kettounohate17
決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)
ボア・ゴベイ 作 黒岩涙香 翻訳 トシ 口語訳
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決闘の果 ボアゴベ作 涙香小史 訳述
第十七回 不正の目印
桑柳守義が殺された決闘は、素より不正の決闘である。一方は真正の弾丸を用い、一方は贋弾(にせだま)を用いたものなので全くの欺(だま)し打ちと同様である。之を知るのは唯桑柳の第二の介添人である小林康庵だけである。康庵があの贋弾を拾った時の驚いたこと言ったら、並大抵ではなかった。
それからは、緩々(ゆるゆる)と相手の素振りに目を附けて、此の上の証拠を集めようと、一旦はこの様に決心し、秘かにその贋弾を持ち帰って、秘密箱の中に納めては見たが、根が散じ安い人なので、その考えは緻密ではあるが、深く物事に気を留めず、他人の悪事は大抵見逃すのを好しとする性質(たち)だから、日を経るに従ひてその心も薄くなり、過ぎ去った事柄を新たに訐(あば)き立て、再び世間を騒がすにも及ぶまいと思い始めた。
それにあの弾丸も果たして敵の介添人、古山禮造が籠めた者か、それとも又是より前に決闘した人が、落として置いたものか、それさえもはっきりしない。詰まり桑柳の不幸にして今更此の事を詮索したからと言って、それが為に桑柳の命が元に還ると言う訳でも無い。
兎角浮世は事勿れ、事無きに越す安楽は無し。夢と思って断念(あきら)めようと、その後は再び木の弾を手に取っては居ない。心にも成る可く此の事を思い出さない様にと務めて居たけれど、一度我が心を動かした事柄は、容易に忘れられる者では無い。機(お
り)に触れ場合に臨んで、時々胸に浮かんで来た。
わが心を責める事があるので、此の上はいっそのこと、あの短銃(ピストル)をば初めに買ったる銃砲店に売り返し、木の弾をも焼捨てよう。之さへ無ければ心に掛かる者は無し」
と或る日、短銃(ピストル)を箱から取り出だし、テーブルの上に置いて、ハンケチでその筒口の塵(ちり)を払うなどして居たところ、此の所へ案内も無く入って来た一人の美人は、以前から小林が隔て無く逢っている女俳優の倉場嬢と呼ばれる者である。
小林は女俳優などを相手にする、蕩楽者(どうらくもの)では無いが、女と聞いて顔を顰(しか)める艶消しの人でも無い。我は女をば人情的に愛せずして美術的に愛すと言い、女の美麗なるも絵画の美しきも同じ事であると言って、常に婦人社会の交際を好み、且(か)つは家豊にして医師の業を慰みの様に思っている身だから、専ら気管支病(きかんしやまい)の療治を研究し、役者を始め咽(のど)を使う一般の芸人を診断して、「我事は是で足れり」と世を面白く送っているのだ。
だから巴里の女俳優にして小林の顔を知らない者は無く、又小林に知られて居ない女優は居ない。今来た倉場嬢もその一人で、近日の中に唱歌の温習(さらひ)があるに依り、若しや我が咽に異常は無いだろうかと、小林の診察を乞いに来たものだ。嬢は遠慮も無く小林の傍に進み、
「オヤ、貴方にも似合わない短銃などを何うするんです。」
と言いつつ、早や一挺を手に取ったので、小林は周章(あわて)て制(とど)め、
「コレコレその様にしては了(い)かん。油気が有るから着物を汚す。」
と手を延ばして引き取ると、
嬢「ア痛い。」
と言って離したが、如何した事か、見れば嬢の手の掌(ひら)から血が流れ出る様子なので、
「オヤ何うした、短銃を持っただけで怪我をする筈は無いが。」
倉「ナニ貴方が強くお取りなさったから、手の皮が剥げました。
私の手の皮は此の様に柔らかいのですもの。」
と殆ど泣き出しそうな様子である。
「アアそれは悪い事をした。何うも疎忽(そそ)っかしいので時々失敗(しくじ)るて。」
とそのまま、我が口唇(くちびる)を傷所に当て、流れる血潮を吸い取れば、嬢は此の親切に心解け、
「ナニ大した事は有りません。膏薬でも貼って置けば直ぐに癒(なお)ります。」
小「直る事は直るけれど、実に気の毒な事をした。今日は此の罰金に、私が骨董の競り売りへ、連れて行って遣る。実は少し買いたいと思う油絵が有って、是れから出掛けようと思って居る所だから。」
倉「オオ本当ですか。嬉しい事。此の頃アノ眼の黒い日本の人形が流行から、貴方一つ買って頂戴。」
小「馬鹿を言うな。日本の人形が競売場に有る者か。併し外に何か気に入った者が有れば、値を附けて買って遣ると言う中にも、彼の短銃を取って検めると、これは如何したことか、その本の方に当たり、細い釘を打ち込んで、その頭を少しばかり外面に突き出でたり。嬢の手を傷つけたのも之が爲である。
何者が何故あって此の釘を打ったのだろうかと考えて見るに、是れは他ならい敵の介添人、古山等の仕業である。あの決闘の間際に当たり、双方の公平を失わない為に、二挺の短銃(ピストル)をハンケチの下に隠し、当人同士に探らせよう言っていた。探る時に間違いの無い爲に、この様な釘を打ち附けて置き、本多満麿に之を手障りに真の弾丸を込めた方を、取らせようと計ったものだ。
最早疑う所では無い。木の弾は愈々(いよいよ)以て彼等の仕業である。憎さも憎し、アア何と憎い振舞いだろうと、この様に思ったので、短銃を売り返す気は忽ち消え、他日に又如何なる事の証拠と為るかも知れない。更に此の処置は後でゆっくりと思案しようと言って、そのまま短銃を箱に納め、何気なく心を鎮めて倉場嬢の手を取り、競売場を指して出掛けて行った。
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