巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2018.5.23

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   活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

   第二十三回  共和党員に救われた角三

 偽士官栗山角三は怪しい男の計略に落ち、今や王権党の士官等に取り囲まれ、唯一打ちに打ち殺される寸前となった。多勢に無勢叶(かな)う方法はない。此の時幸いにも群衆の中に交じって居た非役士官の一人は、角三を真の共和党であると思ったか、それ打たせてなる者かと矢庭に王権党の人々を押し払い、角三の身体を引き攫(さら)って、一生懸命逃げ出した。

 この人、もし角三を探偵だと知れば、容赦なく大地に投げ附けるかも知れないけれど、唯角三の扮出(いでたち)《扮装》が真に迫って居たのだ。天晴な我が党員を救っている事と思い、必死の力を出したのだ。角三は引攫(さら)われ乍らも、万が一にも我が本性を現してはならずと、

 「コレ同僚、何が怖い事があるものか。離して呉れ。俺(おれ)は王権党の奴等を相手にして闘うよ。多勢に無勢だって構う者か。その中の一人を殺しさえすれば好い。」
と口ばかり立派な事を唱えると、士官は益々偽士官の勇気に感じ、走りながらも、

 「ナニ同僚、今彼等を相手にする時ではない。逃げられるだけ逃げ延びて、他日の再挙を計るのが肝腎。それまでは先ず虫を殺して彼等の跋扈(ばっこ)を許して置くさ。今逃げるのは恥にはならない。」
とまっしぐらに公園を飛び出して、漸(ようや)く王権党が追って来れない所に出た。

 士官は非常に力量の強い人と見え、ここで初めて角三を下ろし、
 「イヤ少しの事に平生の気質を現し、天子を殺せなどと云ったから、飛んでも無い禍いを起こしたのです。お互いに再挙の時までは何よりも身を大切に。」
とこの様に云い捨て立ち去った。

 角三は発っと息をし、
 「アア是で漸(やっ)と助かった。非役士官の姿をしたから、王権党の怒りを受け、反って又その姿の為に共和党から救われた。一時は随分殺されるかと心配したが、事なく済んだのは有難い。オオ爾(そう)だ、爾(そう)だ、もうポード街の酒屋には探偵小根里が待って居るだろう。

 初めに目を附けて居た怪しい男も、今の騒ぎで何所かへ見えなくなって仕舞った。又現れると面倒だ。ドレ早く行こう。」
と、今迄とは反対で、我が身が彼の男から隠れようとする心を起こし、通り掛かる馬車を呼び、之に飛び乗り直ぐにポード街へと至り、見れば約束した酒屋の中に、彼の小根里は唯独り、人待ち顔に控えて居た。

 角「オオ良く待って居て呉れた。俺はもう何うも痛い目に逢う所だった。」
と言い掛けて四辺(あたり)を見廻したが、此の時隣のテーブルに凭(もた)れ、見ず知らずの他人が居眠るのを認めたので、角三は忽(たちま)ち気附いて我が声を止めた。小根里はそれを悟り、

 「ナニ長官、(栗山を長官と呼ぶ)遠慮には及びません。毎(いつ)も眠っている癖ですから、何事でも思う存分話しなさい。何と云ったても、聞かれる事は有りません。それにネ。ソノ客は此の店で度々逢いますが、全くの聾(ろう)です。大砲の音でも聞こえない程です。聾(ろう)ですので、何の遠慮にも及ばない事です。」

 しかしながら角三は、自分の偽り多い心に比べてみて、その男も又偽聾(ろう)ではないかと思い、失礼にも直ぐにその人を揺り起こして、
 「貴方何うか此の読み掛けの新聞をお貸し下さい。」
と云うのに、聾は周章(あわて)て目を覚まし、
 「ナニ私はもう何も食べません。」
と答えた。

 さては真実の聾であって、新聞を貸せと云ったのを、食事を進められた事と推量したのに違いない。此の様子を見て、この店の給仕《ボーイ》は走せ附けて来て、角三に打ち向かって、
 「了(い)けませんよ旦那。この方は丸切り耳が聞こえませんから、何うかお構いなく。」

 角「イヤ構いはしないが、此の店の久しい馴染みででもあるのか。」
 小使「ナニ久しいお馴染みではありませんけれど、此の頃は毎日の様に入らっしゃいます。」
と答えた。小根里も尾に附いて、
 「ナニ是は門苫取(モンマルトル)街の角にある食品店の主人です。何でも彼の辺りを通る時に、しばしば見掛けます。そうそう、苗字は確か町川とか云ったっけ。」

 給仕「そうです。町川と仰(おっしゃ)います。」
 町川とは即ち、先に老白狐を生き埋めにした時、柳條と分かれた人だが、角三は素より之を知らない。唯此の人が聾(ろう)だと云うのを幸いに、漸く安心し、是より一瓶の酒を命じ、小根里と共に酌交(くみか)わしながら、

 角「時に先刻の男は実に怪しい奴だ。巧みに背丈を延縮めして姿を変え、それに此の俺を、公園の群衆の中へ追い込んで、酷(ひど)い目に合そうとした。全体彼奴は何者だろう。」
 小根里も眉を顰(ひそ)めながら、

 「サアそれは充分に分かりません。何でも私の考えでは、総理大臣が自身で使って居る国事探偵に相違ありません。何故と云うと、私も昨日貴方の様に、彼奴(きゃつ)の後を尾けて居ると、彼奴振り戻って来て、すれ違い様に私の耳傍で、
「コレ三十一号俺の後を尾けても無益だぜ。」
と云いました。

 三十一号とは探偵長が私へ渡してある鑑札の番号です。総理大臣直接の国事探偵でなくては、知って居る筈がありません。」
 角「フムそれは益々気味の悪い奴だ。併し彼奴が、アノ年の若い女の伴をして、郵便局へ今井兼女の手紙を取りに行くのが不審だな。俺は男よりも女の方に目を附けるのが一層近道かとも思うが。」

 小「ナニその様な事は有りません。アノ女はお猿と云い、五年も前から手袋店の女工ですから、アノ女が自分で今井兼女に化けるなどと云う事は決してなく、手紙を望むのは全く彼ですけれど、彼は男の悲しさに、私が今井兼女ですと云って出る事は出来ず、それに依ってお猿を欺(騙)して連れて行くのです。」

 角「俺もそうだろうと思うけれども、実に分から無いのは何故彼が兼女の手紙を欲しがるか。又何うして兼女へ来るべき手紙のあることを知ったか。何(どう)も不審でならない。」
 小「それは私には分かりません。私は未だ今井兼女が、何者かそれさえも貴方から聞いた事がありませんもの。」

 角「そうだな。併しナニ、その様な事は知らせるには及ばない。この不審は追々に俺が探り極める。」
 俺が探り極めるなどと、口には軽々と言い出したが、国事探偵と知ってからは、益々彼が手に負いないのを恐れ、且(か)つは彼が如何にして兼女の事を知り、如何にしてその手紙を得ようとするのだろうか。

 角三は種々に考えた末、終に又一種の疑いが生じたと見え、ヨシヨシと頷(うなず)きながら、小根里を引き連れて帰り去った。二人が帰った後で、彼の聾者も目を覚まし、
 「フム可笑しな事を云ったぞ。国事探偵だの今井兼女だのと、俺には少しも分からないが。」
と是も又呟(つぶや)きながら立ち去った。



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