、私には理解ができませんが、」私はなおも無愛想な声で、
「理解ができないことは無いでしょう。貴方が以前にギドウに贈った指輪でしょう。」と言い、ますますそうらしく見せかけると、恐れに声もかれ尽くしたかと思われる調子で、
「ああ、その指輪ですか、あれはハピョが生前に余りにギドウを愛していたので、その形見にと私がギドウに贈ったのですが、それを今私に返すとはなぜでしょう。」
私は返事せず、なおその顔を見つめていたが、さすがにくせ者、今は私の愛を呼び起こし深く私の心に訴える他はないと見て、目に一杯の涙を浮かべ、恨めしそうに、
「貴方は今日にかぎり、なぜそんなによそよそしくなさるのですか。番兵か何かのようにそんなにいかめしく立っていないで、さ、腰を下ろして私を安心させてくださいな。キスを、」と私を招いたが、ギドウの死んだ様子がまだ目の前から消えないうちに、どうしてこの汚れた女の唇に接するのに耐えられようか。
私はまだ膝を折らずに、初めのように控えていると、彼女は全くの泣き声で、
「ああ、貴方はもう愛情が消えたのですね。私をお愛しなされないのですね。私の身が休まるように万事保護してくださるとおっしゃったのに、」と言い、そのところに泣き伏すのは、どこまでも人をだます術を持った怪物だ、
だが、私は今からすぐに彼女を苦しめる気はない。復讐にはそれぞれ手順がある。今は先ずはこれくらいで十分だと思い、少し声を和らげ、
「いや、貴方の気が休まるように十分保護しているのです。貴方がギドウをうるさいとおっしゃったので、それで彼が再び貴方につきまとわないようにして上げようと約束し、今日はいよいよその通りにし終わったので、それを知らせに来たのです。」
「え、なんと」
「いや、彼が再び帰らない所に追い払ってしまったのです。」
「え、再び帰らないところ、ではもし」と聞いた声が終わらない内に私は首をさしのべて、
「はい、彼はもうこの世には居ません。死人にしてしまいました。」
ナイナは真実、身を震わせた。しかし、悲しんでではなく、ただ驚いてだった。
「え、え、彼が死人、彼が、貴方が彼を、」
「はい、殺しました。彼は、非常に私を辱め、その上、決闘まで申し込んできたので、今朝、公明正大に決闘し、彼を射殺して来たのです。」
たいていの婦人ならば、恐ろしさにひるむところだが、ナイナはひるむと見せてひるみはせず、
「ああ、それで私は安心しました。」と口には出さないが心の中では非常にうれしいと見え、早くもその青ざめた顔に、いくらか回復の色が見えてきた。
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