巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

kettounohate8

決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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    決闘の果   ボアゴベ作  涙香小史 訳述 

      第八回 嬢の元へ 

 肝腎の唯一字が短銃(ピストル)に射貫かれた爲め、手紙の文意更に分からず。桑柳の遺言状は何の中に在るのか、心当たりさえ附くるに由なし。大谷長寿は太い溜息を発しつつ、
 「エエ実に失敬な本多満麿だ。尤も手紙まで射貫く積りでは無いだろうけれど、此の通り己(おれ)に心配を掛けやがる。」
と言って暫(しば)し拳を握り詰めたが、又思い直して、

 「イヤ待て、よしや此の遺言状が出て、桑柳の財産は残らず森山嬢に譲ると為った所で、嬢が喜んでそれを受け取るか何うだか。受け取れば詰まり本多満麿に許嫁の所天(おっと)を殺されたが爲、忽(たちま)ち裕福の身と為るので、即ち本多が桑柳の財産を取って、改めて嬢に渡したと同じ事になる。

 爾(そう)すると嬢は心持が好くないテ。我が所天を殺した本多満麿に財産を作って貰ったと言われ、嬢の本意では無い。殊に嬢は其の伯母に当たる福田老夫人の家で、折々本多に逢う事も有ると言うから、桑柳の財産を受け取っては、本多に顔を合わせた時、赤面する様な意味合いに成るかも知れない。

 左すれば無理に此の射貫いた〇の所に在った文字を考えるにも及ばない。考えた所が分かる筈も無い。其の中に分かるだけの時節が来れば、又分かりもするだっろう。兎に角之は己の力に及ばない所だ。先ず時節に任せるとして、サア是から嬢の許へ桑柳の死去を知らせに行かなければならないぞ。併し若しや此の手帳の中に、何か又遺言状の事に附いて書き記してはないだろうか。此の〇の文字が分かる様な通伝(つて)でも有れば、之に超す事は無いが。」

 この様に呟きながら、又も手帳を開いて満遍なく読み検めて見ると、手帳は唯日記の類で、取分け自分一身に分かる様、暗号の様な文字で記(しる)した所も多いので、充分には解読する事が出来なかった。其の中に唯一節、三月二十七日の所に、

 「今日余は嬢の心の奥を見破った。余は此の儘(まま)には捨てて置けない。」
との文句がある。嬢の心の奥とは何事だろうか。
 「嬢は君を愛して居るよ。」
と言った彼の一言の源では無いだろうか。

 嬢が心の奥底では、真実に我を愛せずして、我が親友を愛しているとの事では無いか。大谷は心に疑いが起こって来たけれど、強いて其の疑いを払い退け、
 「アア分からん、分からん、何んの事だか少しも分からん。」
と言って、又其の下を読むと、

 「アア余ほど不幸な者は無い、アア失望アア絶望、我が愛する女に〇せられず今は唯死する外なし。」
の文句あり。彼是と考え合わせれば、桑柳守義が決闘の前に一方ならず自分を苦しめ、人知れず死を決意した事は、自ら明白であるけれど、大谷は唯、「嬢は君を愛して居る」との一言を恐れ、敢えて深くは考えず、其の儘(まま)にして手帳を閉じ、

 「アア何時までも下らない事を考えても仕方が無い、ドレ行こう。」 
と帽子を取って立ち上がり、下僕を呼んで馬車の用意をさせ、之に乗って、彼の森山嬢の家を指して急がせた。抑(そもそ)も森山嬢と言うのは、既に記したる様に、其の財産は豊かでは無いが、容貌の人に優りて美麗(うるわ)しきが上、頗る手細工に巧みにして、絵画彫刻象牙細工等は玄徒(くろうと)にも劣る事が無い。

 婦人慈善の会などには、他人に真似も出来ないほど精巧な品物を出品し、それが為に大いに其の名を挙げ、今は令嬢社会に於いて、嬢の容貌と嬢の器用を褒めない人は居ない。家には唯一人の老母がある。久しく中気を患い、腰も立たないほどであるが、嬢は怠りなく孝養を尽くし、我が身と共に深く世間に敬われれて、世を送って居ると云う。

 それは扨(さ)て置き、頓(やが)て大谷は嬢の家間近へ進み、馬車の上から三階の窓を見上げると、窓に凭(もた)れて何事か考えている様子で下の方を見降す美人がある。是れは即ち森山嬢である。大谷は遠くから黙礼すると、嬢は心に入らないのか、知らない振りでまだ窓に寄り掛かって居る。

 扨(さ)ては嬢、桑柳が今日決闘する事を知り、帰りの遅いのを気遣って、町尽(まちはず)れの方眺めているのか。今若し桑柳が帰らずして、我一人この様に来るのを見れば、忽(たちま)ち心に桑柳の死んだ事を悟り、充分に此の兇(訃音)《しらせ》を聞く可き用意を為す時間がある故、我が役目も果たし易いのにと、大谷は頻りに嬢の目に触れんとするが、心此処に在らざれば、視て見えずというのか、嬢はまだ気付かず、其の中に窓を閉じた。

 大谷は充分な勇気を絞り集めて、馬車を其の入口に留め、降り立って案内を乞うと、内から若い下女が取り次いで、此方(こちら)へと案内したので、従って上って行くと、下女は二階の一間を開き、大谷を之に入れたが、此の間は是れ嬢の室では無い。嬢の母なる森山夫人の居間である。

 大谷は彼の、
 「嬢は君を愛して居る。」
という一言の為に、深く嬢を恐れる身なので、今夫人の年老いた姿を見て、先ず好しと安心した。



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