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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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白髪鬼

マリー・コレリ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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             (七十二)

 私は実にこのような悪婦のそばに一刻も長居をするのも汚らわしいと思うほどだったので、いい加減に切り上げようと思い、
 「いや、夫人、貴方のそばにいると、知らず知らずのうちに時間が過ぎてしまいます。まだ、私はアベリノ行きの準備万端いろいろの用事が有りますので、今日はこれくらいでおいとまします。」と言い、まさに、椅子から離れようとすると、ナイナは、

 「少しお待ちになって。」と言って、私の手を取り、前に私が渡したギドウの指輪(実は私ハピョの指輪)を私の小指にはめ、
 「これはですねハピョの家に代々伝わったダイヤモンドです。貴方が持つほどの品ではないでしょうが、それでも私の愛のしるしです。」私は胸の悪さを覚えたが、もともとこれは私のための大事な品なので、

 「はい、このままで、肌身を離しません。」と言い、さらに、
 「アベリノから帰って来たらすぐお会いできるでしょうね。」と聞くと、
 「そのようなことはお聞きになるのに及びません。たぶん、その時までに私はネープル(ナポリ)の屋敷に帰っているだろうと思いますが、もし帰っていなければ、ここまで迎えに来ていただきましょう。」と言う。私はこのまま立ち去るべき所だが、彼女の心の空々しさ、余りの憎々しさに我慢ができなかったので、それとなく責めておこうと思い、

 「それまで貴方は毎日神に祈りをささげているのでしょうね。」
 「はい、神に祈るよりほかに用事は有りませんから。」
 「では、ギドウのためにも冥福を祈っておやりなさい。貴方は彼を愛しはしないとおっしゃるが、彼は真実貴方を愛し、貴方のために私と喧嘩して貴方のために命まで失いました。貴方に祈ってもらえば彼の魂魄(こんぱく)はどれほど喜ぶか分かりません。死人の魂は生前自分を欺いたものや愛したもののそばに来て当分の内はつきまとっていると言いますから。本当に功徳になります。」

 この言葉に悪婦もぞっと体を震わせたので、私は更に付け入り、
 「それに、先の夫のハピョにしても、貴方の貞節を思い、常に貴方のそばにさまよっているかも知れません。彼のためにもお祈りをしたほが良いです。」と畳みかけると、ナイナはますます不安な様子に見え、唇まで色を引き締め、彼女はやむを得ず、「はい、十分に祈りましょう。」と言う声音も穏やかではなかった。

 いよいよ別れとなったので、私は「それでは」と言いながらその手を取って握りしめると、私が前にナイナに与えたダイヤモンドの指輪と、たった今ナイナが私の手にはめた指輪とが、あたかも切り結ぶ太刀とと太刀のような光を発し、なにやらものすごかった。

 これがいよいよ復讐に取りかかる前兆かと、私は不思議な思いがした。うつむくともなくうつむいて、眺めると、ナイナも同じくうつむいてこれを見ていたが、どうしたのか彼女の顔は非常な恐れに襲われたようにたちまち青くなった。

 私はなぜなのか理由は分からなかった。
 「おや、どうかしましたか。」と聞くと、彼女は「いいえ、なにも」とうち消して、私の手を離したが、まだ、何やら落ち着かないところがあった。再びまた私の手を取り、

 「ちょっと、貴方の手を見せてください。」と言い、高く上げて不思議そうに見始めた。これは何のためだろう。私の手には無名指(薬指)の付け根の所に小さいときにいたずらで傷つけたことがあり、その傷が今も跡を残している。ナイナはこれに目を留めたようで、私は笑いながら、

 「なにか貴方の目に留まりましたか。」ナイナは返事をせず、更につくづくと眺めた末、私の顔を見上げたが、神経に一種の強い反応を引き起こしたと見え、目には異様な色を帯び、唇もゆがむように引き締めた。やがて、彼女は我を忘れて発するような声で、

 「この手は、この手は、この指輪をはめたこの手は、ハピョの手です。ハピョの手と同じことです、あれ、薬指の元にある傷までも、」と叫んだまま、気絶して倒れかかった。


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