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決闘の果（はて）（三友社　発行より）（転載禁止）

ボア・ゴベイ　作　　黒岩涙香 　翻訳　　トシ　口語訳

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　　　　決闘の果　　　ボア・ゴベイ作　　涙香小史　訳述

　　　　　　　第二十八回　ごろつきと本多

　小林康庵は春村夫人の馬車に用意を命じ方々、本多満麿の様子を伺がおうと大谷及び夫人に分れて、独り桟敷を下りながらも、其処此処と見廻したが、既に本多は何処かに行ってしまったと見え、その姿は目に留まらなかった。

　「彼奴（きゃつ）は何所へ行ったかナア。」
と呟（つぶや）いたが、どうしようもないので、小林はそのまま出て行って、夫人の馬車が待つと聞く堀端に行って見ると、近辺（あたり）は寂然として静まり返り、往き通う人も無い。唯だ半町（約５０ｍ）ばかり先に、燈火の影が見えるのは、きっと夫人の馬車に違いないと又も其所に進んで行った。

　見ると是れは、先程公園で本多満麿が忍び込んだ彼（あ）の馬車である。春村夫人の馬車と同じく青く塗り、其の馬其の馭者に到るまで、先程見たものに寸分違わない。きっと是れは本多がここに待たせている者に違いない。さもなければ本多を引き入れた彼（あ）の美人が、ここで本多を待って居るのに違いない。深い仔細は分からないけれど、兎も角も軽々しく見過ごすべきではない。

　或いはその美人が、まだ乗ったまま、車中に留どまって居るのでは無いかと、横の方から斜めに覗いたが、更に人影が無いばかりか、馭者までも毛布（ケット）を身に巻いたままで、馭者台の上で居眠りをしている。帰りに再び見る事にしようと、この様に思案して、一町ばかり歩いて去ると、今度こそは夫人の馬車に違いない。　馬は総体黒くて、唯足の先のみ白く、又額の真ん中あたりには、毛色の変わった渦巻がある。夜目にも名馬と察せられる。

　堀端の木の陰に停まりながら、頻りにその足を動かすのは、人の遅いのを待ちわびての事だろうか。馭者は小林の近づくのを見て、早やその鞭を取り直し、何時でも出発の出来る様を示した。小林は之に向かい、夫人が今から二十分ばかりの中に来るかも知れないので、用意して置く様にと命じ終わり、改めて彼の本多の馬車の事を問うと、何時来たのか知らないとの事なので、此の上問うても無駄だと、引き返して帰って来るうち、堀端から劇場に曲がる角に当って、何事をか私々（ひそひそ）と相談している二人の人があった。

　一人はその背が高く一人はその背が低い。低い方は此の辺の波落戸（ゴロツキ）と見受けられるが、高い方は是れ本多満麿である。満麿は何故にこの様に密話するのだろう。とりわけその相手が波落戸（ゴロツキ）であるのは、非常に怪しい限りだ。

　紳士の身として、夜暗くて人が稀な所を選び、波落戸（ゴロツキ）に会うとは、きっと金を以って何事をか頼んで居るに違いない。此の様を見て小林は、出し抜けに声を掛け、本多を驚かして呉れようかと思ったが、それは謀（はかりごと）の下手な遣り方である。それよりは更に私（ひそか）に様子を見る方が善いと、身を塀際に寄せ、息をも殺して伺うと、二人は早や大凡の相談が調ったと見え、其所を立ち退きながら、身を並べたままで徐々（しずしず）と歩みながら横道に反れて行った。

　益々話が熟すと見え、本多は手を挙げ屡々（しばしば）一方に指を指す。心の所為（せい）か知らないが、小林の目にはその指は、多くは春村夫人の馬車の在る方角を指す様に見えた。或は春村夫人を如何にかしようとの相談ではないか。但し言葉が低くて聞き取れないのは残念である。

　小林は我を忘れて殆ど一町（約１００ｍ）ほど尾（つ）けて行くうち、忽ち広い通りに出た。ここで本多は辻待ちする馬車を雇い、己れ一人之に乗ると見えたが、早や何所にか走らせ去った。彼の波落戸（ゴロツキ）風の男は、引き返して又来た道に立ち戻る様子なので、小林はその顔を見覚えて置こうと、一足前に進み出ると彼のの者は、そうと見て忽ち一生懸命に足を早め、何所とも無く逃げ去った。

　小林は是を追って行こうとしたけれども、余り遅くては、桟敷に待っている春村夫人に失礼なので、
　「仕方が無い、残念でも見逃して帰ろうか。」
と呟きながら直ぐ様劇場へと帰ったが、これは如何した事だ、大谷は何所かに行ったと見え、春村夫人唯一人、心配気に桟敷に残っていた。

　アア今日初めて結婚の約束が調った夫人を残し、何用が有って居無くなったのだろうか。
　怪しむべし怪しむべし。

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