巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ikijigoku30

活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2018.5.30

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   活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

   第三十回 角三の家を出る柳條  

 柳條の足の前に落ちて来たのは、正(まさ)しく是れ文礫(ふみつぶて)である。先に柳條が瀬浪嬢に宛てて送ったその返事に相違ない。柳條はそれと見て、拾い上げようとする栗山角三を突き飛ばし、自ら先に拾い上げ、皺(しわ)を延して一目見ると、正しく是れは瀬浪嬢の自筆である。

 角三は柳條が礫(つぶて)を以って手紙の遣り取りをしようとは、思いも寄らなかったので、怪しみながら差し寄って、
 「エ、それは何ですか。エ、その紙切れは。」
と問う。柳條は後目(しりめ)に掛けて佶(き)ッと白眼(にら)み、見れば分かりましょう。是は手紙です。私へ宛てたーーー。」

角「エ手紙ですか。佶(き)っと国事探偵か何かの計略で、貴方を外へ誘き出す為ですよ。」
 柳「ナニその様な事がある者か。」
 角「イエない事はありません。それは読まずに捨てて仕舞うのが一番です。」

 柳條は又も鋭い眼で角三を睨み詰め、
 「読むも捨てるも私の勝手です。」
と取り合う景色も見えない。角三は何様我が為に一大事と思えば、アタフタしながら柳條の顔色を伺って居ると、一たびは嬉しさに堪えない様に、次は又驚いた様に、最後には立腹の体を現わした。

 アア柳條は何を立腹しているのだろう。角三の心配は並大抵でない。稍々(やや)あって、柳條は読み終わり、火っと怒って角三に打ち向かい言葉さえ荒ら荒らしく、
 「コレ貴方は私の出した手紙を何うなされた。」

 角「エ貴方の手紙とは」
 柳「お仮忘(とぼ)けなさるな。私が上田栄三に宛て差し出した三通の手紙です。郵便ではその筋で開封の恐れがあるから、下僕杢助に持たせて遣ると、仰(おっしゃ)ったじゃありませんか。」

 角「アア彼は全く届けました。」
 柳「又その様な偽りを」
 角「イヤ偽りではありません。」
 柳「ナニ偽りです。何したかサア白状なさい。」

 角「白状にも私の知った事でありません。念の為杢助に問うて見ましょう。」
 柳「杢助に問うは無益です。杢助の手から貴方が受け取り、開封して焼き捨てたに決まって居ます。」
 角「誰がその様な事を言いましたか。」
 柳「誰でも宜しい。もう悉皆(すっかり)分かって居ます。」

 角三は小才に長けては居るけれど、膽(胆)力の無い男なので、今は顔色を土より青くし、返す言葉も出なかったが、この様に明白に見破られては、最早や隠くしても仕方が無い事と、少しの間に言い抜けの道を開き、

 「イヤ実は今まで幾度も打ち明けようかと思ったが、貴方の健康を気遣って、余り心を動かしては悪いと思い、それ故話さずに居ましたが、実の所アノ手紙は届けずに置きました。貴方が国事犯の疑いを受けて居る場合なので、仮令(たとえ)友達の許(もと)にしろ、手紙を遣るのは危ないと思いまして。」

 柳「イヤその様な言い訳を聞くには及ばない。もし友達が大金の一条を知り、傍から口出しては旨く運ばないと思ったから、私と友達との間を遮断(さえぎった)のです。サア今はもう貴方の望み通り、約定書に記名したから、何も用事は無いでしょう。私ももう貴方に用はありません。愈々(いよいよ)遺言書が手に入ったら、それを持って私の宿までお出でなさい。約束の通り半分は分けて遣るから。」

と充分に辱(はずかし)める様に言い切って、その儘(まま)に立ち去ろうとする。角三は益々驚き、
 「貴方は何所へ」
 柳「何所でも好い、この様な家に永居は出来ないから出て行くのです。」

 角「イヤそれは了(い)けません。そう立腹せずに暫し先ア。後で篤(とく)《じっくり》と話しをすれば、その様にする事はありません。」
 柳「イエもう一刻も此所には居ません。サアお退(の)きなさい。」
 角「でも先ア」
と角三は行く手に塞がり通さないので、柳條は猶(なお)も鋭い目を瞋(怒)らせ、

 「退きませんか。」
 角「退かないではないが、その立腹の解けない中は。」
 柳「退かぬとならば、それで宜しい。コレ良くお考えなさるが好い。この手紙は天から降ったのでもなく、地から湧いたのでもなく、塀の外に私を助ける者があって、その人が投げたのです。ここで私が声を上げ、その人の名を呼べば、その人は直ぐに警察へ行き、巡査を連れてこの家へ踏み込みます。巡査を呼ぶのが承知ですか。」

 角三は震え上がり、
 「ナニ巡査が来なければ退かないと云う訳ではないがーーー。」
 柳「ではサア直ぐにお退きなさい。」
と突き退けて角三の前に立ち、又一言、
 「アア未だ一つ用事がある。先刻乞食の子が私を尋ねて来たのに、それを貴方は戸の内へ引き入れて、今以て隠してあります。」

 角「イヤその様な事は。」
 柳「ソレ又嘘を云う。何も彼も知って居る。この私に隠し立ては無益です。サア乞食の子をお出しなさい。私が連れてて行きます。」
 ここに至って角三も、言い争う言葉がなく、それでは杢助がその様な事でもしたか良く聞いて見ましょう。」

 柳「誰がしても同じ事だ。サア早くその子を私にお渡しなさい。」
 角三は渋々と杢助の部屋の方へ行きながら、
 「貴方がこう早急にに立ち去っては、後で澤子がサゾ心配しましょうが。」
と呟(つぶや)くのに、
 「イヤこの後とも、一切私の事を心配して下さるに及びませんから、そう伝えて貰いましょう。」
と言い放った。

 やがて角三は彼の伊蘇譜(イソップ)を穴倉から引き出して来たので、柳條はその手を引き、荒ら荒らしく戸外へと立ち出でた。角三は宛も籠の鳥が飛び去るのを見る様に、非常に残念気にその後を見送って、
 「何うも仕方がない。澤子は是で大事な婿夫(むこ)を失ったが、その代わり百万法(フラン)の持参金は出来る。アア是から直ぐ今井兼女を捕らえに行こう。」
と独り語をした。



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