巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

hanaayame23

         椿説 花あやめ  
   

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2022.7.27

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

a:186 t:1 y:1

          二十三 宝の山とはここ

 子爵を初め、一同が婦人達の居る談話室へ行って見ると、ここには老いたると若きと二組に分かれて、各々話に実が入って居る。
 老いたる方は草村夫人、葉井田夫人である。若き方は梅子と松子とである。

 草村夫人は宛(あたか)も敵国に入った老探偵が、敵軍の手配りを窺(うかが)う様に、遠く又近く、絞めつ緩めつ、葉井田夫人を問廻し、大方は地理要害を呑込んでしまったらしい。

 その証拠には、子爵外三人の男客を見るや否や、無論第一に子爵へ笑顔を振掛けて置いて、直ぐ椅子を取って瓜首に与え、
 『サア何うか私の傍へ』
と招いた。確かに瓜首の勢力を認めて居るのだ。

 選に洩れた大佐と男爵とは一様に怪しんで、一様に呟いた。
 『瓜首が乃公(だいこう)《吾輩》よりも欵(もて)るとは珍しい事も有るものだ。』
と。

 松子と梅子の方は、之と違って、互いに何のたくらみも無い。唯だ若い同士の、無常に心が合うと見え、百年も経た友達でも有るかの様に、転がり合って笑って居る。

 それは何の事柄かと聞けば、梅子が自分の父が、絵の事にのみ夢中になって、時々に仕出かす間違いの事を話し、松子が又それに対して、物の本んで読んだ似寄った逸話を持ち出して比べ合いをして居るのである。

 真に一つ胞(はら)の姉妹であっても、こうまで睦まじくは行かない。子爵は此の様を見て嬉しくて仕方が無い様に微笑んだ。
 大佐と男爵とは、第二位に落とされた悔しさでも有るまいが、老いた組を尻目に見捨てて、此の若い組の所に来た。

 そうして大佐は梅子に、男爵は松子に向かい、一斉に、
 『サア美術室へ行きましょう。』
と促した。出し抜けの催促だけれど、松子は直ぐに立った。梅子の方は、美術を好む事は松子よりも優って居る程だろうけれど、未だ事慣れしないだけ、問う様な目で、彼方の葉井田夫人の顔を眺めた。

 夫人は梅子松子に充分な同情を以て、先程から油断無く此方の様子にも目を注いで居たのだから、間髪も入れずに立って来て、
 『美術室へ何の為にお出でです。』
と問うた。

 男爵『実はね、大佐のお説で、此の両人(二人)の令嬢のうち、一方が美術室に懸かって居る、或る肖像に似て居ると云われますから、見比べようと云う動議が食堂で成り立って来たのです。』
 
 夫人は早や合点した。
 『アア誰が誰に似て居るか当てて見ましょうか。』
 大佐は慌てて止めた。
 『イヤお分かりなら仰有らずに居て下さい。一同で評定するのが面白いでは有りませんか。』

 松子の母草村夫人は、何の場合たりとも松子を梅子に劣らせては成らないと決心して居るから、之れは自分が附いて行かなければ成らないと思い、早や瓜首の腕に縋り、

 『サア瓜首博士、私し共をお連れ下さい。』
と立って来た。瓜首は決して博士で無い。博士で無い事は無論草村夫人が知って居る。けれど間違えた風で、博士と云ったとしても、決して立腹しない事も知って居るのだ。

 ここ等が人を捕虜(とりこ)にする術だと見え、果たして瓜首は自分の身を二三寸ほど引き延ばした。何だか爪立って歩んで居るらしい。
 無論子爵もここへ来た。スルと直ぐに草村夫人が、
 『サア松子、伯父さんに手を取ってお戴き成さい。』
と言って、松子を子爵に結び附けた。

 全体ならば子爵の事を伯爵とも侯爵とも云い度い所だろうが、真逆(まさか)にそうは云えないから伯父様とは良くも云った。此の一語で離れらことが出来ない血筋であることを、外の人には承知させ、子爵には念を押すのだ。

 こう云うと何だか松子のみが姪(それも三代隔てた)で有って、梅子は姪で無いかの様にも聞こえる。併(しか)し捨てる神に助ける神とやら、梅子の手は直ぐに葉井田夫人が取った。

 やがて達した美術室の立派な事は、云う迄も無い。草村夫人は、真に宝の山とはここだと思っただろう。もう何うしても空しく此の家から立ち去る事は出来ないと、決心の上に決心を積み重ねたらしい。

 このようにして一同、掛け連ねた絵を見廻って居ると、先に立って居た草村夫人は、一個の肖像画を認め、暫く眺めた末、
 『アア分かりましたよ、此の額の肖像に、梅子さんが似て居ると云うのでしょう。』

 夫人の後に居た子爵は、落ち着いた声で、
 『アア貴女までそう仰有(おっしゃ)るからは、全く梅子の顔が似て居るに極まりました。私は初めて梅子を見た時から、そう思いましたが、唯今も食堂で虎池大佐が主張され、確かに梅子が太郎に似て居ると云いますので。』

 夫人は初めて此の肖像を太郎と知り、我が言葉の早まったことを悔やんだ。之が愈々(いよいよ)似て居るとすれば、太郎を愛した子爵の心が、自然に梅子に移る恐れがある。既に子爵は松子の手を放し、葉井田夫人から梅子を受け取り、その顔と肖像とを見比べ始めた。

 夫人は殆ど悔しい程に思ったけれど仕方が無い。更に見直す振りをして、
 『ナニ良く見ればさほどでも有りません。初めには似て居るかと思いましたが。』
と云い、消しに掛かった。

 此の時母の背後から眺めて居た松子が、
 『イイエ阿母さん、見れば見る程良く似て居るで有りませんか。口許などはそのままですよ。』
と反対したのはその清さも分かる。

 何して此の様な母に、此の様な子が出来たのだろう。母夫人は自分の陣から敵の出た様に驚き、益々狼狽して、
 『太郎さんには似て居ても、次郎様には似て居ないでしょう。次郎様の肖像は何処に有ります。何所に在ります。』
と言って見廻した。

 若しや次郎の方には、自分の娘松子が似て居るかも知れないと思うのだろうが、ご苦労な次第ではある。



次(二十四)花あやめ へ

a:186 t:1 y:1

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花