ikijigoku49
活地獄(いきじごく) (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
ボア・ゴベイ 作 黒岩涙香 翻訳 トシ 口語訳
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活地獄(一名大金の争ひ) 黒岩涙香 訳
第四十九回 更に問いたい事
「サア買いますか、買いませんか。」
と問い詰める角三の言葉に、鳥村はグッと一杯を呑み乾して、
「イヤ暫くお待ちなさい。成る程買わないとは云いませんが、買うにしても未だ色々と貴方に聞きたい事が有ります。それを充分聞いた上で無ければ約定も出来ません。」
角「それは御尤(ごもっと)も」
鳥「全体私には貴方の身分が分かりません。ペリゴーへ行く道では商人の隠居との話でしたが、それを私が信ずるだろうとは貴方もお思いなさらないでしょう。」
角「重々御尤もです。勿論商人の隠居ではなく、実の所貴方と同じく、警視総監直轄の探偵を勤めた事もありますので、その頃探偵社会で本井と云えば、飛ぶ鳥を落とす勢いもありました。」
鳥「成る程、貴方が本井探偵と云われた人ですか。本井と云う名は聞いた事もありますが、生憎その頃、私くしは外国詰めを言い附(つか)って居ましたから、今まで貴方が本井探偵だろうとは夢にも知らずに居ました。道理で何うも手強い所があると思いました。
通例の人ならこう根気よく私の邪魔をする腕前はありません。実にもう敬服です。敬服、敬服、特に初めて貴方が郵便局から私の後を尾けた、アノ時の非役士官の打扮(いでたち)などは、何うしても偽物とは思われませんでした。」
角「イヤそれを又、まるで子供の様に扱って、不敬の罪に落とそうとした貴方の手際も感心です。」
鳥「けれども貴方の打扮(いでたち)が旨(うま)いから、本当の非役士官が自分の同僚と思い、貴方を救ったのは全く貴方の手柄ですよ。是ほどのお腕前だから、ペリゴー行きの馬車の中でも、きっと私を見破ったでありましょうネ。」
角「ハイ漸(や)っとの事で見破りました。」
鳥「何うしてお見破りなさいましたか、後学の為に伺い度いものですが。」
角「頬片(ほっぺた)の痣(あざ)に生えて居る、毛の色で見破りました。貴方が髪の毛も髯も黒いのに、痣から芽を吹いて居る二、三本の毛が赤いので、扨(さ)ては髪の毛も髯も染めてあるなと、それから段々に考えました。」
鳥「イヤ何うもその眼力には恐れ入りました。成る程痣の毛は厭(いや)に伸び易いので、その前日剃ったけれど、もう芽を吹いてて居たのですか。以後充分に注意しましょう。是は何うして貴方の様な玄人(くろうと)でなくては気の附かない所です。」
角「ですが貴方も無論私を見破りなさったでしょうネ。」
鳥「ハイ彼の宿屋で昼食をした時に。」
角「そうでしょう。私の眼鏡を跳ね落したお手際などは、実に感服の外ありません。」
鳥「イヤもうアレは探偵のいろはです。彼(あ)れよりもソレ山路へ掛かった時、馭者を欺(だま)して貴方を捨てて仕舞ったアノ計略が、充分旨く行くだろうと思いましたが、相手が貴方ですから矢張り思ったほどの結果を得ませんで、誠に今更お恥ずかしい。」
角「イヤ彼(あ)れも同じく貴方のお手際でしたが、私は百姓馬を雇った丈余計な散財をしましたぜ。」
鳥「長い道中では、お互いにアレ位の悪戯(いたずら)をしなければ退屈で。イヤ何の彼のと思わず話が枝路へ入りました。再び肝腎の用事に返って、全体貴方が今井兼女の事及び金満中佐の遺言書の事を嗅ぎ出したは何う言う訳です。約束をする前に是も聞いて置かなければなりません。」
と又も初めの様に真面目になって問出したので、
角「私は先日まで大暗室の支配人を勤めて居ましたので。」
鳥「成るほど、そうと気の附かなかったのは私の未熟です。大暗室で兼女から柳條へ送る手紙を開封したのですな。」
角「ハイ、お察しの通りです。」
