巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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     決闘の果   ボア・ゴベイ 作  涙香小史 訳述
         

      第二十二回 結婚の申し込み

 春村夫人が既に本多満麿を遮絶したりと言うのを聞き、大谷は暫しその顔を眺めて居たが、やがて思い切った様子で、
 「でも世間には様々の風説が有りますから、貴女は用心するのが肝腎です。」
 夫「風説とは何(ど)の様な風説です。本田が未だ私の所へ出入りするとでも言うのですか。」

 大「イヤその様な些細な事では有りません。実は昨夜も倶楽部での評(うわさ)を聞くと、本多は貴女の名誉を傷つけようとして居ます。」
 夫「何の様にして傷付けます。私の事を悪様に言い触らすのですか。」
 大「それよりもっと一層重い事です。現に倶楽部の会員が二度までも認めたので、本人が此の塀外にあるアノ小高い丘に登り、物思わし気にこの内を覗いて居たと言う事です。」

 夫人は思わずも打ち笑い、
 「それは余りに可笑しいではありませんか。アノ岡から此の庭は少し位見えるかも知れませんが、私の居間の中まで見えるのでは有りませずーーーー。」
 大「イヤ居間の中まで見えなくても、世間の人はそうは思いません。多分貴女が庭へ出て、何か合図でもして居るかと思いましょう。身分の高い夫人ほど、少しの事にも噂を立てられ、名誉に傷 が附きますから。」

 夫「でも先(ま)ア何の積りで本多が、その様な事をするのか少しも私には分かりませんが、そうだからと言って、私から岡の上へ上るなと断る訳にも行きませず----。アア好い事が有ります。先刻申した高い塀を、早速積み立てに掛かりましょう。そうすれば岡の上からでも見降(下)ろす事は出来ないでしょう。ですが未だ外に、私の名誉に掛かりそうな事でも有りますか。」

 大「ハイ、まだ是よりも容易ならない事が有ります。此の前小林がここへ私を尋ねて来た時の事。本多が四辺(あたり)を見廻して此の門へ忍び込みました。それは小林が確かに認めた事で、間違いは有りません。何でも合鍵を持ってこの裏門を開けたと言います。しかも夜の十一時過ぎですぜ。」

 夫人は此の一言に痛く打ち驚き、顔の色をさえも全く変わって、
 「何うすれば好うございましょう。実にそれは今聞くのが初めてす。此の裏門の鍵は私の外に誰も持っては居ませんから、本多に限らず、他人が入る事は出来ない筈ですが、しかし又、それを貴方が直ぐに私まで知らせて下さらないと言うのは、貴方の不親切と言う者です。」

 大「イヤ私も知らそうと思いましたが、事を荒立てては返って悪いから、他日改めて話すのが好いだろうと、小林に制(とめ)られまして、成る程それも爾かと思い。」

 夫「それでも貴方その様な事なら、幾等荒立てても好いでは有りませんか。夜中に人の家へ入り込むのは、泥坊も同じことで、様子に由れば警察へ引き渡しても構いません。」
と恨めし気に述べたその言葉に、偽り有りとは思われないので、大谷は我が言葉の強過ぎたのを悔い、
 「イヤ今更言っても返らない事です。貴女がそれほど残念に思うなら、私が心附けて居ますから、この後は貴女の身に指一本指させません。」

 夫人は宛(あたか)も我が名誉の傷(いた)んだことを悲しむ様に、言葉も無く首を垂れ、深く何事をか考えた末、涙に潤んだ目を上げて、
「斯(こう)して女主人(あるじ)で暮らして居ますと、時々残念に思う事が有って、その度私は独りで泣きます。先日からも段々と考えて見ますに、何しても何時までこうして独り身で居る事は出来ません。居れば居るだけ人様に疑われ、終には家の名にまで傷の附く事に成りますから。今の中に思案を更(か)え、何しても我が身を保護して呉れる人を拵(こしら)えなければ成りません。」
と言いつつ大谷を見上げる目許には、普段とは異なった一種異様な光があった。大谷も思わず心を動かし、

 「イエ私が保護して上げます。」
 夫「ハイ貴方より外に保護を頼む方は有りませんが、でも唯今の所では、唯親友同士と言うだけの間柄で、貴方が保護して下されば、それに附けても又悪い評(うわさ)が起こらないとも限りません。」
と言い残して言葉が澱み、暫(しば)し躊躇(ためら)うと見えたが、又思い切った様子で、

 「私からは極めて言いにくい事ですが、是だけ言えば、大方お分かりに成りましょう。今まで大抵は毎日の様にお目に掛かって居ましたので、自分で自分の心も分からず、唯貴方と私は友愛の情ばかりと思って居ましたが、先日から三週間も逢わずに居るうち、何かに付けて良く考えて見ましたが、貴方と私は別々に暮らす事は出来ない中です。

 お顔を見ない時は、何と無く苦労で苦労で成りません。これは友愛の情ばかりでは無いでしょう。貴方も又唯今仰(おっしゃ)る通り、アノ夜本多が裏門へ忍び込んだと聞き、それに立腹して今まで三週間も私の許へ入らっしゃらないのは、是が誠の愛から出る嫉妬とか言う者でしょう。友愛ばかりでは嫉妬などは出ないでしょう。」
  
 実に夫人の言うのに違わず、大谷が三週間も足を抜いたのは、我知らず嫉妬の念に迫られたからである。愛情として嫉妬の無いものは無く、嫉妬として愛情の無いものは無い。大谷も春村夫人のことは、以前から言わず語らず相慕っている者なので、晩(おそ)かれ早やかれ、夫人にから言い出さなければ、大谷から口を開き、愛の言葉を交わす仲であった。大谷もここに至って、何うして猶予する事があるだろうか。

 「実に仰(おっしゃ)る通りです。心の中は嫉妬の焔(ほむら)に焦がされて居りました。」
 夫「ですから貴方と私は、別れ別れに暮らす事は出来ません。この上は何時でも、貴方からの結婚の申し込みを待つばかりです。」
 大谷は早や夫人の手を取り上げて、その甲に熱い喫(きっす)を与えると、夫人は嬉しい目を見張って、

 「もう本多と訳が有るなどと、その様に疑われる事は無いでしょう。」
 アア二人の満悦は唯この時に在る。この様な所へ、重家(おもや)の方から一人の従僕(めしつかい)が手紙を持ち、用あり気に歩いて来た。



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