巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

musume24

嬢一代   (明文館書店刊より)(転載禁止)

バアサ・エム・クレイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.7.26

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               二十四

 春人(はるんど)が李羅子と婚礼して蜜月(ハネムーン)の旅に出たその間に、彼の憐れむべきイリーンは如何しているだろう。
人窮すれば父母を叫ぶとか言う。身の置き所無いまでの深い悲しみに沈んだイリーンの様な者、父母の家より外に行く所があるだろうか。ことにイリーンはその自ら言った様に、仮令(たとえ)その身は偽りの為汚されたとは言え、自分から罪を犯したのではない。唯偽りに欺(あざむ)かれただけで心に何の汚れも無い。心に堅く我が清いことを信じる為、春人の別荘を出てから直ちに父の家を指して、汽車に乗った。

 汽車がプランリーに着くと共に、幼馴染の野も山も、笑って我が身を迎えたが、悲しみに沈む身には物思いの種と為り、涙の先立つのを覚えるだけ。涙を浮かべて父に逢うのは罪を犯して帰って来た様に見える。罪の無い身にはそうすべきではないと思ったので、先ず涙のあるだけ泣き尽し、その上で帰えろうと、直ちに母の墓に詣で、墓前に伏(ふ)して生きている人に語る様に我が不幸な出来事を述べ、今迄堪(こら)えていた悲しさを一時に発し、泣いては語り、語っては又泣くと、漸(ようや)く涙の種も尽きたか、心も次第に落ち着いたので、日の暮れ頃になって、我が家に帰ると、家内何と無く物静かで、座し慣れた我が居間の窓には白い布を垂れ、我が身を既に亡き人の数に入れたかと疑われ、父の書斎にも父が居るのか居ないのか見極めることが出来なかった。

 敷居を跨(また)いで内に入れば、その後に雇い入れたのか顔の知らない小女が出て来て、
 「何の御用ですか。」
と問う。我が家ながら人の家のようだ。イリーンは先ず、
 「お祖母さんは、居間にいらっしゃるの。」
と問うと、
 「この家のお祖母さんは、去年の暮れに亡くなられましたが。」
 さては我が心掛けが悪かったからだが、その死に際の介抱もする事が出来なかったかと、自ら我が身を責める折りしも、

 「オヤ、イリーンの声に好く似ているが。」
と言い、次の間から馳(は)せ出て来たのは父のダントン氏である。イリーンも馳せ寄って、
 「オオ、お父さん?」
と言ううちに胸一杯に悲しさが迫り来るのを、ヤット堪(こら)え、
 「唯今帰って参りました。」
と言う。父の喜びは譬(たと)え様がないくらいで、
 「オオ、帰ったか、好く帰った。まあ立派な奥方に成ったことだろう。どれ窓の方に向き、美しいその顔を見せてくれ。きっと俺が美術館に出したあの絵を見て、父が心配していると知り、帰って来たので有ろう。出来ることなら何時までも茲(ここ)にいてくれ。夫も一緒か。許しを得て一人で来たか。」
とイリーンに返事の暇を与えず、様々の事を問掛けるのは、嬉しさ余っての事に違いない。

 イリーンは父の心がやや落ち着くのを待ち、
  「イエ、お父さん、私に夫は有りません。」
 「ナニ、夫が無い。---死に分かれたのか。ヤレヤレ可哀想に」
 「イエ、初めから夫は無いのです。婚礼をしないのです。」
 「何だと、婚礼をしない。だって婚礼をすると言う手紙を残して有ったじゃないか。きっと立派な婿を連れ、今に帰って来るだろうと、そればかり楽しみに今迄堪(こら)えて来たのに。婚礼もしない。夫も持たない。お祖母さんも和女(そなた)と婿の事を言い暮らして、お亡くなりになられたが。」

 「イエ、お父さん、私に夫の無いのに就いては色々仔細の有る事です。それをお話に帰って来ました。」
 「ドレ、話せ。どんな話だ。早く聞かせてくれ。俺は気になって、気になって、だけれど俺が心配する様な話では有るまいな。」
 「茲(ここ)では話も出来ません。」
 「書斎へ来い、俺の書斎へ。」

 真に親子の情はこれほどにも強いものか。父は一言もイリーンの家出を叱ろうとはせず、地にも置かないほど騒ぎ立て、早速その書斎へと連れて入り、人形でも座らせる様に椅子に据え、顔をその前に差し出して、
 「ドレ、話とは、サア聞かせてくれ。」
 イリーンは震える声で、
 「お父さん、聞けばきっとお驚きなされるだろうが、私の話と言うは今迄女の口から出た事も無い程の恐ろしい話ですよ。」
と言って置いて、我が身が男の薄情に欺かれた様子を残らず語ると、父は青くなり、赤くなり、話の終わるのを待ち兼ねて、

 「そうしてその男に罰も当たらず、今もまだ生きて居るのか。嘆くな娘、その様な人非人は俺が殺す。俺がその仇を返して遣(や)る。」
と言い、早くも飛び出さそうとする剣幕で、
 「その男の名は何と言う。誰だ、何処に居る。」
と問い掛けるので、イリーンは様々に制し宥(なだ)め、
 「イエ、お父さん、欺かれたのは私ですから、この仇は私が返します。自分で欺かれた上に、その仇まで貴方を煩わす様な事が有っては私の気が済みません。」
と言い、何と問われても、春人の名を明かさず、終には父を説き伏せた。

 イリーンの心では、この様な究極の恨みを、人の手を借りて晴らしてはわが心を癒やすことは出来ない。如何しても我が身一人で成し遂げようと思っている為と知られる。父は中々聞き入れなかったが、イリーンがその名を明かさないので仕方無く、追々問い落とせばその中に知る事も有るだろうと思い直して、この場だけはイリーンの心に従った。



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