巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ikijigoku19

活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2018.5.19

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     活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

     第十九回 運び込まれた柳條  

 抑(そもそ)も角三が、怪我人柳條を運び入れた、エンフア街の塀高い家は誰の住家だろう。是、角三が最愛の娘澤子を住まわせる所である。角三は上田栄三と同じく、早くその妻を失い、一人の娘を生涯の楽しみとなし、金に糸目を附けずに養っている。

 しかしながら角三は、己が職業の探偵から、大暗室の支配人に移っていたが、人に忌嫌われる仕事であることを恥ぢ、探偵の娘と云われては、娶ろうと云う者も無く、更に当人も人に向かい、肩身の狭い想いをするに違いないと、それらの事を思い計かって、澤子が七歳の時、或女学校に預け、昨年十八歳になって卒業したので、此の所に家を求め、世間に知られずに住まわせて置いた。

 角三の目的は、之から充分な持参金を作り、社交界に立ち交れる相応の家に嫁入らせようと思っているのだ。我が身は大暗室に近い或町に住まい、人には貿易商の隠居だと云い、時々澤子の顔を見に来ているのだ。澤子に侍(かしづ)いているのは、棒田夫人と云って、年五十に近い老女と杢助と云う下僕(しもべ)、および杢助の妻お杢の三人である。

 此の三人が角三の言葉に従い、転々(ころころ)と立ち働く有様は、殆ど昔の奴隷にも等しく、角三が斯(か)くせよと言付ければ如何なる事柄であっても、一言の異存なく黙って従うこと、殆ど不思議とも云うべき程である。角三は如何にして此の三人を、是ほどまで深く手名付けたのかと問えば、三人は角三にその一命を握られて居るのだ。

 角三は兼ねてから、極めて従順な奴隷の様な下僕を雇入れようと心掛け居たところ、大暗室で開いて見た手紙の中に、お杢より杢助に送る一通があった。その文言に由れば、お杢は或人の妻にて有りながら、杢助と不義の契りを結び、所天(おっと)を毒害して、杢助の妻になりたいと云って、毒薬を買う様に、杢助に頼んで遣った手紙であった。

 所天(おっと)の毒害とは、容易ならない事柄なので、その手紙を幾通か手に入れた末、二人の身分を探ると、下僕には打って付けの男女なので、早速自ら探偵となって、杢助の許に行き、
 「生涯お杢と共に奴隷の様に我に仕えるならば、此の罪を隠して遣ろう。若し厭とならば、手紙を証拠として訴えてやる。」
と威(おど)したことから、二人は奴隷の様に角三に仕え、今は一種の忠義心をさへ、起こすに至ったのだ。

 尤も角三は二人が不平の余り、我を殺すに至る事を恐れ、充分な給金を遣り、何不自由なく暮らさせる上、更に二人に言い聞かせている事は、
 「彼(あ)の証拠は、尤も親しい人に預けてあるので、汝ら若し我を殺すに於いては、その人が直ぐ様警察へあの手紙を持ち出すだろう。」
と云う厳重な脅しの為め、二人は生涯角三の奴隷と甘んじて奉公することとなった。

 今一人の棒田夫人も之に似寄りの訳合いで、角三に使われて居るが、此方は澤子の傍附きである上、万事此の家の取り締まりをしているので、杢助夫婦を追い使い、且つ角三に向かって己が考えを言い出る丈の自由を許されて居る。

 (因(ちな)みに記す。仏国(フランス)の探偵が、人の犯罪の弱味を押さえ、之を我が雇人となして、内実奴隷の様に使うということは、その例少なくない。この様な訳なので、三人が黙々として角三の指図に従うのは、当然の事かも知れない。

 それはさて置き、角三が杢助と共に柳條を寝台に載せ、彼の家へと運び入れると、内より棒田夫人はお杢(もく)を引き連れ、手燭を取って出て迎えた。
 栗「夫人よ。もう澤子は寝たであろうな。」
 夫人「ハイ先ず寝たも同じ事です。寝間へ退いて、小説を読んで居ます。」

 栗「此の怪我人を預って、傷の癒えるまで、誰にも逢わさず留めて置かねばならないのだが、何所へ置こう。離れ座敷は何うだろう。」
 夫「そうですネ。離れは嬢様が絵の稽古をなさる所にしてありますが。」
 栗「併し外には無いだろう。」
 夫「そうですね、外にはありません。」
 栗「では兎も角も離れへ運んで貰おう。」

 此の言葉に応じて、お杢は杢助と共に寝台を舁(かつ)ぎ、離れ座敷に運んで行く。角三は棒田夫人と共に、その後に従いながら、実は此の怪我人は、医者に掛ける事が出来ないのだが、何うだろう、お前の手際で。」

 夫人は少し勿体を附け、
 「そうですね、医者に掛けて直る者なら、私の手で直ります。私は看護師の免状を取っています。」
 栗「爾(そう)さ。それを知って居るから相談するのだ。」
 夫「先ず傷の模様を拝見しましょう。爾(そう)すれば直るか直らないか分かります。」

 栗「夫れだ夫れだ。愈々(いよいよ)直らない者と分かれば、今夜中に空き地へ持って行って棄てさせる。」
と云う中に離れ座敷へ着いたので、夫人は事に慣れた様に袖口を巻(まく)り上げて、怪しいと云う顔さえせずに、先ず柳條の目を隠している布を解き、次には又手を解いて、服の釦(ボタン)を外し凡そ三十分ほどを経て、一切の傷所を検め、

 「傷は都合で七カ所あって、其の中胸の傷が一番深い様ですが、是も内蔵へは障(さわ)って居ませから、私の手で直ります。」
 角三は安心の息を吐き、
 「アアそれは有難い。成る程、此の男は充分に狙って居る間に、幾度も敵に突かれたのだ。何でも叫び声を発したのは、皆此の男であった。」

 夫「成るほど、決闘でしたか。」
 栗「左様」
 夫「兎も角も当分ここへ置かなければなりませんが、若し澤子が来たら何と申しましょう。」

 此の問いには、角三は少し困った様に、暫しがほど考えて居た末、
 「澤子をここへ寄越さない様にして貰おう。」
 夫「来るなと云っても聞きませんが、若し澤子が来たら何と申しましょう。」
 栗「それは困るな。」
 夫「来れば色々の事を問うだろうと思います。」

 栗「問うても一切返事をしない様に。イヤ俺から返事を留められたと云えば好い。明朝又俺が来て澤子に何とか言い聞かせるから。」
 夫人は怪我人の顔を斜めに眺めながら、
 「大層好い男ですネ。澤子は常に小説など読み、色々な事を考えて居て、とりわけ小説らしい事が好きですから、ここへ来ると終には此の人を見初めるかも知れませんよ。」

 角三は忽(たちま)ち眉を顰(ひそ)め、
 「それは困る。決して見初めない様にして貰わなければ。」
 夫「でも澤子は私の手に負いませんもの。」
 栗「爾(そう)か、それは益々困るなア。」
と言い掛けたが、頓(やが)て又思い直し、

 「ナニ今時の女の子は、何せ自分の気に入った亭主の外は持たないから、見初めても仕方がない。」
と云った。澤子が若し柳條の妻となれば、二百万法(フラン)以上の大金は、山分けにするには及ばない。その儘(まま)我が家に転がり込むだろうと、角三は思ったのに違いない。是より凡そ一時間を経て、夜も早や三時に及びし頃、角三は一同に向かい、

 「呉々れも怪我人を大事にする様に。」
と言い置いて、我が住居を指し此の家を去った。



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