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活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2018.6. 17

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   活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

   第四十八回 サア買いますか

 

 上辺は是れ極めて平和な話し合いである。しかしながら二人の心中は何んなだろう。角三は態(わざ)と謙遜して、
 「イヤもう田舎の人はお多舌(しゃべり)だから、貴方の本名が鳥村槇四郎だと云う事を聞き出したのも、ナニ大した手柄ではありません。それに貴方のことは、未だ田舎の人が良く覚えて居ます。金満中佐の甥御ですから。」

とここに初めて金満中佐の名前を持ち出すと、鳥村も少し心を動かしたか、
 「イヤそうまで御存知なら何を隠しましょう。金満中佐の甥鳥村槇四郎は全く私です。貴方はもう私が態々(わざわざ)ペリゴーへ行った目的も、きっと御存知でありましょうネ。」

 角「そうですね。何だか分かった様な気持ちがします。こうでしょう。今井兼女が金満中佐の遺言書を持って帰り、その遺言書には全く貴方を勘当してあるから、兼女を騙(だま)して遺言書を奪う積りでしょう。」

 鳥「妙益々妙、貴方の御推量は寸分も違いませんが、併し一つ貴方に伺い度い事があります。」
 角「サア何なりと御遠慮なくお問いなさい。腹蔵なくお返事を致しますから。」
 鳥「では先ずもう一杯お乾しなさい、酒が廻らなければ舌が弛みませんから。」

 角「イヤ何それは他人行儀と云う者です。もうこの様にして、此の様に打ち解けた上は、酔っても素面(しらふ)でも同じ事です。サアお問いなさい。」
 鳥「でも先ずそう仰らずと」
 角「宜しい戴きましょう。」
と云って一杯綺麗に呑み乾して、

 「是で好いでしょう。サアお尋ねなさい」
 鳥「ナニ極々詰まらない問いですが、貴方も何だか今井兼女に用事があったと見えますな。その用向きは何事です。態々(わざわざ)旅行券を隠して置いて、牢にまで入れられるとは、エ、何の様な用事です。尤も旅行券を隠す手段は余り新しいとも思いませんが。」

 角「イヤもう極めて古い手段で誠にお恥ずかしい訳です。併し又此の古臭い手段でも、目的通りには行きましたよ。貴方が牢の中へ尋ねて来るのが、今一日も遅ければ、私が全く兼女を手に入れる所でした。」

 鳥「ですがその兼女を手に入れる目的は。」
 角「矢張りその遺言書を騙(だま)し取る為でした。遺言書が出れば金満中佐の財産は一文も貴方の手には入りませんから。」
 鳥「ですが貴方を相続人と定めた訳けでは猶更(なおさら)なし。貴方がアノ遺言書を横取りしようとするのも、変な訳ではありませんか。」

 角「変な訳には違いありませんけれども、何故私がその遺言書を欲しがるか、その目的は分かりましょう。」
 鳥「大低分かった様ですけれど、念の為め直々貴方の口から聞いて見たいと思います。」

 角「それはもうお安い御用です。私は柳條健児に売り付ける積りで。」
 鳥「フム豪(いら)い。流石は貴方です。既に柳條の事まで知って居て。」
 角「知って居るのみではありません。既に柳條を説き附けて、確かな約定書まで書かせてあります。」

 鳥「して見れば私と貴方とは全く敵味方でしたな。」
 角「そうです。今でも矢張り敵味方です。」
 少しも臆面の無い此の言葉に、流石の鳥村も少し小首を傾け、
 「フム矢張り敵ーーー成るほど貴方は腹蔵なく仰る。此の点は私も感心するけれども、貴方が此の通り私を訪ねて来た目的が分かりませんが。」

 角「その事です。実は貴方の心を引きに来ましたので。」
 鳥「私の心を」
 角「ハイ貴方の心を」
 鳥「成る程、今までは敵であるが、是からは共々にその遺言書を探そうと云うのですな。」

 角「実に貴方はお察しが好い。全くその通りです。全く貴方と腹を合せて探索したいのです。」
 鳥「では貴方は既に遺言書の中身を読みましたか。」
 角「『ハイ読みました。』と云いたいが、実は未だ読んで居ないのです。けれども読んだのよりも確かに知って居ます。全く貴方には一文も分けて呉れない様に書いてある事は受け合いです。」
 鳥村は暫(しば)し考え、

 「シテ見れば私はその遺言書を探さない方が利益です。貴方と一緒にその遺言書を探し出せば、叔父の財産は一文も私の手には入らず、此のまま探さずに居れば、誰も見出す事が出来ないから、叔父の財産は自然に私しの物になります。」

 このもっともなる言葉には、角三も実は悸(ぎょ)っとした。彼が、
 「探さずに居れば誰も見いだす事が出来ない。」
と言い切るのは、既にお梅が曲者に運び去られた事を知り、お梅の行方は自分よりほかに知る者なしと見極めたのか。此の見極めを附けようとすれば、角三の苦労は水の泡である。

 角三は殆ど失望の溜息を洩らそうとしたが、押すのはここだと自ら奮い立たせて、
 「成る程貴方は此の遺言書が、世に出ないのが利益でしょうけれども、貴方が探さずに居れば柳條の手に落ちますが。」
 鳥「だって貴方は柳條の為を思い、私は自分の為を思うのだから、相談の纏(まと)まり様がありません。」

 角「イヤそれが貴方の思い違いです。私はナニ柳條の為を思うのではなく、詰まりの所、自分の為を思うのだから、その遺言書を柳條に売っても貴方に売っても同じ事です。」

 鳥「成る程貴方の考えは公平だ。私にでも柳條へでも、対価の高い方へ売り附けようと仰るので、少しもエコ贔屓が無いのだから。」
 角「如何にもその通り、サア買いますか。」
 鳥「先アお待ち為さい。貴方はその遺言書を持って居ますか。」

 此の問いを聞き角三は初めて安心した。鳥村はもしお梅が己と間違えられて曲者が連れ去った事を知ったならば、この様な問を発する筈は無い。此の問いを発するのは、彼が未だ全くお梅の一条を知らないが為である。思うにお梅が男姿をして、此の巴里へ来た事をさえ、彼はまだ悟っては居ないに違いない。こう思うと心強く、

 角「イヤ今持って居る訳ではありませんが、貴方が買うと云う約束さえすれば、その有り家の分かる様に、貴方の手に入る様にして上げます。サア買いますか、買いませんか。返事は唯一言で好う御座います。買いますか。」
と漸(ようや)く敵の本城まで迫り寄せた。


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