巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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嬢一代   (明文館書店刊より)(転載禁止)

バアサ・エム・クレイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.7.8

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               六

 父に知らせては成らないという春人(はるんど)の断固とした言葉に、嬢は唯泣くだけだったが、やがて春人は自分の言葉の余り強過ぎたことに気付いたか、再び嬢を慰める様にその手を取り、
 「イヤ、父に知らさずに婚礼するのは、実に貴女の身に辛いでしょう。私としても親類に相談せず、女王に許しを得ずに婚礼するのは、実に辛いのです。しかしその外には到底婚礼の道が無いから止むを得ません。詰まり秘密に婚礼するか、秘密が嫌さに是きり生涯分かれてしまうか、その二つの一つです。サア、如何です、これ切りで分かれて仕舞いましょうか。」

 嬢は涙の底より、
 「是きり別れる事が出来る程なら、涙も何も致しません。」
 「それでは婚礼の外有りません」
 「でもこうして毎日逢っていて、貴方の言う手続きは出来ませんか。」
 「それが出来るくらいなら決して秘密の婚礼など言い張りません。別れるか秘密に婚礼するか、全く二つより外に致し方が無いのです。こう言っても未だ充分貴女にはその訳が分からないでしょうが。」

 「イイエ、訳は良く分かっています。」
 「イヤ、きっと無理な事を言う男だとお思いでしょうが、妻と言い、夫と言うのは互いに心を任せ合う間柄てすから、私がこうしなければ成らないと言えば、貴女は成程そうしなければ成らない訳柄が私の心に有る事を信じ、私の言葉に従って呉れなければなりません。一々その訳を聞き、充分に呑み込んだ上でなければ従わねないと言う様では、それこそ夫を不安心の男と疑うようなもの。少しでも不安信と思って、如何して生涯の夫婦となれましょう。」

 「イエ、私は決して貴方を不安心とは思ってはいません。それ程に仰(おっしゃ)るには、必ず充分の仔細が有る事だと思っています。」
 「それでは無言(だま)って私の言葉にお従いなさい。何にも問わず、何にも言わず、安心して私に一任(おまか)せなさい。決して貴方に後悔ははさせませんから。エ、嬢様、これ程言っても未だ私の言うことに安心できませんか。」
 「アレそうでは有りませんが、父に隠すのは何だか罪のようで。」
 「エ、罪、その様な事が有りますものか。第一貴女は、私が貴女に罪を犯させる様な、その様な邪険な男だとお思いですか。」
 「アレ、そうでは有りませんが、今迄何事でも父に隠した事が有りませんから。」

 「それは今迄父より大切な人が無かったからです。真実清い愛情でこの男を夫だと定めれば、父よりも猶(なお)大事、その人のためには父に隠す事も無くてはなりません。又私の身にとっても貴女が愈々(いよいよ)妻となれば、父母より猶(なお)貴女が大事、貴女の為には場合により、父母に隠す様な辛い義理も貴女へ立てます。夫は妻ほど大事な者は無いと思い。妻は又夫より大事な者は無いと思って、互いに辛いことも忍び合い、実意を尽くし合うから、それ故夫婦は一体と言うのでは有りませんか。父が大事だから夫の意に従われない。母が大事だから妻の願いが聞かれないと言うようでは、夫婦ではなく他人です。私は貴女とその様な水臭い夫婦に成りたいと言うのでは有りません。親のためにも親類の為にも、義理の為にも生涯分かれない、本当の夫婦に成りたいというのです。それも私の願いが、大した無理な事なら兎も角、何も父を殺せとか、父を苦しめろとか、父に不孝をしろとか言うのではなく、唯婚礼が済んで、私が愈々(いよいよ)貴女の夫だと世間へ名乗れる時まで、待って呉れと言うだけでは有りませんか。誰に聞かせても決して無理とは言いません。」

 熱心面(おもて)に現れて、宛(あたか)も噛んで含める様に説き来るので、嬢は聞くに従って少しづつ心がその方に向かって行ったが、まだ何だか腑に落ちない所がある。いずれにしても返事が出来ないでいると、春人は少し機嫌を悪くした様子で、
 「イヤ、私の考えでは、愛と言うものは互いに苦しい事を忍び合い、そうして実意を尽くすから、それで一層貴(とうと)いものだと思って居ました。辛いことを忍べば忍ぶだけ、益々愛情が深くなるのです。古えの貞女は、夫の為に命まで捨てました。」

 「ハイ、私も、貴方が命を捨てろと仰れば命を捨てます。」
 「命は捨てるが、婚礼の披露を少し延ばして呉とという、その願いには従われないと仰るのですか。自分の身を苦しめるのが愛の証拠、是くらいの願いさえ聞いて下さらなければ、貴女の愛は何処に証拠が有りましょう。尤も今時の女に、昔の貞女と同じにしろと言うのは、少し無理かも知れませんが、貴女ばかりは昔の貞女に決して劣らない忍耐の有る方だろうと私は思っていました。自分の心ばかり言い張って、私の初めての願いを跳ね附ける様なその様な方とは思いません。でも猶(なお)私の願いが聞かれないと仰れば、私は唯失望してお別れ致すばかりです。」

と果ては悄然として打ち萎(しお)れ、早やその所を立ち去ろうとする様に身構えるので、嬢は此処に至って最早逆らう力がなく、成程忍び難き事を忍び、堪え難き事を堪えて、男に実意を現すのが貞女の本分と言うものかと、全く春人の言葉に酔い、
 「では貴方の仰る通りにします。ですが婚礼を父に隠すのが、罪には成らないものでしょうか。」

 「何で罪に成りましょう。幸福な夫婦と為り、その上で父君に知らせれば父君も必ず喜びます。夫たる者の言葉に背き、父を喜ばせるその道を失うことこそ、女には許し難い罪と言う者で、父に対しても不孝になります。」
 此処に至って、嬢が今まであれこれ迷った思案も全く消え、唯一筋に是が貞女の道というものだとだけ思い詰めるに至ったので、
 「それではもう、貴方の仰る通りに致します。」
と答えた。

 唯この一言、嬢の身に如何のような禍福を加え来ることになるのだろう。




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