巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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探偵小説 無惨   小説館版

黒岩涙香 作 トシ 口語訳

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       探偵小説 無惨     涙香小史 作

       中篇(忖度)ー7 ミステリーの存在

 (荻)それならその煙草入れや財布等が、何うして無くなった。
 (大)それが遺恨だから無くなったのです。遺恨としなければ、外に説明の仕様が有りません。遺恨も唯の遺恨では無い。自分の身に、恨まれる様な悪い事が有って、常に先の奴を恐れて居たのです。

 何でも私しの考えでは、彼れは余程緩(ゆっく)りして、紙入れも取り出し、煙草入れも傍に置き、打ち寛(くつろ)いで、誰かと話でも仕て居たのです。その所へ不意に恐ろしい奴が、遣って来た者だから、取る者も取り合えず、逃げ出したのです。それだから持ち物は何も無いのです。

 (荻)併しそれだけでは、何うも充分の道理とも思われんが。
 (大)何故充分と思われません。第一脊(せな)の傷が逃げた証拠です。自分の身に悪い覚えが無くて、何故逃げます。必ず逃げる丈の悪い事が有るからです。既に悪い事があれば、恨まれるのは当たり前です。自分でさえ悪いと思って、逃げ出す程の事柄を、先方が恨まない筈は有りません。

 (荻)それはそうだ。だとすれば、貴公の鑑定では、先ず奸(姦)夫と見たのだナ。姦夫が姦婦と忍び逢って、話しでも仕て居る所へ、本当の所天(おっと)が、不意に帰って来たとか云う様な譯柄(わけがら)で。

 (大)そうです。全くそうです。私しも初めから姦夫に違い無いと目を附けて居りましたが、本当の犯人が分かってから、初めて姦夫では無かったのかナと、疑いを起こす事に成りました。
 (荻)それは何う云う譯で。
 (大)別に深い譯などは有りませんが、本当の犯人には妻が無いのです。それは後で分かりました。

 (荻)併し独楽(こま)を廻す位の子が有るなら、妻が有る筈だが。
 (大)イエ、それでも妻は無いのです。或いは昔有ったけれど、死んだのか離縁したのか。それに又、その子と云うのも、貰い子だと申します。
 (荻)貰い子か、それなら妻の無いのも無理では無いが。併しー、若し又羅紗面でも有りはせんか。

 (大)私もそう思って、其処も探りましたが・・・、兎に角自分の宅(うち)には羅紗面類似の女は、一人も居ません。
 (荻)イヤサ家に居なくとも、外(ほか)へ囲(かこ)って有れば、同じ事では無いか。
 (大)イエ、外へ囲(かこ)って有れば、決して此の通りの犯罪は出来ません、何故と云うに、先ず外妾(かこいもの)ならば、その密夫と何所で逢います。

 (荻)何所とも極まらないけれど、そうサ。先ず待合、その他の曖昧な家か、或いはその囲われて居る自分の家だナ。
 (大)サ、それだから、囲い者で無いと云うのです。第一、待合とか曖昧の家とか云う所だと、是程の人殺しが有って御覧なさい。当人達は隠す積もりでも、その家の者が黙って居ません。警察へ駆け付けるとか、隣近所を起こすとか、そうで無ければ、後で警察へ訴えるとか、何とかその様な事を致します。ですから他人の家で在った事なら、此の様な大罪が、今まで手掛かりの出ない筈は有りません。

 (荻)若し、その囲われて居る家へ、姦夫(まおとこ)を引き込んで居たとすれば何うだ。
 (大)そうすれば論理に叶いません。先ず自分の囲われて居る家へ引き込む位なら、必ず初めから用心して、戸締りを十分に附けて置きます。特に此の犯罪は、医者の見立てで、夜の二時から三時の間と分かっていますから、戸締りをして有った事は、重々確かです。

 唯、戸締りばかりでは無い。外妾(かこいもの)の腹では不意に、旦那が戸を叩けば、何所から逃がすと云う事までも、前以て見込みを附けてあるのです。それ位の見込みの附く女で無ければ、決して我が囲われて居る所へ、男を引き込むなど、左様な大胆な事は出来ません。

 サア既に斯(こ)うまで手配りが附いて居れば、旦那が外から戸を叩く、ハイ今開けますと返事して手燭(てしょく)を点けるとか、寸燐(マッチ)を探すとかに紛らせて、男を逃がします。逃がした上で無ければ、決して旦那を入れません。

 (荻)それはそうだ。ハテな、外妾(かこいもの)で無し。それかと云って、羅紗面も妻も無いとして見れば、君の云う姦夫(まおとこ)では無いじゃ無いか。
 (大)ハイ、それだから姦夫とは云いません。唯だ姦夫の様な種類の遺恨で、即ち殺された奴が、自分の悪い事を知り、兼々恐れて居ると云うだけしか分からないと申しました。

 (荻)でも、姦夫より外に、一寸その様な遺恨は有るまい。
 (大)ハイ、外には一寸思い附きません。併し、六つかしい犯罪には、必ず一つのミステリー(不可思議)と云う者が有ります。ミステリーは、到底犯人を捕らえて白状させた上で無ければ、何の様な探偵にも分かりません。是が別れば、探偵では無い。神様です。

 此の事件では、茲(ここ)が即ちミステリーです。この様に姦夫騒ぎで無くては成らない道理が分かって居ながら、その本人に妻が無い。是が不思議の不思議たる所です。決して当人の外には、此の不思議を解く者は有りません。

 (荻)そうまで分かればそれで好い。もうその本人の名前と貴公の謂う、推理を聞こう。
 (大)併し、是だけで、外に疑いは有りませんか。
 (萩)フム、唯今言ったミステリーとかの一点より外に、疑わしい所は無い。
 (大)「それなら申しますが、こう云う次第です。」
と又も額の汗を拭いた。

注;羅紗面・・・明治時代、西洋人の妾となった女を賤しめて言った言葉、洋妾
注;ミステリー・・・神秘、不思議

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