鳥「それで遺言書の一条を知って―ー直ぐに貴方は私の許へ駈け付けて来そうな者ですが、それを返って、私の敵に当たる柳條の所へ行ったとは不実じゃありませんか。」
角「イヤ何方(どっち)へ行っても何うせ不実サ。我物でない財産を幾等か食い取うと云う恐ろしい目的ですから。」
鳥「違いない。何方へ対しても公平に不実ですな。」
角「それに又貴方が鳥村だと云う事は、その頃まで知らずに居たから止むを得ず柳條の方へ行ったのです。」
鳥「実は柳條が私よりも幼稺(おぼこ)で、相手に仕易いからでしょう。」
角「マアその様な者です。」
鳥村は愈々(いよいよ)容(かたち)を正し、サア是でもう貴方に問う丈の事は問いました。是から貴方の仰(おう)せを聞きましょうけれども、私も故々(わざわざ)ペリゴーへ行った甲斐あって、随分大切な事を聞き出して来ましたから、事に依ると貴方の知って居る丈の事は、私も知って居るかも知れません。若し貴方の知らせて下さる事柄が、既に私の知って居る事柄なら、私は約束を結びませんぜ。」
と念を押した。
角「勿論です。今まで二人とも負けず劣らず調査したから、互いに種々の事を知り、私しの未だ知らない事を貴方が既に知ったのもありましょうけれども、私は又貴方の決して知らない所を知って居ます。是が即ち秘密です。此の秘密を貴方に売ろうと云うのです。」
鳥「宜しい。サア聞きましょう。果たして私の未だ知らない所か、それとも既に知って居る事か聞けば分かりますから。」
角「イヤ貴方は中々お如才《てぬかり》ない。私に言わせて仕舞って、フムそれだけの事なら俺も知って居たと、こう仰られても私は致し方がない様な者ですけれども、互いにそうう狡猾に構えて居ては果てしがないから、先ず私から口を開きましょう。少し口を開いて真に大切な秘密と認めれば、無論貴方がその後を、お買取りになりましょうから。」
鳥「勿論です。サア仰(お)しゃい。」
角「宜しい申しますぜ。第一金満中佐の遺言書は、今井兼女の手には有りません。兼女は自分の姪にその遺言書を渡しました。」
鳥「それから」
角「姪の名はお梅と云うのです。」
角「それから」
角「お梅は6月の末に此の巴里へ向け出発したのです。」
鳥「それから。」
角「無事にこの巴里へ着きました。是には一々証拠があります。」
鳥「それから」
角「イヤその手は食いませんよ。それからそれからと仰(おっしゃ)る。図に乗って皆多言(しゃべ)っては、宝を只取られる様な者です。」
鳥「でも是だけの事は私も知って居ますもの。」
と極めて穏やかな声で云うのは、その実未だ是ほどは知らないのかも知れない。
角「イヤ是だけは御存知でも、此の先は知らないでしょう。是から先が私の宝です。此のお梅が、巴里へ来て何をしたか、何うなったかと云う事を私は知って居ます。約定さえ極まれば、それを残らず貴方に知らせ、貴方が自分で行ってその遺言書を取って来る事の出来る様に話して上げます。」
鳥村は少し考え、
「成るほど、お梅が遺言書を持って、此の巴里へ来て居るなら、今丁度此の巴里の何所に居るか、それを教えて下さると云うのですネ。」
角「その通り、その通り」
鳥「フムそれでその謝礼は幾等です。」
角「無理な代価は申しません。金満中佐の遺産が二百萬法(フラン)以上とありますから、私は百万法だけ戴きたいのです。」
鳥「宜しい。充分に分かりましたが、併し百万法と云う金は大金です。之を遣ろうと約束するには、容易な事ではないからして、私も篤(とく)と考えて返事をしますが、その前に未だ貴方に問う事がある。貴方は明瞭に返事しますか。」
角「しますとも、如何にも百万法と云う大金は、容易な事ではない。ソレを私に呉れようと云う約束を為さる前には、色々お問いなさり度い事がありましょう。私は此の秘密の外の事なら何でも無代価で返事します。」
と言い切った。
是から鳥村は何事を問おうとするのだろう。
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