巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

musume38

嬢一代   (明文館書店刊より)(転載禁止)

バアサ・エム・クレイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.8.9

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               三十八

 する事為す事、食い違い、身の置き所無きまでに失敗する(ため)は、世に間々ある事ではあるが、イリーンの一言で公爵から免職せられた、馬淵春介のその後の失敗ほど甚だしいのは類稀(たぐい)である。彼はその身が何の為に免職せられたのかを知らないので、直ちに公爵に嘆願状を贈り、元の役目に取り立てる事が出来なければ、どこへでも斡旋して戴きたいと申し出たが、公爵から決然たる返書があり、

 「今後はそなたの願いは一切拒絶する。」
と非常に明白に断って来た。彼は固より、夙(つと)に自分の家産を蕩尽した、紳士ゴロツキなどと言える者の一種なので、その職を失っては、身を支える方法も無く、次の職業に有り付くまでは、腕に覚えた博打で暮らしを立てようと、クラブからクラブを経廻ったが、何故でも、一度幸いに勝ちを得る事あっても、次の日そこに行くと必ず我が身を斥けて、この団楽(まどい)には入れないと言い張る人が有る。

 どうやら誰か我が身の後に廻り、我が事を悪し様に言い触らして行っているようだ。どのクラブにもどの博打場にも、総て一度限りで、二度と足踏みを許されない。その他飲食店に行っても、一度は他の客と同様に扱われるが、再び行けば必ずその給仕か帳場の者か、或いは居合わす客人のうち、誰かが我に何分の不快を与え、繰り返して行く事の出来ない様に仕向ける者がある。

 誰の仕業、何の為とも知らされないが、我が身の背(うしろ)に影の様に従い来て、寸時も離れず我に仇する事をのみ仕組む人があるのでなければ、物事これ程までも都合悪くなるはずは無いと思われ、相談の為、友人の所に行っても、何故か我が身に笑顔を示す人は一人も無かった。果は我が住んで居る家主からも立ち退きを命ぜられ、どれほど家賃を高く払うと言っても聞き入れられない。

 空き間を訪ねて借り入れの約束を結び、手金まで渡して帰り、是で漸く安心と荷物を携えて引き移ると、急に差支えが出来たといって、その手金を返されて断られる事が何軒あったか知れない。どこに行っても同じことなので止む無く宿屋に泊まり込むと、一夜は機嫌よく客並に扱かわれるが、翌晩は必ず何かの故障があり、どうしてもと言うと警察沙汰にもされるほどの勢いで、三月と経たないうちに住むに家が無くなった。

 寝るに宿無く、交わろうとしてもその人が無く、働くに職業無く、広い天地の間に在って、宛(あたか)も狭い眼の中に介(はさま)った塵の様に、どこに行っても忌み嫌われ、ゴロゴロと落ち着くのにその場所が無い。喪家(そうか)の犬と雖もこれほどまでには困まり果てはしないと思われるまでに至ったことは、余と言えば不思議で仕方が無い。

 何の為、誰の為の仕業だろう。これこそ他ならない、五田公爵夫人イリーンのの復讐の一端である。イリーンは公爵に説き、彼を免職させたけれど、まだ満足せず、子の様な悪人を此の国に住まわせては、他人にどれ程のの害(わざわい)を加えることになるか知れないと思い、翌日直ぐに英国探偵局に書を送り、最も事に長(たけ)た者二人を呼び寄せ、費用はどれ程でも厭(いと)わないので、ある悪人をそれとなく、此の国に住むことが出来ないように仕向ける事が出来るかと問うと、

 この国に住まわして不都合な悪人ならば、外国へ追い出す工夫は幾らでも有ると答えたので、夫人は他人の事に装って、彼が偽僧と為り、女の生涯を誤らせた罪を説明すると、探偵二人はそのような悪人ならばと云い、引き受ける事を約束したので、夫人は彼馬淵春介の名を二人に告げ、直ちに数多の手当てと給料を与えて、二人はこれから、影よりもまだ離れず、非常に静かに、非常に微(かすか)に、彼、馬淵の身に災いを始めた訳であるが、彼はそれとは悟ることは出来なかったが、いずれにしても我が身に付き纏う敵があるに相違ないと、固く思い込むに至った。

 彼百計ここに尽き、以前から飢饉の蓄えの如く、最後の用意に残し有る、西富春人(ハルンド)の所に行き、最早や此の国に住め無くなったので、外国に落ちて行こうと思うので、昔の仕事に免じ、旅費だけも恵んでくれと乞うと、昔の仕事には既にその時に充分の謝金を与え、その後も種種に周旋してやったことなので、今更無心を受けるいわれは無いと言い、愛想も無く跳ね付けられた。

 春介は絶望して我が身には必ず目に見えない仇があって、行く所に我が身を追って来て苦しめているに違いないと言い、更に語を継いで、
 「本当に西富君、誰か密かに僕を恨み、執念深く復讐を誓って居るに違いない。」
と打ち叫ぶと、復讐の語に春人はギクリと驚き、初めて馬淵の言葉に気を留める事となった様に、今までの次第を問うと、馬淵は更に我が失敗を悉く繰り返すのに、春人は暫く考え、

 「したが君は、再び公爵に嘆願書でも送って見れば好いのに。」
 「イヤ、送ったけれど今までに、例の無いほど冷淡な返事を得た。」
 「君は公爵夫人イ逢った事は無いのかネー。夫人は大層慈悲深くて人を助けると言うウ事だが。」
 馬淵は首を振り、
 「駄目だよ。夫人の力で如何して僕の運が回復するものか。夫人の顔は先達てて芝居で一寸見たけれど、その顔を見た時が僕の不運の始まりだった。その帰りに巾着切にに財布を取られ、翌々日免職された。」

 春人はこの語を聞き、如何やらイリーンの復讐がそろそろと行われつつ有る様な心地がしてきて、そう言えば、昔イリーンが我が前を立ち去る時、殊更に馬淵春介の名を聞いた事も、自然と胸に浮かんで来たので、我が身も如何(どう)やら薄気味悪く、兎に角も我が旧悪の証人とも言うべきこの男を、外国に追いやるに越したことは無いと思ったので、
 「シテ、君は何処へ」
 「米国さ、行ったらもう再びこの様な意地悪な国へは足踏みはしない。彼の国の人となって、必ず一財産を起こして見せる。」

 再び帰らないの一語に安心し、幾等の旅費が入用なのだと問い返すと、彼早くも西富春人の心中に意外に弱い所があるのを看破し、莫大な金高を言い出したが、春人は金に代えられない場合なので、旅費だけを現金で与え、残りは米国の銀行で受け取るように為替手形として与えると、馬淵は是を得て、直ちに米国へ渡ったが、幾年も経たない中に同地の新聞に、大道に飢え死にして引き受け人の無い者として広告の出たのを見た。彼の不運は米国まで彼を追って行ったものと見える。


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