muzan11
探偵小説 無惨 小説館版
黒岩涙香 作 トシ 口語訳
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小説 無惨 涙香小史 作
中篇(忖度)ー2 大鞆の分析
(荻)無駄事は成る可く省いて、簡単に述べるが好いぜ。
(大)ハイ無駄事は申しません。先ず肝腎な縮れ毛の訳から云いましょう。髪の毛が縮れるには、それだけの原因が無くては成りません。
何が原因か。全体、髪の毛は、先ず大方丸いとした者で、それが根(もと)から梢(すえ)まで、一様に圓(まる)いなら、決して縮れません。何うかすると、中程に摘(つか)み挫(ひし)いだ様に、薄ッぺらな所が有る。
その扁(ひらた)い所が縮れるのです。ですから生まれ附きの縮れ毛には、必ず何所かに扁(ひらた)い所が有る。
若しそれが無ければ、本当の縮れ毛では無い。所で私が此の毛を、粗末な顕微鏡に掛けて熟(よっ)く視(み)ました所、根(もと)から梢(すえ)まで、満偏なく圓(まる)かった。薄っぺらい所は一つも無いです。ですから、是は本当の縮れ毛では有りません。
それだのに丁度縮れ毛の様に揺(ゆ)れ揺れして居るのは、何う云う訳だ。是は結んで居るうち附いた癖です。譬えば真っ直ぐな髪の毛でも、チョン髷に結べば、その髷の所だけは、解いた後でも揺れて居ましょう。それと同じ事で、此の髪(毛)も、縮れ毛では無い。結んで居た為に、この様に癖が附いたのです。ですからお紺の毛では有りません。分かりましたか。
荻澤は少し道理(もっとも)なる議論と思い、
「成る程、分かった。天然(うまれつき)の縮毛(ちぢれげ)では無いから、お紺の毛では無いと云うのだナ。」
(大)サアそれが分かれば、追々云いましょう。僅か三本の髪の毛ですけれど、こう云う具合に段々と調査して行くと、色々証拠が上がって来ます。貴方、先ア御自身(じぶん)の髪の毛を一本お抜きなさい。奇妙な証拠を見せますから。その証拠ばかりは、自分で試験して見なければ、誰も真実とは思いません。
先ア、騙されたと思って、一本お抜きなさい。抜いて私しの云う通りにすれば。きっと実の犯人が分かります。」
荻澤警部は馬鹿馬鹿しく思ったが、物は試験(ため)し、自ら我が頭から、長さ三、四寸(9cm~12cm)の髪の毛を一本抜き取り、
「是を何うするのだ。」
(大)その髪の根(もと)を右に向け梢(すえ)を左に向けて、人差し指と親指の二つで中程をお摘(つま)みなさい。
(荻)こうか。
(大)爾(そう)です。次ぎに又もう一本、同じ位の毛をお抜きなさい。イエ、ナニ、何本も抜くには及びません。唯二本で試験の出来る事ですから。
僅かにもう一本です。
そうそう、今度はその毛を、前の毛とは反対(あべこべ)に根(もと)を左りに向け、末を右に向けて、今の毛と重ね、そうそう、その通り、後前(あとさき)、互い違いに二本の毛を重ね、一緒に二本の指で摘まんで、イヤ違います。人差し指を下にして、その親指を上にして、そう摘まむのです。
それでその人差し指を、前へ突き出したり後ろへ引いたり、そうそう、詰まり二本一緒の毛へ、捻(より)を掛けたり戻したりするのです。ソレ奇妙でしょう。二本の毛が次第次第に、右と左へズリ抜けるでしょう。
(荻)成る程、奇妙だ。チャンと重ねて摘まんだのが、次第次第に此の通り、もう両方とも一寸(3cm)ほどズリ抜けた。
(大)それは皆、根(もと)の方へズリ抜けるのですよ。根(もと)が右に向かって居るのは右へ抜け、根(もと)が左に向いているのは、左へ抜けるて行くのです。
(荻)成る程、そうだ。何う云う訳だろう。
(大)是が大変な証拠になるから、先ず気永くお聞きなさい。この様にズリ抜けると云う者は、詰まり髪の毛の持ち前です。極極度の強い顕微鏡で見ますと、総て毛の類には、細かな鱗(うろこ)が有ります。鱗が重なり重なって、髪の外面(上辺)を包んで居ます。
丁度筍(たけのこ)の皮の様な按配式に、鱗は皆根(もと)から梢(すえ)へ向(む)いて居るのです。ですから撚りを掛けたり戻したりする内に、鱗と鱗が突張リ合って、ズリ抜けるのです。
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