巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

hanaayame18

         椿説 花あやめ     

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2022.7.21

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          十八 長い様な短い様な 

 愈々(いよいよ)松子梅子が到着する日とは為った。
 松子は無論母夫人と一緒に来るのだ。梅子はとても父春堂が連れて来る筈は無く、だからと云って。独り旅もさせられないから、子爵の注意で老女一人を、数日前に迎えに出した。この老女に連れられて来るのだろう。

 此の日ほど蔵戸荘が美しく飾り立てられた事は、余り無い。縦(よ)しや飾らなくても、天然に壮大な、英国中で屈指の、風景にも歴史にも富んだ荘園であるが上に、門前に横たわる広い遊園は、秋とは云えど、落ち葉も無いほどに掃除が届き、芝生も有れば林も有り、その周囲は調理場と為って居るなど、凡そ戸外遊戯の仕組みが一として備わらぬは無い。

 若し初めて此の土地に入る人が、停車場を出て此の遊園まで来れば、仙境に入る想いがするだろう。家の中には更に之よりも手が行き届いて居る。数日来、葉井田夫人がその静かな綿密な注意を以て、引き受けた仕事だから、少しも落ち度が無いと云ってよい。

 二人の着するのは午後四時の筈である。今は二時を打ったばかりで、まだ余ほど間は有るけれど、葉井田夫人は今日こそ当家の未来が定まる日で、而(しか)もその責任が重く自分の肩に懸かって居ると思えば、心配に胸も騒ぎ、幾度と無く客間、その他を見廻って居る。萬に一つも手落ちが有っては成らないのだ。

 この様な所へ、是も同じ思いだと見え、主人子爵が廻って来た。
 『夫人よ、今日は先あ、日が長い様な短い様な、そうして嬉しい様な心配な様な何とも云い様の無い妙な日です。』

 夫人は少し笑んだけれど、心配気な色は消えない。
 『ハイ、私もその様に思いますがーーー。』
 子爵『もう何処にも失念は無いでしょうね。』
 夫人『ハイ、そう思いましたから、只今安心して、迎えの者を停車場まで送りました。』

 子爵『梅子と松子の部屋は何うです。』
 夫人『大抵好い積りですけれど。一応貴方のお目で御覧下さい。』
打ち連れ立って二階に上った。

 そうして先ず梅子の部屋を検(あらた)めたが、遠く見下ろす)ろす花園には、今を盛りと菊が咲き、更に広い庭の此方彼方に秋の花が色を競い、錦を掛けた様に見える。その上に部屋の中の飾り附けも、梅子の気質に合った様に出来て居る。

 次に松子の部屋を見ると、之れはまた遠い古跡から雄大な背景をえ、領地の殆ど半面が見えて、是れは室内の備え品も、悉(ことごと)く一種の意味を持って居る。子爵は嘆賞して、

 『イヤ貴女のお見立てには敬服の外は有りません。二人を連れて来て、思い思いに注文させても、こうまで行き届きはしないでしょう。是で貴女が、見ない前から、二人を何れほど愛して居るかも分かります。』

 夫人『未だ見ぬ先から愛すると云う事も有りませんが、太郎次郎を愛した心が、そのまま移ったのでしょうけれど、先日も瓜首さんが、少しも愛憎の念を持ってはいけないと、呉々云われましたから、私は何事をも思わない様に仕て居ます。

 でも思うまいと思えば、猶更(なおさ)ら思われまして。
ですが子爵、貴方は全く何方にも、少しの優劣が無いとお思いですか。誰の考えよりも、貴方のお心が極まりさえすれば。』
 
子爵『イヤ私も、此の様な決断の無い男では無い思いますのに、是ばかりは決し兼ねます。日を経れば経るに従い、益々両女の値打ちが公平に分かって来て、益々優劣が附きません。何方が私の後を嗣ぐかと、自分んで怪しんでばかり居ます。』

 真に何方が後嗣ぎに定まるだろう。夫人も怪しい様に思いながら、更に後の事まで取り越して、
 『是で見ると仲々心配は絶えません。次には又婿夫を選ぶと云う苦労が出て来ます。』

 子爵は驚いて、
 『成るほどそうです。エエもう、寧(いッソ)両方が許嫁の夫を持って居て呉れれば好い。そうすれば二人の中の一人を定めると共に、婿夫までも定まるのに。』

 夫人『イヤその様な事は又後の話に致しましょう。もう汽車の着く刻限ですから。』
 『そうです。』
と子爵も答え、やがて時計を出して見て、

 『アア全く間が有りません。』
と云って、二人とも、下の座敷に降ったが、幾ばくも経なういうちに、四時の鐘は鳴り、引き続いて門外に馬車の来る音が聞こえた。夫人は又も今更の様に胸を躍らせつつ玄関の所まで出迎えたが、早や馬車は横付けに成って居る。

 そうして第一にその中から歩み出たのは、非常に華美(はで)やかに着飾った草村夫人である。問う迄も無く、様子でその人が分かる。



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